115.一夜

 櫛引にビンタされた。まあ、自業自得だ。

 一連の騒ぎがあったものの、俺と櫛引はそれぞれ別の寝床で寝ることになった。

 当然、この部屋の主はご立派なベッド。俺はその下でシングルサイズのマットレスで一夜を過ごすことに。


「電気消すからね」


「へいよ」


 櫛引はリモコンを操作して部屋の明かりを消した。一瞬で部屋が暗黒世界となった。


「なあ、櫛引」


「なによ」


「炎上の件。どうなってるんだ?」


「あー……色々と大変よ。コメント欄は酷いことになってるから閉鎖。SNSも休止状態だけど、最新の投稿にコメント殺到して大変よもう……。どれも憶測や誹謗中傷で見てられないくらい」


「そっか。それにしてもめんどくせぇな。たかだか彼氏云々でこうなるとはな」


「しょうがないよ。そういう業界だから」


「はぁ……Vというキャラが好きなのか、それともそのキャラを通じて中見に興味があるのか。どっちなんだか」


 そう考えると昔のアイドルは徹底していたなと思う。

 大便もしないと言っていたし、恋愛なんてまったく報道されたケースも少なかったはず。


 まあ、俺は何十年も前のアイドルブーム全盛期を知らないから上辺のことしか知らないが。

 SNSというものもなかったのもデカいか。それにしても現代は大変だ。


「ほとぼりが冷めるまで配信は控えるつもり」


「それが賢明だ。それと話は変わるけどいいか?」


「なに?」


「なんで配信始めたんだ?」


 少しずつ暗闇に目が慣れてきた。

 うっすらと見慣れない天井と櫛引の部屋の様子が見えてきた。


「別に大した理由はない。ただ、楽しそうだと思ったから」


「ふーん」


「最初は他の人みたいに楽しく配信していたんだけど、気がついたら人が増えていって一種の仕事みたいになってて。正直に言って楽しくなくなってたんだ」


「……」


 櫛引の声はどこか懐かしそうに語り、でも重くならないように苦笑しながら本音を語っているようだった。


「サムネ、配信するゲーム探し。発言に気をつけて、SNSも細心の注意を払って運用していたし。だからと言って私は過度な暴言は嫌いだけど」


「そっか」


「FPSは苦手。でも、需要があるし私のファンも多く求めていたからやるけど、本当はやりたくない。ホラーも」


「……」


「でも」


 ベッドが軋んだ。


「千隼のおかげで昔みたいに楽しくやれてたと思う」


 櫛引の声が近くなった。俺からだと櫛引がどうしているのか見えない。

 おそらく体勢を変えたのだろうか。それに俺を橘でなく千隼と呼んでいる。


「いつも一人で配信して、みんなに嫌われないか炎上しないか。そればっかり考えていた。けど、千隼と一緒にする機会も増えて本来の配信の楽しさを思い出して、コラボ配信は特に一週間前からまだかなってワクワクしながら待ってたんだよ?」


「そっか」


「で、炎上。彼氏だー、同衾してんだろーとか。うっせーって思わず反論しそうになっちゃった。けど、もうやめる」


「ん?」


 櫛引がベッドから顔を出した。いくら暗闇の室内で目が慣れたとはいえ、彼女がどんな顔をしているのかハッキリと見えない。


「好き。私は千隼が好き」


「それは友達として?」


「ううん。異性として、一人の男の子として」


「……」


 突然の告白に俺の口は固く閉ざされてしまう。

 こんな俺でもわかっていることがある。俺の返答次第でこの世界が変わってしまうかもしれない可能性に。


 いくら自分の中での推測とはいえ、俺だけがこの世界は漫画の中であることを自覚している。櫛引はメインヒロインの一人。本来なら高橋を巡って他のヒロインとバチバチ対立をしたり、時には協力をしたり、思い出を作ったり。


 ラブコメ作品にありがちな学校のイベントが起き、そして残酷なハッピーエンドに到達する。


 あるヒロインだけが勝つ、ハッピーで残酷なエンディングか。

 それとも誰も傷つかない、勝者も敗者もいないエンディングか。


「千隼のこと。最初は嫌な奴だと思ってたの。口が悪くてひねくれてて。こいつにいい所なんてないと思ってた。でも」


 一呼吸置いて唾を飲みこむ音が聞えた。


「千隼は他の人と違うって気づいてから見る目が変わった。口では嫌といってもトラブルを解決するし、自分が汚れ役を買って出て誰かを庇ったり。それで優しい。ただ優しいだけじゃなくて、その見返りを求めない。そんな人、私は知らない」


「優しい奴なんていっぱいいるだろ」


「ううん。千隼は他の人と違う。その優しさが帰って自分を傷つけることになっても、自分にとって何のためにもメリットにもならなくても、それが変わることがないってすごいことだよ?」


「……」


「私が配信をしているって聞いてもバカにしなかったし、ファンだからと言って私との関わり方を変えることもなかった。当たり前のようでできない人が多いのに千隼は何一つ変わらない」


「……」


「私と千隼が仲良くなったきっかけも下手をしたら私が捕まっていたもの。なのに千隼は私を嫌いにもならなかったし、恨むこともなかった」


「……」


「ねえ、千隼」


「なんだ?」


「好き。あなたのことが好きなの」


「……」


「返事は?」


「……」


 イエスかノーか。単純明快な二択。でも究極的な選択。

 どちらかを選ばないといけない問いに俺はこの場から逃げ出したくなった。

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