110.後輩ちゃんです♡
「矢内……」
俺はインターホンのモニターで来訪者を確認すると、あの矢内翠がいえーいと手を振っていた。まったく呑気な奴だ。
「はーい、矢内です♡」
「なんで俺の家を知っているんだよ……」
ひとまずは居留守を使って彼女が諦めることを期待する。が。
『せんぱーい。いるんですよねー? インフルエンザになったから自宅療養しているのは知っていますよ?』
「……」
なんで俺がインフルエンザになって修学旅行に行けなかったことも知っているんだよ!
あれか。また高橋か?
「何の用だ?」
『やっぱりいるじゃないですか。お見舞いですよ。お見舞い』
「もう十分間に合っているんでお帰り下さい」
『ケーキ買ってきたんですけど、いらないですか。そうですか……』
「あ、どうぞどうぞ!」
矢内は先輩を掌の上で転がすが上手いらしい。というか、先輩のツボをよく知っている。
俺は鍵を開けると、矢内は片手にケーキの入った箱を持って入ってきた。
「学校帰りか?」
「修学旅行でいない二年生以外は普通に学校ですよ。ケーキどうぞ」
「あんがとさん。じゃあ、もう帰っていいぞ」
俺はケーキを受け取り、矢内にご退室を促す。
「え? 酷くないですか?」
「酷くねーよ。俺はインフルエンザに罹ってるんだぞ? うつしたくねぇから帰ってくれると助かる」
「でも、元気そうだから大丈夫ですよ。私、ワクチン打ったんで平気ですって」
「ああ、そうか。でも、念には念を入れてな」
「そんなに私のこと嫌いなんですか?」
「ああ。刃物を刺してきた相手のどこに好きになる要素があると?」
「……」
矢内はとても気まずそうに俯いてしまった。
俺は箱の中のショートケーキを取り出して、フォークで美味しくいただくことにした。
「美味い。矢内も食べろよ」
「……」
「ま、罪悪感があるようでよかった。お前はちゃんと感情のある人間だな」
「……」
「ケーキを食べると飲み物も飲みたくなるな。矢内は何か飲むか?」
「……お茶で」
「りょーかい」
二人分のコップとお茶を持ってきた俺はテーブルに置いた。
「で、何の用だ? ただのお見舞いってわけじゃなさそうだけど」
「はい。高橋さんから先輩の様子を見てきてほしいと言われたんです。先輩の住所付きで」
「だと思った。見ての通り元気だ。それに俺はインフルが治ったら学校に行かないといけないから憂鬱だ」
「そうなんですか。修学旅行に行けない分、勉強を頑張ればいいと思いますよー」
「ふざけんなよ。勉強する気分になんねぇよ。あー修学旅行で京都と奈良に行って、木刀買いたかったなー」
「うわー……なんで男子って木刀買うんです? 意味わからないし、未だに理解できないんですけど」
しらーっと矢内は冷めた目で俺を見ていた。
そうだな。年頃の男子の気持ちを理解できないと木刀の良さに気づかないことだろう。
「木刀はロマンなんだよ」
「はぁ」
「木刀って日常生活を送っていると手に入らないんだ。もちろん、今のネット社会を考慮すると比較的簡単に入手できることは確か。しかしだ! 木刀は自分の目で見て、己の手で握り締めて感触を確かめ、大きさや値段と葛藤しながら、友達とワイワイするのが醍醐味じゃねーか! それで俺みたいな日陰者は調子乗って大きめの木刀を買って、クラスメイトから注目されるが、女子から冷たい目で見られて軽蔑されるのが定番だろうが!!!」
「あ、はい。そうですか……先輩は木刀持っているんですか?」
矢内は興味なさげな雰囲気だった。
「中学生の時買ったさ。でもな、家の庭で修業をしていた際、折っちゃった……」
「……キモ」
「やめろ! そのボソッとなんなのこいつみたいな目をしながら言われると一番傷つくやつ!」
「いや。本当にキモかったんで」
「くっ……中学の時の俺を思い出す。あれは今でも黒歴史なんだ……」
中学二年生の時の修学旅行。
京都・奈良に二泊三日で行ったが、橘千隼はクソつまんないと口にしながら内心誰よりも修学旅行を楽しみ、一番大きい木刀を買って男子の間でほんのちょっと話題になってニヤニヤしていた!
がしかし、危ないということで先生に没収され、なぜかその木刀を持って生徒の見回りをして楽しんでいた!
あの先生。妙にノリノリだったけど、扱いが悪かったせいで傷だらけになったのを忘れないからな!
で、橘は木刀を買い、あの剣とドラゴンのキーホルダーを買い、挙句の果てに怪しい風貌の男にだぶらかされて、定価千円くらいのチープなネックレスを三千円で買ってしまうという。
自分の意思表示をもって明確に打ち出して断れればよかったなのに。
そのせいで溜めていたお小遣いを切り崩してしまった……。
「木刀とあのキーホルダー。チープなネックレスで俺の溜めていたお小遣いは消えてしまった……」
「先輩ってバカなんですね」
「そうだ。男子はカッコイイものに弱いんだ。木刀とか憧れちゃうじゃん!」
「あーはいはい。よかったですねー」
俺が熱くなって語っているのに矢内は持ってきたケーキを美味しそうに食べているのだった。
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