82.夏が終わる

 夏休みも今日と明日を入れて残り二日。あれ? それ以前の記憶が曖昧になっているのはなぜだ?

 まあ、きっとロクでもない怠惰な時間を過ごしたせいで憶えていないだけだろう。

 貴重な長期休みはもうこれでおしまい。


 新学期からは退屈で欠伸が出てしまう日常の再スタートだ。

 嫌になっちまうが全日制の高校を選んだからには我慢するしかない。


「ん?」


 そう言えばだ。この前コンビニに行ったときに夏祭りが行われる旨が書いてあるポスターを見かけた気がする。八月の終わり、三十日と三十一日に行われるそうだ。

 ちょっと遅い夏祭りな気がしないでもないが、今それを思い出すということはなぜだろうか。


 橘の記憶をたどってみると、小学生高学年になってからこの体の持ち主は夏祭りに行かなくなったらしい。

 俺を省いてみんなが夏祭り行っていたから。だそうだ。


 ちょっとなんだろうな。涙が出てくるのは気のせいではない。

 あまりにも悲しすぎる過去を持っていると思ったら、単純に橘が夏祭りでマウントを取っていたのが原因だったらしく、俺はずっこけてしまった。あの三人組は大人になってしまった。懐かしいなぁ。昔読んでたもんなぁ。


「気分転換に行ってみるか」


 ただの気まぐれ。それだけだ。

 たまには夏っぽいことをしてもいいと思う。最後くらいはな。


 ちなみに橘は小学生のころ、くじで当たったヨーヨーをうざいほど自慢して嫌われたとか。

 いや、まあうん。子供は純粋だなと思った。




「あんまり変わんないもんだな」


 近所の神社で行われている夏祭り。

 橘の記憶通りの光景が広がっていた。


 子どもたちは無邪気に綿あめを食べ、露天で買ってきたお面を被ったりと楽しそうだ。


「俺は主人公じゃねぇからな」


 そうだ。俺は脇役。

 高橋という主人公の邪魔をしてはいけない。

 俺は一人が似合っている。


 高橋らはきっと今夏、綾瀬たちと青春を過ごしていることだろう。

 たしかそのような話をしていたはず。

 俺はプールに続いてバーベキューも誘われたが、断固たる決意のもと拒否し続けた。


 自宅に来られても大丈夫なようにネカフェに避難したり、遠出をしてエスケープしたり。


 まったく、何であいつらは俺の誘いたがるんだか。俺一人いないくても問題ないはず。

 俺みたいなひねくれ者が行けば、余計な事を言って場を白けさせるだけ。


 現にプールに行った時は細口の恋愛ごとに協力した挙げ句、距離が縮まることも関係性が進展することもなかった。


 高橋もラブコメ的な展開になることはなく、ただ遊んだだけという。


「俺はそこまでの人間じゃねぇのに……」


 櫛引と長谷部もそうだ。橘千隼という人間を高評価し過ぎている。

 目つきは悪い。性格は最悪。そんな俺に彼女らはやけに距離を詰めてきている。


 俺はあの二人に対してただの同級生、もっと言えばただの友達。それしか感情が湧いてこない。


「……」


 はぁ……なんでこんなことになったんだろうか。俺のやり方がいけなかったのか。それともなんなのか。


「あれ?」


 人の波をかき分けながら歩いていると、俺とぶつかった少女が俺の顔を見て驚いたような顔をした。


「あ、すんません」


「こちらこそ。不注意でした……?」


 よくある問答。謝罪して終わり。

 と思ったら。


「あの、橘千隼さんですよね?」


「何でおれの名前を?」


 彼女は少し小柄なギャルっぽい見た目をしていた。

 髪の毛は脱色しているのか明るく、夏祭りには不釣り合いの格好をしている。

 とても真面目そうな子なのにギャルっぽいのは年頃なのか、それとも単に年を重ねていくうちに誰かに影響されて染まっていったのか。


「あ、すみません! 申し遅れましたが、私は矢内翠です」


「矢内、翠……」


 聞いたことのない名前。元中でもクラスメイトでもない。

 この矢内は俺の警戒を解こうとまた口を開いた。


「橘先輩と同じ音ノ内学園に通う、一年四組の者です。お楽しみのところすみません


「あ、後輩……」


 俺と同じ高校に通う後輩か。だが解せない。

 こんなギャルっ子がなぜ俺みたいな日陰者の名前を知っている?


「実は私、浩人……高橋浩人さんと同じ中学出身で後輩なんです」


「高橋の?」


「はい。高橋さんは中学生の時、陸上部に入っていまして私もなんです」


「へー」


 高橋が中学時代に陸上部に入っていた。

 一年以上の付き合いがあるはずが、知らないことは山積しているようだ。


「それと俺を知っていることに何の関係が?」


「はい。実は高橋さんから橘先輩の話をよく聞いているんです」


 矢内は苦笑しながら嬉しそうに説明した。高橋の野郎、後輩に何か変なことを吹き込んでいるんじゃねーだろうな。


「どんな?」


「んー。最初は変な友達ができた、くらいでした。けど、私が学園に入学したあたりから先輩の話をよくするようになったんです。一緒に写ってる写真も送られてきますから、必然と先輩のことも覚えてちゃいました」


「あ、そうなんだ」


「はい」


 あいつの後輩か。でも、そんな話を聞いたこともなかったし、学園でも顔を合わせる機会がなかった。

 ま、学年ごとに階層が違ったり、そもそも上下の交流なんて部活動でもやっていないと皆無に等しい。


 この子はまだ入学したばかりで高校になれないといけなかった。

 そういった要因が重なって学校で会うということがなかった。でいいのか。


 普通だったらニアミスくらいすると思うんだが。俺の考えすぎか。


「あ、すみません! 友達に呼ばれちゃいました」


 矢内はスマホを見てびっくりして少しジャンプする。

 なんだろうか。その表情や仕草、リアクションそのものに俺は違和感を覚えていた。


「お楽しみのところすみませんでした。高橋さんに私は元気です、と伝えておいてください!」


 矢内は濁りのない笑みを向けながら大きく手を振り、人の中に消えていった。

 一人残された俺はどんちゃん騒ぎの中、ポツリと言葉が漏れてしまう。


「あいつ……」


 表面上は出来の良さそうな後輩。

 嫌味もなく表情豊か。それにギャルっぽい見た目以上に礼儀正しい。

 それなのに違和感が拭いきれなかった。

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