75.寝る前にするおしゃべりは楽しい

 ということで無事シャワーを浴びてスッキリした俺こと橘千隼。初めてラブリーなホテルのシャワー体験。それは一人でシャワーを浴びるには広すぎる浴室であったという感想が第一に浮かぶ。


 浴室が広いに越したことはないが、一人で利用すると寂しさが際立ってきてしまう。他に気になったのは怪しいマットが壁に立てかけてあり、一体ナニに使うんですかね……?

 ちょっと僕にはわからなかったんで、ぜひ皆さんでその謎を解き明かしてください。真実は多分一つ! ってどこぞの探偵さんが言うかもしれないけど。


 普段だったら体験できない、広い浴槽で汗で冷えた体を温め、髪と体を乾かして部屋に戻ると、櫛引はベッドの真ん中でスマホをいじっていた。


「……」


 なるほど。櫛引は無言でお前の居場所はねーよ、このクソゴミカス陰キャぼっち変態足クサ!

 なんだろうな。自分で自虐しておいて涙が出てきそうだよ……。

 そういう茶番は置いておいて、ラブコメにありがちな一緒のベッドに寝るといった展開はないという認識でいいということだ。


「もう疲れたから寝るわ」


 俺はソファに腰掛けてそのまま横になった。まあ、寝られなくはない。

 櫛引は気を利かせてくれたのか部屋の照明を落としてくれた。


「……」


 今日は色々あった。でもまあ、悪くなかった。

 悪くなかったがシャワーを浴びた時、日焼けした背中や肩がヒリヒリして痛い。今だってコンビニで買ったシャツが擦れて痛い。

 日焼け止めを塗ればよかった。そもそも行かなきゃよかった。

 そんなことばっかり後悔していると、


「ねえ、まだ起きてる?」


 櫛引の声がした。


「ギリギリ。何か用か?」


「別に。ただ単にもう寝たのかなって思っただけ」


「そう。俺はもうクタクタ。寝るぞ」


「ちょっと!? 冷たくない? もっとこう……おしゃべりするとか!」


「おしゃべり? 今日は楽しかったね〜とか?」


「そうそう! そういうの!」


 櫛引は修学旅行的な雰囲気が好きらしい。

 修学旅行か。俺たちは夏休みが終わった十月に控えている。行く先は京都奈良。ド定番の修学旅行先だったが、俺からしたらありがたいばかり。


 つまらないと言う人もいるかも知れないが、歴史的に重要だったり価値のある神社仏閣を見るのも悪くないと思ってる。


 まあ、人によっては大人になって京都奈良の良さをわかる人も出てくる。多感な高校生が行ったところで心の底から楽しめる人はそう多くないだろう。


 楽しめない奴はバカだ。そんなこと言って楽しめないという意見を持つ人を馬鹿にする人は、単に相手を下に見て優越感に浸って気持ちよくなりたいだけだ。


 自分は○○の魅力を知っている。こうこうこういった歴史や文化があり、その重要性を理解できないのはバカ。そう主張して鼻を高くしたいのだろう。


 そこまで俺は落ちていない。人によって感じ方はそれぞれ。つまらない人だっている。面白いと感じる人もいる。なんとなく凄いと思う人もいる。それでいい。他人にあれこれ押しつけること自体が間違いだ。でもまあ、沖縄や北海道に行きたかったという人の意見もわかる。だって、中学の時の修学旅行も京都奈良だったもん……。


「で。何を話すんだ?」


「うわー……そういうこと言っちゃう? 橘君って空気読めないと言うか、何で余計なこと言っちゃうのかな? まじキモい」


「はいはい。俺が悪かったですよ」


「そういうのも腹立つ! 一発ぶん殴っていい?」


「やめろやめろ。さっき食べたスパゲッティをぶっかけられたいんだったらお好きにどうぞ」


「うわ……」


 勝手にドン引きしろって。

 そんな問答が終わると会話が止まる。

 お互い疲れが溜まっていたのもあってすぐに睡魔に飲み込まれてしまうのだった。




 体の痛み。というか、ソファで眠るのは無理だった。背中は痛くなるし狭いしですぐに目覚めてしまった。


 二度寝しようにもソファはもう嫌だ。

 どうしたものかと天井を眺めていると、


「橘君?」


 櫛引から名前を呼ばれた。

 彼女も慣れない環境に身をおいているせいなのか、起きてしまったのかもしれない。


「起きてる? ねえったら?」


 どうやらベッドから降りて何かしていたらしい。俺はもう返す元気もなかったので目を閉じて寝たフリをして無視することにした。


「寝てる……」


 足音からするに俺のすぐそばまでやって来た櫛引。


「橘君ってこんな寝顔なんだ」


 櫛引は俺の寝顔でも見てバカにしにきたのだろうか。まあ、好きに言えばいい。


「……かわいい」


 ……おかしいな。俺ってあれかな。

 プールの水が耳の中に溜まったままだっけな。おかしいな。


「もっと笑えばいいのに。勿体ない。顔だって悪くないのに」


 ルックスは自分でも悪くないと思ってる。

 橘千隼というキャラは目つきが悪いだけで、顔だけは好きというファンもいたはず。


 でも、まあ、うん。櫛引からそんなことを言われると体中が痒くなる。


「なんで私のためにあそこまでしてくれるの? あんたに得があるわけでもないのに。なんで?」


 俺は善悪で判断しているわけではない。

 ただ単にお願いされたりすれば助けたり協力する。ただそれだけ。


「私はもっと素直にならないと。お化け屋敷のあれも……もっとあんたに感謝しないとダメなのに。その、ありがとう」


 なんでそれを起きている俺に向けて言えないんだよ。でもまあ、ここで俺がパッと目を開けて全部聞いてました~って言ったら面白いことになるだろうな。

 絶対に収拾がつかなくなるのでやらないけど。でも、一方的に体が痒くなるようなことを言われたらたまったものじゃない。

 目覚めたふりをして起きた体をしたほうがいいかもしれない。


「恥ずかしいな。なんでだろう」


 なんで恥ずかしくなっているんだよ。俺の方が恥ずかしいわ!


「本当に寝てるよね? 狸寝入りしてない?」


 ギクッとしたがここはハリウッド俳優顔負けの演技で乗り越えた。

 櫛引は俺の頬を指先で突っついたり、軽くつまんだりと好き放題やってくれる。

 俺はおもちゃじゃねーぞ。そうツッコミたくなってくるが我慢だ。


「眠ってる……」


 夏休みが終わったら冷たい飲み物をシャツの中に入れてやる。そう決めた瞬間であった。


「千隼……」


 櫛引が俺を名前で呼んだ。俺はこの女子生徒に名前で呼ばれたことが無かったこともあり、内心どういう風の吹きまわしだと困惑してしまった。


 俺こと橘は一見ニヒルで嫌味たっぷりなキャラクターでクールっぽい印象もあるかもしれないが、この男はいたって普通の男子生徒。女子との会話も上手くできない。絶望的にモテない。


 ちょっと会話が噛みあわなかったり、嫌われたりするだけで悪い人ではない。

 多分。そうであってほしい。


 と、俺は一人であーでもないこーでもないと脳内で反芻していると、ふと何かが近づいてくるのが雰囲気でわかった。なんだろうか。またちょっかいをかけられると思ったら、俺の頬に柔らかいものが押しつけられた。


 それはとても柔らかくて、少し艶もあって水気もあり、生温かかった。

 ああ、これはキスだ。俺は頬にキスをされた。その事実に気づいたとき、俺は拳を握り締めて動かないように堪えた。


 俺は金縛りにあったかのように体が動けず。そして、快楽の注射がうたれたかのように全身を駆け巡り脳内を犯していく。ああ、たかがキスで俺は何を……。


「……これで起きないってことは寝てるのかな。って、私何やってるんだろ。あーもう」


 櫛引はなぜ俺にキスをしたのか。頭がおかしくなったのかと彼女を疑ったが、どうやら自覚があるらしく身悶えしている。

 そんなに苦しむんだったらやめればよかったのに。


「おやすみなさい」


 足音が遠くなり、ベッドがきしむ音がした。

 しばらくして櫛引の寝息が聞こえ、俺はやっと目を開くが出来た。


 キスをされた頬を撫で、まだ残っている感触を確かめて俺は唾を飲んだ。

 あれは夢でもない。幻覚でもない。現実にあったことだ。


「……ふざけんなよ。主人公は俺じゃねぇよ」


 


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