35.柊桃子は目立たない

「それで。話って何?」


 改めて彼女に聞くと、あたふたと落ち着かなくなったと思ったら、視線があちこちに泳ぎだしてパニックになってしまう。


 そこまで俺って怖がらせるような見た目しているのか?

 やめてくれよー。少し前に『ママー! あの人怖いー!』って小さな男の子が泣きながら俺に指差して母親に助けを求めたことがあるんだ。しかも、俺はただ買い物をしていただけで何もしていないことを主張します。


 俺は何も悪いことしていないし、身の潔白は認められるはず。

 ちなみにちょっとした騒ぎになってお巡りさんが駆けつけ、簡単に事情を聞かれました。もちろん、何も問題なかったからな?


「ひとまず深呼吸だ。いいか? 俺の合図と一緒に息を吸って吐く。おーけー?」


「……」


 今にも泣きそうな目で首肯してくれた。


「大きく息を吸って…………吐いて。ちゃんと息を出し切ったらまた肺にいっぱい空気を送り込むんだ」


 それから俺と一緒に深呼吸をしたおかげが、彼女は落ち着きを取り戻した。

 改めて見るとまるで小動物のような可愛さのある女の子だ。

 俺が彼女を守護と書いて守らねぇと。


「えっと。まずは色々と聞きたいことがあるんだけど、お前の名前を教えてくれると助かるんだが」


「え、あ……私の名前、ご存知ない……か」


 しゅん、と彼女は背中を丸めて落ち込んでしまった。


「え? ごめん」


「ううん。橘くんが知らないのも無理ないよ。だって私……影が薄い……ですから」


「えっと。ちなみになんだけど同じクラスだったりする?」


「はい……」


「あー……」


 彼女は申し訳なさそうに言い、今にも泣きそうなほど悲壮感が漂っていた。

 非常に悪いことをしてしまい、俺の心がチクリと痛む。


「名前は?」


「柊……桃子、です」


「柊桃子、か」


 彼女の名前は柊桃子。確かに言われるとそんな名前の子がいた気がするが、顔を思い出せないということはあまり目立たない子なのだろう。

 というか橘のやつ、クラスメイトの顔すらも憶えてねーのかよ!?


 橘のことだから、クラスメイトの顔や名前を憶えてもすぐにクラス替えで離れ離れになるし、どうせ卒業したら連絡を取り合わなくなるような連中の名前を憶えることが損。なーんて言いそうだ。というか、今思ったわ。


 改めて橘の性格がひねりすぎて地面にめり込んでしまっていることを自覚し、自戒の念を抱きながら過ごそうと決心した。


「ごめんなさい。あの……ご迷惑でしたら謝りますから……」


「全然! そんなことないって! こちらこそ、ごめん。名前憶えてなくて」


「いえ。私は影が薄いので仕方ありませんよ」


 柊は自虐気味に言い俯いてしまった。


「まあ、俺も似たようなもんだからそこまで悲観する必要ねぇだろ。というか俺よりも全然いいじゃねぇか。俺なんか結構な人から嫌われてるから肩身が狭い思いをしているから、柊が羨ましいよ。本当に」


「え?」


「知ってるか? 一年の頃にちょーっと気に喰わない奴がいてさ、そいつにバーッと言ってやったことがあったんだ。向こうが俺に絡んできてウザかったからだけど。そうしたら向こうが激高して殴ってきて。そいつは停学処分になって後に学校を辞めた。ま、遅刻常習者でテストも零点に近い数字だったし、イジメに近いいじりだってしていた。学校を辞めるのも既定路線だったかもしれねーけど。今思うとひでぇこと言ったもんだよ。社会の害悪だの、弱い者いじめしかできない懦夫だの。その時、夏目漱石のこころとかを読んでいたから、例のあの有名なセリフをそのまま言ったりとか。そりゃあ、周りから嫌われるわな」


「……」


 柊は黙って聞いているが果たしてどう思っているだろうか。

 こんな話をしたら誰だって嫌がるものだろう。口が悪くてひねくれてて。そんで読んだ本やアニメ・映画にすぐ影響される。嫌われて当然。


 自分で自分を自己分析して自己嫌悪に陥る。

 あーあ。橘のやつはどうしようもねぇ奴だったんだな。よくもまあ、高橋はこんな俺と仲良くなったもんだ。


「知ってます……噂で聞いてましたから」


「だろうな」


「でも……今は違います。具体的にどういっていいかわかりませんけど……今の橘君はその……いい人だと思います」


 柊は照れながら俺のことを褒めてくれた。

 やめてくれ。そんな顔で言われると勘違いする。


 俺みたいな純粋無垢な男子生徒は、ちょーっと褒められただけで勘違いする愚かな人間なんだ。

 迂闊に目の言葉を使うのはおすすめしないぞ!


「それで、わざわざ俺に手紙を出してまで呼んだ理由を教えてもらおうか」


「あっ!? ひゃいっ?!!」


 なんだろうな。この庇護欲を駆り立てるような小動物的なリアクションは。

 柊は手をモジモジさせ、俺の顔をチラッと見ては恥ずかしがりを繰り返す。


 やっぱりこれ告白なの?

 そうだよな。そうだよね?


「あ、あの……」


 勇気を振り絞り声を出した柊。

 俺は彼女の言葉の続きを真剣に待った。


「……た、た、た」


「?」


「高橋くんは……あの、その、えっと……どんな人がす、しゅ、しゅ……しゅきなんれすか?! あっ……」


 柊は肝心なところで噛んでしまい、これまた可愛らしい感じになってしまう。

 俺としたら癒やされる言い間違いだが、柊からすると思いっきり噛んでしまい羞恥ゲージが振り切れてしまった。


「ああ……うぅ……」


「高橋の好みを聞きたいってことだろ?」


「……」


 この場から逃げ出しそうになっている柊を刺激しないように優しく聞いた。

 柊は小さい子供のように怯えているが、小さくこくりと頷いてくれた。


「高橋か。やっぱりね」


 だと思ったよ。つまりは高橋に一番近い俺から、彼の情報を聞き出したいということか。

 少し肩の荷が下りたのと、自分じゃなかったよな……という失望が入り混じっている。


 柊の性格的に直接聞けるはずもなく、おそらく友達も多くないため人づてで情報を得るのも難しいはず。


 彼女なりに勇気を出して俺に手紙を出し、高橋についてあれこれ聞くつもりだった。ということになる。


 いや俺はアレだ。きっと高橋のことだろうと事前に察知していたから、これっぽっちも残念に思っていない。本当だからな! うん……。


 というか、俺は勉強に自分のことで精一杯。恋愛なんて邪魔なだけだし、青春という文字に踊らされてピエロを演じたくない。よくラブコメ作品にありがちな、男女でイチャイチャは幻想だ。そうだそうだ。


 リアルの恋愛は、互いの常識を相手に押しつけ縛り上げ、不満が溜まり許容限界まで膨れ上がり爆散。そして別れるのが普通だ。


 それに失恋がきっかけで人生が激変してしまう話もよく聞く。

 いい意味ではなく悪い意味で。そういったことがあり、俺としては恋愛に微塵も興味が湧かない。


 誰だ誰と付き合おうが好きにすりゃあいい。あ、高橋は例外だ。

 あいつは物語通り、女の子に囲まれてそのうちの誰かと付き合ってハッピーエンドを迎えればいい。


 問題は俺が一巻までしか読んでいないのと、対して知らないということ。

 まあ、なんとかなるだろう。今のところ綾瀬と櫛引という女子が高橋に近づいている。


 きっと、この柊だってその一人かもしれない。

 なんだろうか。言葉にできないが俺の本能がこの子は特別だと訴えている気がする。もしかしたら『大好きはやめられない!』という作品の神様が教えてくれているのかもしれない。


「高橋の好み……全く知らねぇな。言われて気づいたけど」


「え?」


「そもそも俺が高橋の女の子の好みなんて興味なかったからな。悪いな。今すぐに答えられそうにないわ」


「……そっか」


 柊はわかりやすく肩を落とした。


「ま、俺の方から本人に確認してみる。そんで後で伝えればいいか?」


「う、うん……!」


 柊は向日葵のような満開の笑顔を向けてくれた。

 なんだろうな。まるで妹を相手しているみたいだ。妹居ねぇけど。


「そんじゃあ、また今度な」


「あ、あの……」


 俺は手を振って帰ろうとしたが、柊に止められてしまった。


「良ければなんですけど……嫌だったらちゃんと、言って……ください」


「?」


「れ、れ、連絡しゃき……教えてください……」


 また噛んだ。首から上が真っ赤になって湯気が出始めた。

 彼女の勇気を無下にしちゃダメだ。一生懸命なだけですごくいい子なんだろう。

 というか、連絡先交換してくれか。ちょっと嬉しかった。


「全然嫌じゃねぇよ。むしろ、友達欄が増えるからありがてぇ話だ」


「え……友達いないんですか?」


「ふっ。この俺に心から許せる友人がいるとでも? ついこの間まで両親と高橋ぐらいしか連絡取り合う人いなかったんだぜ?」


「……自信満々ですね」


「ああ。いいだろ?」


「……」


「ごめん。とっとと交換しようか」


 逆に気をつかわせちゃたな。俺ってコミュニケーション苦手っぽいわ……。

 高橋が羨ましいよ。

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