25.二人三脚!

 夜の七時まで残り十分ほど。俺は緊張と慣れない環境に喉がカラカラに乾いていた。


 俺がいるのは櫛引が配信している彼女の部屋。その一角に配信用の防音室があり、密着した状態で俺と櫛引が座っていた。


 ちなみにだが、彼女の部屋はとても可愛らしかった。

 たくさんのぬいぐるみとフィギュアに囲まれた、ちょっとしたオタクのような部屋だった。


 俺は本棚に薄い本があるのを見逃さなかったが、それを口にした瞬間命がないと本能が危機を訴えたので見なかったことにした。


 部屋中を俺がジロジロと見るもんだから、櫛引に脛を蹴られたが彼女の方が痛がったというのは名誉にかかわるので秘密にしておこう。


「なあ櫛引」


「なによ」


 配信前ということで気が立っている櫛引。


「あのさ。もっと離れられないか? ただでさえ防音室って狭くて気密性が高くて暑いのにこんなに密着したら汗が――」


「だ、黙りなさい! わ、私だって……その、嫌なんだから我慢しなさいよ。情けない!」


「いや、そうなんだろうけどさ。つーか普通に無理だろ。絶対にうまくいかないだろ、こんなの……」


「しょうがないでしょ! こうするしか方法がないし、私の秘密知ってるの、あんただけだし……黙って私の言うとおりにあんたは私の手になりきればいいのよ!」


「……へいへい」


 適当に返す俺だったが、内心うきうきしていた。そりゃあ、目の前で星宮アズサの配信を生で見れるんだから。興奮しない方がおかしい。


 だけど、今の俺は彼女と手として影のように支えていかないといけない。

 生配信を堪能するほどの余裕がない以上、俺は無事に演じ切らないといけない。


「ちなみになんだが、今日プレイするゲームってシークレットだろ。俺にだけ教えてくれないか? 参考までに」


「『UP!UP!UP!』っていうゲームよ。知ってるでしょ。最近ゲーム実況者で流行っているゲームとのことらしいけど」


「……嘘だろおい」


 櫛引から教えられたゲームタイトル。それを聞いた俺は櫛引の頼みを受けてしまったことを後悔した。

 『UP!UP!UP!』通称スリーアップ。このゲームは謎のおっさんがひたすら天高くそびえ立つ山をクライミングするだけのゲーム。


 途中で取りによる妨害、防風や雨、雷という障害がプレイヤーを襲ってくる。

 なぜ、このような起伏がなくイライラする要素しかないゲームが、実況者やストリーマーを中心にプレイされているか謎。


 中にはイライラし過ぎて泣き出してしまっり、突然バリカンで髪の毛を剃り上げてしまう実況者が現れSNS上で話題になったほどだ。そんなゲームをやることになるとは。俺は頭が痛くなってきた。


「帰っていいか?」


「ダメよ! ここまで来たんだったら責任取りなさいよ」


「わーってるよ。これもアズチーの『おやすみなさい♡』ボイスのためだ。全力を尽くす」


 俺が櫛引に協力する理由は一つしかない。それは俺が提示した条件、俺だけ、いや俺専用のアズチーオリジナル『おやすみなさい♡』ボイスを報酬とした。


 櫛引はキモイキモイと反発したが、ここで俺の協力なしに頼れる相手はいない。

 歯をギシギシと言わせるほど噛みしめ、苦悶とも屈辱とも取れる顔で条件を飲み、こうして交渉は成立した背景がある。


「くっ……ほんっとうにあんたって最低! あんな身の毛もよだつことをお願いするなんて……あとでお祓いに行かないと」


「俺を呪物扱いするな。ただのアズチーのファンなだけだ」


「……うるさい。ほら、もうすぐ配信開始よ。わかっていると思うけど一言も喋らないでよね。物音も禁止。いい?」


「りょうかい。お嬢様」


「……」


 照れたのか? 素直になりゃいいのにな。

 足を踏まれたが、いつになく優しく彼女の足は温かかった。


「三……二……一……テステス。あーあー。音量は大丈夫かな?」


 始まった。俺は心臓がバクバクと飛び跳ねそうなほど興奮していた。

 目の前で星宮アズサの配信が見られる。それも生で、俺だけが。

 本当なら配信風景を写真で収めたいところだが、俺が星宮の配信を邪魔してしまうことは言語道断。


 ましてや、星宮の家に男の俺がいるということもバレてはいけない。

 バレてしまえば櫛引、いや星宮アズサの配信業に多大なる影響が出ることは必須。

 彼女のファンの多くが男性。アイドルとしての立ち位置にいる星宮にとって、男の存在は大ダメージになってしまう。


 ただでさえVストリーマーは本人がアイドル売りしていなくても、ファンが神格化していたりアイドル視する人がいる以上、男の話はNGとなることも多い。


「それじゃあ~配信始めるよ~」


 いざ配信が始めると緊張で全身が震え、手汗も酷くハンカチで拭いてはしまいを繰り返す。

 喉の渇きも早く、足元にあるペットボトルを手に取って一口飲み、俺は落ち着かない時間を過ごした。


「今日は前々から予告していた通り、ゴールデンウィーク特別ゲーム実況をしま~す☆ って言ってもみんなは予想がついていると思うけど~、ここ最近の流行のゲームをするだけなんだけど~、みーんなが口を揃えて難しいっていう……じゃじゃーん☆」


 配信画面が切り替わり、『UP!UP!UP!』のタイトル画面が表示された。

 俺はすでにコントローラーを手に準備万端。櫛引とアイコンタクトをして手筈通りに進めていく。


「すっごくイライラするって聞いてるけど、大丈夫かな~って不安になるんだよね。なるべくイライラを君たちにぶつけないように努力はするけど、もしやっちゃったらごめんね?」


 ああ。任せろ。俺の華麗なコントローラーテクニックで速攻クリアして見せる!

 意気揚々とスタートボタンを押し、絶望のクライミングゲームに挑戦していく!




(んだよ、このクソゲーは!?!)


 俺は通称スリーアップというゲームを舐めていた。他の人がプレイしているのをチラッと見たことあるが、どれも上手く登れなかったり妨害にあって奈落の底へ落ちていき、泣き叫ぶ姿を目の当たりにしていた。


 そのときは大変そうだな~とか、うっわストレス溜まるな~と呑気に思っていたが、見るのとプレイするのは雲泥の差があることを思い知ることになるとは。

 しかも、星宮アズサの代理としてプレイしているのだから、ストレスが尋常ではない。


 変に声をあげられないし、身動きですらあまりできないため、ゲームのプレイにリアルの窮屈さがストレスを更に溜めていくことになる。


「え~!? うっそ~、また落ちちゃった~☆ てへっ☆」


 順調に登っていたけどカラスにツンツンと突かれ耐え切れずに落下。

 また一からのスタート。俺のストレス値上昇。


「もう一度頑張るぞ~! お~!」


 星宮がえいえいおーの掛け声に合わせて俺は再度上り始める。コメント欄は星宮の声援で埋まっている。なんとも複雑な気分だ。


「今回は順調じゃないかな! みんなもそう思うよね~?」


 カラスの妨害、強風、石の落下という艱難辛苦を乗り越えて半分まで到達。

 残り半分を上りきればゴールとなる。俺はイライラする気持ちを押さえてコントローラーを握りなおした。


「えいしょ……えいしょ……」


 今のところ視聴者に違和感なくプレイ出来ている。

 それも櫛引が俺のゲームプレイに合わせてリアクションし、フォローも忘れずにしてくれるおかげだ。

 現実世界では俺に対して攻撃的な櫛引だが、なんだかんだ言って緊急時にはしっかりと息を合わせてくれる。


 さて、クリアまで残り半分になったはいいが、さらなる難関が待ち構えていた。

 雨が降ってきて操作するキャラクターが滑らせてしまい、ずるずると落ちていく。

 ここで油断してしまうと、少し滑り落ちるだけならマシ。地上まで落下してしまうことも考えられるので慎重に。


「え~なにこれ~!? やっと半分なのに~!」


 櫛引、いや星宮の言うとおりだ。なんだよこのゲームは!

 あまりにもイラついて貧乏ゆすりをしてしまい、櫛引に無言の注意という名の足踏みをやられる。


「いっ……!?!」


 あまりの痛さに声が出てしまいそうになるが寸前で堪える。

 しかし、俺の声がマイクに入ってしまったのかコメント欄はざわつき始めてしまう。


「あ~ちょっとうちの家族の声が入っちゃったかな~? 注意してくれるから待ってってね~」


 星宮はそう言ってマイクを切り、くるりと俺の方を向いた。


「余計なことするなって言ったよね?」


「貧乏ゆすりしただけだろ。それくらいいいじゃねぇか」


「あのさ、ただでさギリギリ二人が入れる防音室にいるんだから、大人しくしなさい! 気が散るって!」


「こっちは無言でイラつくゲームをやってんだぞ? 少しでもストレスを発散しないと頭がおかしくなるっつーの!」


「元からおかしいでしょ!? 私の足を舐めようと狙ってくるあんたが今さら!」


「ああっ? アズチーの命令なら俺は一切の抵抗なく隅々まで舐めてやるさ!」


「あーキモいキモい! やっぱりこの男に頼むんじゃなかった……」


 照れるな~。


「というか、とっとと配信に戻らねぇとやばくないか? コメント欄が荒れてるぞ」


「え、嘘!?」


 コメント欄は先ほどの俺の声で荒れに荒れていた。

 彼氏なのか!? いや、パパとか? お兄ちゃんか弟の可能性は?

 いや、あれは旦那じゃね? とか。憶測が入り混じり混迷を極めていた。


「あっ……」


 櫛引が小さく声を漏らした。


「どうしたんだ?」


「マイクミュートにするの忘れてた……」

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