17.プライドは捨ててきた!
俺は遂に念願だった星宮アズサのサインをゲットした!
色紙にかかれたアズチーのサイン。まるで宝石のように眩いばかりに輝いていた。
ああ……俺はもう死んでもいい。それくらい有頂天になっていた。
「ありがとう! これは額縁に飾って俺の家宝にするよ!」
「そこまでしなくていいから! あんたバカじゃないの!?」
「バカで結構! あ~アズチーのサインだぁ。世界に一つだけの、俺だけに書いてくれたサインだ。むほほほほ! ドゥフフフフフ!!!」
「うわっキモっ!? 一昔前のキモオタのような喜び方するな! おえっ……気持ち悪くなってきたんだけど……」
酷いなー櫛引は。オタクってのはな、自分の趣味を極限まで追求し楽しんでいる人たちのことを指す。そんな人たちをキモイと一蹴して差別するのは時代遅れ。
好きなものを好きと言って何が悪い! 好きなことも趣味もなく、虚無の日々を過ごすよりは何倍も輝いていると思うが。まだ櫛引にはわからないか~。
あ、あのー櫛引さん?
そんな嗚咽を吐いて汚物を見るような目で睨みつけちゃダメだってーあはは!
君はアズチーなんだから、そんな顔しちゃ『めっ!』だぞ?
「まさかこんな近くにアズチーご本人がいるとは。俺はなんて運のいい男なんだ……」
いくら橘の影響を受けているとはいえ、好きなVストリーマーの中の人に会えるなんて思いもしなかった。そのせいか、俺は大粒の涙をぽろぽろと流して歓喜に震えてしまう。
「うっわ……なんで泣いてんの?」
「ふっ……この気持ちを一言で言い表すことはできやしないのさ」
「きっしょ!? なに言ってんの!?」
櫛引が後ずさった。そんなに俺の言い方がカッコよかったのかい?
捨てたもんじゃないね。俺も。
「もう用は済んだでしょ? とっとと帰ってよ! あんたがいるとこの家が腐るから! キモイ、死ね、消えろ!!!!!」
「…………はああっ!?!」
やばいやばいやばい。一瞬橘の意志に精神と肉体を乗っ取られかけてしまった。
危ない危ない……本来の目的を忘れてしまっては本末転倒。
自分に戒めるために頬を叩き、俺はサインの書かれた色紙を保護ケースに大事に入れ、それから額縁に入れた。よし、家に帰ったら目立つところに飾っておこう!
「ちょ……何してんの!?」
「いや、俺の部屋に飾ろうと思ってな」
「や、やめてよ! なんか、恥ずかしいじゃん……」
「いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇんだからさ」
色紙が折れたり汚れたりしないようにカバンにしまい、俺は改めて櫛引に向き直る。櫛引はすでに犯罪者を見るような目でこちらを警戒し距離を取っていた。
「ま、とりあえず座れよ」
「嫌よ。あんたみたいな気色の悪い男に近づきたくないもの。あとであいつが触ったところ消毒しなきゃ……」
「俺を病原菌扱いするな。小学生かっつーの」
小学校時代のトラウマが蘇ってくるのでやめろ。誰だよ、最後に触られた人がばい菌ー! とかって考えた奴は。子供は純粋がゆえに悪魔にもなりうる。
「そんなことはいいんだよ。俺はお前と話をしたくてわざわざここまで来たんだ。高橋のことと、ついでに俺のことも。それと俺のスマホ返せ。櫛引が持ってるんだろ?」
「……高橋君?」
櫛引が高橋の名前を出した瞬間、餌に喰いつく魚のように反応した。
「ああ。座れよ。立ったまま話すのもしんどいだろ?」
「……嫌よ。あんたがキモ過ぎて生理的に受け付けないから」
「あれは俺の一瞬の気の迷いだ。謝るからひとまず座ってくれないか? この通りすまなかった」
俺は素早く土下座した。
「あんたってプライドないの?」
「そんなもの、とっくの昔に捨ててしまったよ。今の俺だったらなんでも言うことを聞ける気がする」
「うわ……じゃあ、『足を舐めなさい』って言われたら流石に――」
その程度で止まる俺だと?
俺はムカデのように櫛引の足元に接近し足を舐めようとしたところ蹴られてしまった。見事なサッカーキック……いてぇぜ……。
「ちょっ!? な、な、な……あんた何考えてるの!?! 信じられないんだけど!?!」
「ぐふっ……お前が言ったじゃないか。足を舐めろって。俺はその命令を忠実に従おうとしたまでだ」
「きっしょ! ああ、全身がゾッとした……ほんっっっっっとうに無理。私の視界に入るな!」
櫛引の容赦ない言葉を浴びせられるが、この程度かすり傷にもならない。
「冗談だ。さ、座って話しをしようじゃないか、星宮アズサさん」
「うっわきっしょ!?! カッコよく言ってるつもりかもしれないけど、空気が腐るから喋らないでくれる?」
「ふっ」
今の俺は何を言われても効かないのさ!
「……あんたの言う通り座るけども、また変なこと言ったりしたら今度こそ家から出て行ってもらうから。それと星宮アズサって呼ぶな! 次呼んだら刺す。わかった?」
「もちろん。アズチー……いや、櫛引の嫌なことはしないさ」
「……」
櫛引は渋々要求を受け入れ、おそるおそる足を進めて着席。
さっきよりも椅子を少し引いて座っているのが気になるが、ひとまずは後回し。
「そんでだ。俺に対してエアガンで脅したりスタンガンまで持ち込んで襲ってきたことは……不問にする。俺だって目の前で配信を見せられたらあまりの羞恥で出家を考えるだろうしな。だけど、やりすぎだ。一歩間違えたら捕まってたのは櫛引なんだからな」
「……あれは、ごめん」
「それでいい。アズチーのサインを貰ったからこの話は終わりだ。ああ、今日の夜はこの色紙を枕元に置いて寝よう!」
「その色紙返せ! 燃やしてやる! ねえ本当にキモいんだけど!? 私をおちょくってるの!?」
「全然。大好きだから一緒に寝たいだけだ」
「うわっ!? ねえ、本当に無理! あんた心底気持ち悪いから呼吸しないでくれる? あんたと同じ空気を吸っていると息がつまりそうになる!!!」
「おいおい。人様を毒ガスのように扱うな」
まったく。このクラスメイトは綾瀬以上に口が悪い。だけど!
アズチーのサインを貰った今の俺は最強! 何を言われても傷一つつかないぜ!
「ったく。ここからが本題だ。櫛引。お前は高橋に用があるんだろ? 多分だけど綾瀬と高橋が仲良くなったことに危機感を覚えて接近しようとした……間違いないか?」
これ以外に考えられない。櫛引は奥手なのか、それとも単に声をかけるタイミングがなかったのか。その両方かもしれない。もしくは敵対するかもしれない綾瀬が近くにいたというのも考えられるが果たして。
高橋と綾瀬が仲良くなり、俺を含めた三人で話すことが多くなった。
そのおかげで俺と綾瀬にまつわるくだらない噂話は消えてなくなったが、それに対して危機感を抱き始めたのは櫛引だ。
高橋は自覚こそないが、そのルックスと人柄の良さから男女問わず人気がある。
特に女子の多くは彼と仲を深めたいと思う人が多く、俺の知らないところで告白されたり連絡先を交換しようと聞かれたりするらしい。
が、告白はすべて断り、連絡先も曖昧にして交換しないことが多い。
優柔不断なのか、それとも女性に興味がないだけなのか、様々言われているが真相は闇の中。
俺は高橋がどんな考えをして思っているのか、超能力者じゃないのでさっぱりわからん。わかるのは『大好きはやめられない!』という漫画の世界では、高橋浩人がしゅじんこうであるということだけ。
綾瀬も櫛引もヒロインの一人だ。漫画のストーリー的には彼女らを高橋に繋げていかないといけない。が、俺の知っている展開とは程遠い日々を過ごしている。
俺が橘に転生してしまったが故なのか?
それとも別の些細な行動のせいでストーリーが変わってしまったのか。
仮にそうだとしたら、俺自身であるべき道へ修正しないといけないのだ。
「……」
「図星だな。高橋は想像以上に警戒心が強い。仮に連絡先を教えるように頼んでも応じてくれる可能性は低い。もちろんだが、俺が教えるのはダメだ。高橋はそういうの一番嫌っているからな」
「そうなんだ……」
「お前ってさ、高橋のことが好きなんだろ?」
櫛引はカエルのようにぴょい~ん、と椅子から飛び跳ねてしまう。
一目でわかってしまうあからさまなリアクションに苦笑してしまう。櫛引って嘘が余りつけないタイプなのか?
「な、な、な、な、何を言ってるのか理解できないな~?」
「はいはい。わかりやすいリアクションありがとう。今のお前が高橋に告白しても失敗に終わるだけだ。やめておけ。あいつは恋愛とか、そういうのはあまり興味ないっぽいし」
「え……」
「俺は高橋とは一年の時から一緒だ。それくらい肌で感じるもんだ」
橘の記憶をたどっても高橋が誰誰を好きだの、○○が気になる発言は聞いたことがない。これは確かな情報だ。ただ、櫛引は俺の発言が不服なのか、ぷくっとハムスターのように頬を膨らませている。可愛いな、おい。
「まずはあいつと友達にでもなって、それからアプローチを仕掛ければいいさ。ま、頑張れよ。以上。とりあえずスマホ返せ」
「……」
櫛引はゆっくりとその場から消え、リビングのドアからトントンと音がした。
二階に上がって自分の部屋に行ったのだろうか。しばらくして戻ってきた櫛引は俺に向けてスマホを投げつけて返却。危うく落としそうになるがギリギリでキャッチ。
よかった……マイスマホはご無事のようだ。おかえり、俺のスマホちゃん。
「意味わかんない。なんであんたが私と高橋君のために行動するの? なんのために? 私はあんたに酷いことしちゃったし、嫌いになってもおかしくないのに。わざわざ手帳を返しに来てくれた。あんたには何一つ得にならないのに」
櫛引のご指摘はごもっとも。疑うように櫛引は言ってきたせいで、俺はしばらく腕を組んで思案する。
そりゃあ、この世界は漫画の世界で俺は橘っていう役割をまっとうしているだけでーっ、と言えればいいが、そんな世界の根本を歪めてしまう可能性がある以上、下手なことは言えない。
ま、本当なら櫛引の件はどうだっていいこと。だけど、この世界に来て思ったのは、案外悪くねぇなって満足感を得ている点だ。
高橋はいい奴だし、綾瀬は少しヤンキーっぽい一面が出てくるが、悪い奴でもない。他にも名前を忘れたがチャラチャラした奴もバスケ馬鹿もいて楽しい。
橘になる前の俺からは考えられないほど、一日すべてが充実している。
夢でもいい。事後の世界だったとしてもいい。ただそれだけだ。
「理由が必要なのか?」
「それは……」
「俺は自分がやり立ちようにやっているだけだ。櫛引」
「なによ」
「お前さ学校の時みたいな猫を被るんじゃなくてさ、今みたいな素の櫛引の方が俺は好きだけどな」
「……は?」
「学校にいるときの紙切れ一枚の薄っぺらい仮面なんて外してさ、今の櫛引で過ごしてみろよ。勿体ないな」
「は? はあっ!? なに言ってんの!?」
「なにって、思ったことを口にしただけだけど?」
「っ……! 出て行って!」
「え?」
「出てって! もう、バカ! キモイキモイキモイキモイキモイ! ああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
「……えぇ」
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