第48話
寮に残る他の生徒を起こさないよう注意しながら、女子寮の裏庭に降りる。途端、エレンはそこで待っていたアレスに抱き締められた。
「ひゃわ」
「あ、ごめん。会えたのが嬉しくて、つい……」
驚いて小さな悲鳴を零したエレンに、アレスが頬を掻いて苦笑する。
「……そんなに、嬉しかったんですか?」
「うん」
エレンが尋ねれば、アレスは素直に頷く。
「君に会えない一月がこんなに寂しいものだとは思わなかった」
その言葉に、エレンはまた、何かが自分の中にストンと落ちるのを感じた。
――寂しかった。
寂しかった。
エレンは、寂しかったのだ。
一人、学園で過ごす夏休みは確かに平穏だったけれど、それだけだった。まるで心のどこかにぽっかり穴が空いたような――そんな感覚が、常に付きまとっていた。部屋の壁に掛かったカレンダーを、懐中時計の日付を見つめたのは、一度や二度ではない。
でも――
俯いてしまうエレンに、アレスが微笑みかける。
「……好きだよ、エレン」
エレンの肩を捕まえたまま、臆面もなくそう告げる。アレスに伝わってしまうと分かっているのに、エレンはぴくりと震えてしまった。
けれどアレスは、エレンを放してくれない。
「何度だって言うよ。だって僕は君が好きなんだから。言っちゃいけない理由なんてないだろ?」
確かに、アレスにはないのかもしれない。けれど――
「……わたしには、あります」
アレスの胸に手を当て、ほんの僅かに押す。外見に反してしっかりした胸板は、彼がエレンとは違う性別なのだと実感させた。
「……わたしは帝国貴族です。それも最下級の男爵で、元孤児で……将来は帝国の魔法兵となるべく勉強しています。殿下は――ノイエシュタットの王子です。わたしとは、本来、こうして気安く言葉を交わせるような間柄ではありません」
俯いたまま、ぽつりと零す。そんなエレンに、
「じゃあ僕が王子じゃなかったら?」
けろりと問いかけたアレスのその言葉に驚いて、エレンは思わず顔を上げてしまった。
「顔、やっと見れた」
ようやく見ることができたエレンの顔に、アレスがにっこりと微笑む。それから、いつかと同じように尋ねる。
「ねぇエレン。僕のことは嫌い?」
「そんなわけありません!」
「じゃあ好き?」
「そ……! れは……」
一問目に即答した勢いで口を開いてしまったが、エレンは言葉に詰まり顔を逸らす。
「殿下は……わたしのような人間が好きになっていい方ではありません」
それは、エレンなりの気持ちの割り切り方だった。
だというのに、何故だかアレスは「ふーん」と面白そうにエレンをじろじろと眺め、ニヤリ。
「それって『僕』が王子じゃなくても好きってこと?」
「え……?」
思わず戸惑いの声が零す。そんなエレンにアレスは、言質を取ったとばかりに口の端を吊り上げる。
「だって立場がなかったら言えるんだろ? それって僕が王子じゃなかったら言えるって事だよね? 違う?」
「なっ……!」
浮かべられた悪い笑みに、エレンは瞬時に真っ赤になった。
そんなエレンの手を取って、けれど手の甲でも指先でもなく、アレスはその手首に口づけをする。頬を寄せ、唇を滑らせ、まるで懇願するかのように。
アレスはもう、分かっているのだ。エレンの気持ちなんて、とっくに。
それでいて、エレンが言うのを待っているのだ。
――本当に本当に、いじわるでズルい
「んっ……」
チュッと。リップ音を立てて、アレスが左手の薬指――その根元に口づけを落とす。エレンは思わず目を閉じて、フルリと震えた。目を開けば、エレンを見る蒼い瞳と目が合う。
優しくて穏やかな、けれど奥底に熱を秘めた目だった。
そんな蒼い瞳に見つめられたら、もうダメだった。
「で、殿下は……」
エレンは途切れ途切れになりながらも、言葉を絞り出す。
真っ赤になって震えて、それでも。
「あなたはずっとわたしの王子さまです。あの日、初めて私の手を掬い上げてくれたあの時から、ずっと……」
だから――
「好きです、アレス様」
エレンは告げる。
その瞬間――
「い……やったああああああああああ!」
「ひゃあっ!」
歓声を上げながら、アレスがエレンを抱き上げた。エレンの腰のあたりを両腕で抱きかかえ、そのままくるくると回る。
アレスはまるで、子供のようにはしゃいでいた。
くるくるぐるぐると目が回りそうなほど回って。それからアレスは急に止まる。しかし回転の勢いを殺しきれず、アレスがエレンを抱き留めてくれるが、エレンは彼の頭を抱きかかえる形になった。
そんなエレンを見上げ、アレスが目を輝かせる。
「ほんと、ほんと? 嘘じゃないよね」
「ほ、本当です。その……」
言い淀む。改めて言うのは、なんだか気恥ずかしかった。けれど、いうことに躊躇いはなかった。
「お慕いしています、アレス様」
そうふわりとはにかんだエレンをぎゅっと抱き締めてアレスが笑う。
捕まえたと、もう放さないと言わんばかりに。
「大好きだ、エレン」
その力強さが、なんだかエレンには嬉しかった。
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