第38話

 アレスに連れられて貴賓室にやってきたエレンは、促されるがまま暖炉前のソファに腰掛けた。


「あの……」

「身体が冷え切っているな……ちょっと待って」


 話を切り出そうとするエレンを遮って、アレスは薪棚から薪を数本暖炉にくべ、手をかざす。


「火よ」


 その一言で、ボッと薪に火が灯る。魔法――火属性魔法しか使えないエレンと違い、アレスは全属性に適性がある。得意魔法は水、次いで風属性だが、暖炉に火を起こすぐらいは息をするようにできる。


 この時期にしては珍しい暖炉の火に、エレンは知らずホッと息を吐く。その隣に、アレスが流れるように座った。


「朝ご飯は? 食べた?」

「それより――」

「食べてないんだね? ローレンツ」

「はっ」


 アレスの呼び声に一声応じ、ローレンツが隣室へと姿を消す。程なくして戻ってきた彼の手には、ティーポットの載せられたトレーがあった。その隣には、一口大に切り揃えられた色とりどりのサンドイッチ。

 ソファ傍のサイドテーブルに置いて、紅茶を用意すると、ローレンツはまた壁際に戻った。気配を消して、まるで壁と同化しているよう。


「はい、エレン」


 とカップを渡される。思わず受け取ってしまうが、とてもじゃないけれど優雅にブランチ、という気分にはなれない。事態はそれどころではないのだ。しかし、


「あのっ、アレ――むぐっ!?」


 開きかけたエレンの口を、サンドイッチが塞いだ。

 サンドイッチをエレンの口に突っ込んだ犯人は――もちろん、アレス。


「あえふ、なにふるの!」

「はい、噛んで。はい、飲み込む」


 エレンの抗議も無視して、アレスはぐいぐいとサンドイッチを押し込んでくる。

 逆らえずエレンはされるがまま、サンドイッチを咀嚼して飲み込んだ。口の中の水分が全て持って行かれて、喉に詰まりかける。仕方なしに飲んだ紅茶は、すぐに飲めるようにかほどよい温度に冷まされていた。

 ごっくん。サンドイッチを無事に嚥下する。


「うん、良くできました」


 満足げに頷くアレスを、エレンは思わず睨んだ。


「もう! 何するの、アレス!」

「美味しかった?」

「それは……美味しかったけど……」

「よかった。ローレンツのお手製なんだ。じゃあ、はい。次はこれね」


 と言って、今度は別の具が挟まったサンドイッチを口元に差し出してくる。

 いわゆる、『あーん』状態だった。

 思わず頬を赤らめるエレン。けれどそれに気付かないふりをして、アレスは優しい微笑を向けてくる。


「あ、あの、アレス、その……」

「ダメだよ、エレン。食べなきゃ話は聞かない。ほら、口を開けて。あーん」


 逃げようにも、またしてもいつの間にか腰に手を回されていて逃げられない。なんでアレスはこんなに人の逃げ道を塞ぐのが上手いのか。


「っ、っ……!」


 観念してエレンはアレスの手からサンドイッチを口にした。指の先端が唇に当たって、それだけで腰が引けてしまう。極めつけはエレンがサンドイッチを咀嚼している間にアレスがその指をペロリと舐めるものだから、エレンはもうどうしていいか分からず、真っ赤になってぷるぷると震えるしかできなかった。


「ほら、エレン。まだあるよ」

「も、もう大丈夫だから! 落ち着いたから!」


 繰り返すこと数回。次々とサンドイッチを差し出してくるアレスに耐えきれず、エレンはとうとう根を上げた。


「……本当?」

「本当!」


 訝しげな目で覗き込んでくるアレスに、ぶんぶんと首を縦に振る。

 アレスは渋々といった様子で、サンドイッチを更に戻した。


「ちぇっ……楽しかったんだけどな」


 そう言って唇を尖らせる。

 ……その呟きは聞かなかったことにしておこう。

 表情を凍り付かせたエレンを見て、クスリ。それからアレスがふと表情を和らげる。


「元気が出たならよかった」


 その優しい微笑みに――二度と見られないと思っていたその笑みに、エレンの目の端から、再び雫が零れ落ちた。


「エレン!?」

「だ、大丈夫! なんだか、安心しちゃって……」


 慌てふためくアレスに、エレンは笑顔を返す。けれど零れ落ちる涙は止まってくれなかった。

 そんなエレンを――アレスはゆっくりと抱き締めた。彼は酷く沈痛な面持ちで、エレンを抱く腕はまるで壊れ物を扱うように優しかった。


「……僕は死んだのか。死に戻りも、せずに」


 強張った声音で確認するアレスに、エレンは頷く。

 アレスは数秒の後、少しだけ身を離すと、間近からエレンを見つめた。


「何があったか、聞いてもいいかい?」


 そう尋ねる瞳は微かに揺れていて。

 エレンはもう一度小さく頷くと、『未来』を静かに話し始めた。

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