第39話

「そうか……そんなことが……」


 エレンから事の顛末を聞き終えたアレスはそう呟いて、エレンをそっと抱き締めた。


「ごめん、エレン。痛かっただろう、怖かっただろう。自分で死ぬのは」


 きつく目を閉じて、優しくエレンの頭を撫でてくれる。

 アレスも知っているのだ。自分で自分を殺す――その一瞬の恐ろしさを。

 でもエレンには、それより恐ろしいものがあった。


「アレスがいないほうが、怖かったから」


 ゆるゆると首を振り、何でもないことのように応える。


 アレスの死体を見た時――アレスの死を実感した時。この先ずっと、彼のいない人生を歩んでいくのかと考えた時、エレンは目の前が真っ暗になった。それこそ、世界が闇で閉ざされたような――それに比べたら、死ぬのなんてなんてことはなかった。


 消したはずの未来を思い出し、エレンの身体は知らず、小刻みに震え出した。


「エレン……」


 そんなエレンをぎゅっと抱き締め、アレスは囁く。


「大丈夫。僕は生きてる。ちゃんとここにいるよ」


 その声が、体温が、エレンの恐怖を少しずつ消してく。

 ――アレスはエレンの震えが完全に止まるまで、そうしてくれていた。

 エレンが落ち着いたのを見計らって、アレスはゆっくりと身を離す。それから難しい顔で半ば独り言のように口を開いた。


「それにしても、そうか……ローレンツが敵わないとなると厄介だな。対処しようにも情報も少ない……外部犯か、内部犯か。帝国の関係者か、それとも完全な部外者か……」


 その呟きに、エレンは目を見張る。


「帝国がアレスを殺したって言うの……?」

「分からない」


 アレスは即答して、首を横に振った。


「帝国は昔から、王国に攻め入るチャンスを窺っていた。戦争のきっかけを探しているのは事実だろ。一方で、留学中に僕が死んだとなれば、それは帝国側には瑕疵だ。攻め入るにしても大義名分は得づらい……逆に、王国が仕掛けるのを待っているという、見方もできなくはないが」


 アレスは口元に手を当てて考え込む。ここが帝国領内である以上、アレスにとっては味方より敵の方が多いのは事実。可能性は捨てきれないのだろう。なにより――


「……一度目では起きなかったことが起きているのは間違いない。この間の魔獣襲撃もそうだ。僕らが死に戻って行動を変えたことで、少しずつ歯車がずれてきている。今回の僕の暗殺もそうだ」

「暗殺?」


 どうして暗殺だと断定できるのだろう、とエレンは首を傾げる。

 その疑問を、アレスは読み取った。


「エレンが発見するまで誰にも見つからなかった――ということは、部屋の外にまで聞こえるような戦闘は起こらなかった、ということだ」


 確かに、とエレンは納得する。室内は綺麗なままで、大立ち回りをしたような形跡はなかった。


「確実に、暗殺者の類いだろう。ローレンツが真っ向から勝負を挑まれて負けるとも思わないしね」


 嘆息するアレスにエレンは目を丸くして、思わず部屋の隅で壁と化しているローレンツを見てしまう。


 ローレンツ・レプシウス。アレスの従者兼護衛の騎士。かなりの技量の持ち主だとは思っていたけれど、アレスが全幅の信頼を寄せるということは、相当強いのだろう。なんだかアレスがそこまで言う相手というのも、珍しい気がした。


 目を瞬かせるエレンの考えを読み取り、アレスがふて腐れる。


「……言いたくないけど。僕は剣の腕で昔っからロンに勝てたことは一回もない」

「魔法有りでも勝ったことないでしょう」

「余計なことを言うな」

「事実でしょう」


 ジトッと睨むアレスに、壁をやめたローレンツが平然と応える。

 主人と従者とは思えない二人のやりとりに、エレンは毒気を抜かれてきょとんとしてしまう。


 正直言って、アレスは強い。魔力量でいえばエレンの方が圧倒的なのだが、総合的な実践技術でいえばアレスに軍配が上がる。魔法は全属性使えるし、応用して複合属性の派生魔法も習得している。操作精度も高いし、もちろん身体強化系の補助魔法も使える。その上で体術や剣術は一通り修めているのだから、隙がない。運動神経が壊滅しているエレンとは大違いだ。


 ――そんなアレスですら、ローレンツには敵わないのか。


「殿下は器用貧乏がすぎるんですよ」

「おい」

「ともあれ、自慢じゃありませんが、それなりに腕に覚えはありますので。俺に『真っ向から挑んで』倒せるのなんて、それこそウチの師匠ぐらいじゃないでしょうか」


 アレスを無視してさらりと言ってのけたローレンツは、「あ」と思い出した可能に付け加える。


「でもエレン様には多分負けます」

「――だ、そうだから。エレン、安心していいよ」

「ええええ……?」


 まるで自分のことのように誇るアレスに、エレンは困惑の声を上げる。何を安心しろというのか。それにいざ相対したら絶対、灰に変えるよりも早く斬り捨てられる確信がある。

 うんうんと唸るエレン。その隣で、アレスはあっけらかんと締めくくる。


「――ということで。ローレンツが殺されるなら、余程裏の技術に精通しているか、不意を突いたかしかあり得ないっていうこと」


 その結論に急に不安が込み上げてきて、エレンはアレスの袖を摘まんだ。


「エレン?」

「……わたし、アレスの護衛になる」

「エレン、それは……」


 アレスがぐっと言葉を飲み込む。一瞬の逡巡。次に出てきたのは、否定だった。


「ダメだ」

「どうして……!」


 アレスでもローレンツでも勝てないなら、戦力を増やすのが順当だ。たとえ彼らのように剣の腕はなくとも、エレンには〈灰焔〉がある。発動するのに必要な、僅かな隙さえあれば――


「……僕はエレンに誰も殺して欲しくない」

「……っ」


 そんなエレンの考えなど、アレスはお見通しだった。

 一度目の人生の二の舞にならないよう、アレスが極力、エレンを戦いから遠ざけようとしていることは知っている。でも、それでアレスが死んでしまうのなら、エレンは――


「――それに」


 俯いてしまったエレンの頭にポンッと手を置き、アレスがふわりと微笑む。


「四六時中、僕に張り付いているわけにもいかないだろ? 明日からは試験も始まるし、男子寮にだって入ってこられない」

「それは、なんとか――!」

「ダメだよ」


 アレスは再び、けれど先程よりも優しく、エレンを諭すように首を振る。それからコツンと、エレンと額を合わせて。至近距離から見つめてくる瞳は、まるで凪いだ湖面のように穏やかだった。


「僕はエレンの学校生活をめちゃくちゃにしたいわけじゃない。僕が生き残れたら、当然、その先はあるんだ。その時のことを蔑ろにしちゃいけない」


 それに、と付け加えて。


「今度の学校生活は楽しいんだろ?」


 その問いかけに、エレンは思わず固まってしまった。

 マリアンネからの執拗な嫌がらせも、ジークハルトからの嫌味もない学校生活。ルドヴィカという無二の友達もできた。

 ――楽しくないわけが、なかった。


 くすりとアレスが笑む。


「だったらなおさら大切にすべきだ。僕らはやり直せる機会を得たけれど……同じ時間は二度と訪れないんだから」


 たとえやり直せたとしても、それが今までと同じ道筋を辿るとは限らない。未来を変えようとしているならなおさら。『今』の学生生活は、今しかないのだ。

 何も反論できず、エレンは自身の頬に添えられたアレスの手にそっと自分の手を重ねた。


「……だったらせめて、一緒にいられる時間は一緒にいさせて。わたしだってアレスを守りたいの」

「エレン……」


 強張った声でそう告げる。そんなエレンに、アレスは悲しげな顔をした。

 アレスも葛藤しているのだ。自分の死と、未来のこと、それからエレンの気持ちを天秤に掛けて。

 フッとアレスが苦笑する。


「ならできる限りはこの部屋にいることにするよ。それならエレンと一緒にいられるだろ?」


 それは幼子に言い聞かせるような、優しい声音だった。

 こくん、と。迷った末に頷いたエレンを抱き締め、アレスは微笑む。


「ありがとう。エレン」


 まるで幸せを噛み締めるような、そんな一言だった。



   *



 そうして、試験期間は幕を開けた。

 直前に受けたばかりなので、試験内容が頭に入っているエレンは余裕――だったのだが、驚くべきはアレスだった。なんと彼は、勉強らしい勉強を全くしていなかったのだ。

 ということはつまり、二週目の人生でエレンと会うのは避けていたのは、自分がそれなりにエレンの邪魔をしている自覚があったということ。

 その事実にエレンは憤慨しそうになったが、覚えていないアレスに言っても仕方ないと、嘆息一つで諦めた。


 問題は――エレンの精神面だった。

 前半戦が終わり、迎えた週末休み。この日もエレンとアレスは、いつもの貴賓室で過ごしていた。

 授業も試験もない穏やかな休日。

 しかし、エレンの気は全く休まらなかった。


 アレスが殺されるのは、試験最終日――四日後だ。

 だが運命というものがあるとして、その歯車がずれてきているというのなら、暗殺時期がずれる可能性だってある。いつ起こるとも分からない暗殺を警戒して、エレンは常に気を張りっぱなしだった。

 そんなエレンを見かねて。


「エレン、ちょっといいかな」


 その日、アレスはそんな言葉でエレンをある場所へ連れ出した。

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