第35話

「えっ、じゃあ国王様、わたしのこと知ってるの?」


 数日後のことだった。

 翌週の定期試験に向け、アレスの貴賓室で勉強をしていたエレンは、何気なく発覚した衝撃の事実に、思わず素っ頓狂な声を上げた。


 試験勉強は余裕なのか、執務机で何やら書類に向き合っていたアレスはソファに座るエレンを見下ろして、「そりゃそうだよ」と応える。


「言っただろ、裏で糸を引いてるやつを調べてるし、戦力の増強もしてるって。僕の一存でどうにかできる話じゃない。当然、国王父上には死に戻ったことは明かしてあるよ。――で、もう一回ユヴェーレンに留学するかしないかって話になったときにバレた。『女か』って」


 確かに。戦争が起こると分かっているのに、敵国に留学させる馬鹿はいない。それが一国の王子ともなればなおさらだ。しかし――


「お、女って……」


 言い方! 他に言い方はなかったんですか国王様!? ていうかアレスはそういう説明をしたの!?


 まるで息子の色恋沙汰を嬉々として探るそこら辺の親父のような国王の姿が脳裏に浮かんでしまい、エレンは思わず気恥ずかしくなる。――まぁ会ったこともなければ肖像画を見たこともないので、顔は分からないのだが。


 そんなエレンを見て、アレスは頬杖をついたまま、悠然と微笑む。


「いいじゃん。だって僕はどのみちエレンと結婚する気だし。それに、前の人生でも言ったろ? ゆくゆくは家族に紹介したいって」

「それは……そうだけど……」


 エレンはつい口籠もってしまう。するとアレスがおもむろに立ち上がり、エレンの隣に滑るように座り込んだ。当然のようにエレンの肩を抱く。


「死に戻ったのが僕だけだったならもう一度落とすつもりだったけど。まさかエレンがエレンのままだったなんて、本当に嬉しい。熱烈なプロポーズもしてくれたことだしね」

「プロポ……!?」

「僕を幸せにしてくれるんでしょ?」


 ニコニコとキスの雨を降らせてくる。逃げようにも、いつの間にか腰に手が回されていて逃げようがない。


 この間の和解――魔獣襲撃の一件からこっち、アレスのスキンシップが過剰になっている気がしてならなかった。憚らなくなった、というか。ジークハルトを牽制するための『見せつけ』は減ったが、こうして人がいないところでは、容赦なく『甘い』モードになるのだ。甘えてくるし、甘やかしてくる。

 おかげでエレンは、一向に試験勉強が捗らなかった。


 一度目の知識はあるし、実技は身体が覚えている。――が、『試験』となると話は別だ。試験でしか使わないような知識なんて、死に戻ってからの数年間で忘却済みだ。

 だというのに。


「ひゃう!」


 首筋に唇を寄せてきたアレスに、エレンは思わず変な声を上げてしまう。

 咄嗟にアレスを見れば、満足げな笑み。

 エレンはさすがに若干――本当に若干『イラッ』とする。

 試験なんて余裕と言わんばかりに絡んでくるアレスのせいで、勉強は一向に進まなかった。


 というか、実際アレスは余裕なのだろう。一度目の人生でも、エレンはアレスが勉強しているところなど見たことがなかった。それでいて成績は常にトップ。そのためエレンは今回もこうして勉強を教えてもらっているのだが――当の先生役がこの調子では、逆効果だった。

 それに……


 エレンはぐいとアレスの胸を押して距離を取る。


「エレン?」

「た、確かに……それはそう、だけど……」


 アレスと一緒にいたい。その気持ちに偽りはない。けれど――


「わたし、帝国貴族だし、男爵だし、元は孤児だし……」


 言いながら、自分のが並べた事実にどんどんと自信がなくなっていく。

 対立国の貴族で、しかも下級貴族。更には、血筋はどこの馬の骨とも分からない孤児だ。

 どれもこれも、王子であるアレスと結ばれるには相応しくない。

 しかしアレスは拳を握り、「大丈夫!」とエレンを励ますように明るい声を上げた。


「ウチの国は代々恋愛結婚が多い! 政略結婚で王家を内部から破綻させるよりも、まずは王家が安泰であることが重要! 要は妃に相応しい人物であるかどうかだから」


 だから心配しないで。暗にそう告げるアレスだったが、エレンの気持ちは晴れなかった。

 ――思い出すのは、真っ白な灰が降りしきる平原。

 エレンは帝国の傀儡になって、アレスが守るべき王国の民をたくさん殺した。そんな自分が、王子である彼の妃に相応しいとは思えなかった。


 そんなエレンの内心を、アレスは見抜く。


「――エレン」


 アレスは表情を和らげ、エレンの手を取った。


「未来を変えるんだろ? ――今度は、エレンは誰も殺さない。誰も殺させない」


 そうしてふわりと微笑む。


「だからその時が来たら、堂々と胸を張って、父上に挨拶しに行こう。ね?」


 その言葉が、笑みが。暗くなったエレンの心に、小さな灯りをともしてくれる。

 ――そうだ。エレンは、一人じゃない。

 アレスがいる。アレスと一緒に、エレンは彼と笑い合える未来を作るのだ。

 その事実が、エレンに勇気をくれる。

 気付けばエレンは、口元に笑みを浮かべていた。


「……うん」


 それはまるで、道端の野草が花を咲かせるような、細やかな微笑だった。


「さて、と」

「きゃっ」


 そんなエレンを膝の上に抱え上げ、クスリ。悪戯な笑みを浮かべたアレスが、エレンの顔を覗き込む。


「――の前に、まずは最初の試験をクリアしないとね」

「アレスが邪魔してるんでしょー!?」


 しれっと言ってのける大元凶お邪魔虫に、エレンはとうとうキレた。

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