第33話

「えっ、わたし?」


 突然の名指しに、エレンは思わず自分を指さしてしまう。

 アレスは硬い表情で肯定した。


「帝国と王国の戦力はかなり拮抗している。けれどエレン、君の力は別格だ。たった一人で戦争をひっくり返すだけの力がある。僕らが死んだあの平原での戦いのように。――エレン。それは君も、どこかで自覚しているんじゃないか?」

「それは……」


 エレンは思わず口籠もってしまう。

 自分の力が『普通じゃない』と思ったことは何度もある。しかしそれが戦争を左右するほどだとは思わなかった。けれど――考えてみたら、そうだ。


 もし――もしエレンがいなかったら、帝国は王国に勝っていただろうか?


「君という戦力が手中にあったから、帝国は戦に踏み切ったんだろう。……ジークハルトの婚約者に据えたのもそのためだ。僕が君と懇意にしていたから、王国に君を取られると思ったんだろう」


「ちょ、ちょっと待って。その言い方だと……まるで帝国と王国が、皇太子殿下とアレスが私を取り合ってたみたいに聞こえるんだけど……」


「実際そうだったんだよ。エレンは知らなかったと思うけど、在学中、僕がどれだけあいつを遠ざけるのに苦労したか。――結局、帝国に取られたけど。あんの蛇野郎……エレンをなんだと思ってやがる」


 チッとアレスが舌打ちして、胡乱な目で明後日の方向を睨む。


(舌打ち!? 今、舌打ちしました!?)


 はわはわするエレン。しかしアレスは気付いていないのか、けろりとしている。


「だから今回はなるべく、エレンの力が明るみに出ないようにしてたんだ。それと恋人アピールして、エレンはもう王国のものだって牽制してたんだけど」


 その言葉に、エレンは「あっ」と気付く。


「……もしかして、オリエンテーションの時、アレスがいなかったのは……」

「そ。デモンストレーションを中止するように要請してたんだ。結果としてできなかったけどね。さすがに、他国の王子が権力を振りかざすわけにもいかないし」


 ふぅと疲れたように息を吐くアレスを見て、途端、エレンの中に申し訳なさが込み上げてくる。


「……ごめんなさい。わたし、何も考えていなくて……」

「いいよ。僕が好きになったエレンはそういう子だ……ていうか、もっと好きになった」


 アレスが気恥ずかしげに笑う。どこか悪戯っぽいその笑みに、エレンは顔が熱くなるのを感じた。多分、また真っ赤になっていることだろう。

 なんて返していいか分からず戸惑っていると、ふいにアレスが繋いだ手を引き寄せる。そうしてエレンの瞳を覗き込んだ。


「エレン、最善を尽くすと約束する。でも、もし君が奪われるようになった時は、攫ってでも本国に連れて帰る。それだけは覚えていて欲しい」


 アレスが真っ直ぐにエレンの目を見て告げる。けれどそれは、決して嘘なんかじゃなかった。

 ――アレスの覚悟の証。

 だからエレンもアレスをしっかり見つめ返して、頷いた。


「分かった。そうならないように、私も頑張る」

「エレン……」


 アレスが囁き、ふとエレンの顎を指先で掴む。ゆっくりと顔が近づき、下ろされていく瞼。影を作る長い睫毛。その艶っぽい顔にエレンは気付く。


(これって……)


 ――キス。


 その二文字が脳裏に浮かび、エレンは咄嗟に逃げ出しそうになる。けれど手と顎を捉えられ、そんなに強い力じゃないはずなのに、何故だか身体が動かない。

 その間にもアレスの顔は近づき、とうとう鼻が触れ合う。

 エレンが覚悟して、ぎゅっと目を瞑った――その時だった。


「ドレッセル! ドレッセル、いますか!?」

「無事だったら返事をしろ!」


 エレンを探す教師たちの声に、二人はパッと離れた。

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