第32話
「……未来を視たんだ」
――どうして帝国を滅ぼすなんて言ったの?
鬱蒼とした森を歩きながらそう尋ねたエレンに、アレスはぽつりと応えた。
エレンはアレスに手を引かれ、授業開始地点に向かっていた。エレンの活躍によって魔獣の脅威はとりあえず去ったということ、それにエレン自身の無事も報せたほうがいいというのがアレスの判断だった。
「未来を……?」
「あぁ」
道を塞ぐように張り出した巨木の根を跨ごうとするエレンに、前を歩いていたアレスが手を差し出す。エレンは迷うことなく、その手を取った。
右足で先に根を越え、後ろ足も――と思ったところで、後ろ足が根に引っかかった。
「ひょあっ」
「おっと」
倒れ込むエレンをアレスが抱き留める。
「まったく、エレンは本当おっちょこちょいだなぁ」
「スミマセン……」
「何でカタコト。別に気にしてないよ」
くすくすと笑うアレスに、エレンはつい頬を赤らめてしまう。この運動神経の悪さだけは本当どうにかならないものか。
二人はしっかりと手を繋ぎ、再び歩き出す。魔獣の残党処理が進んでいるのか、森の中は静かだった。
「死んで、死に戻るまでの間。僕は、僕が死んでから先の未来を視た。そこにあったのは――地獄だった」
森を進みながら、アレスは語った。
エレンとアレスが死んだあの戦場――あの戦いが決定打となり、王国は帝国によって滅ぼされたこと。王国崩壊後、旧王国領の混乱は長らく続き、各地で武装蜂起や内乱が耐えなかったこと。それによって戦時下以上に、多くの民が死んだこと。
「……許せなかった、帝国を。僕から全てを奪った帝国を。奪うなら、奪ってやると思った」
だから『滅ぼされる前に滅ぼす』。
アレスの口調こそは穏やかだったが、その言葉の端々からは帝国への憎しみが溢れ出ていた。
エレンは居たたまれなくなり、つい視線を落としてしまう。
複雑な気持ちだった。
アレスが憎む帝国――けれどエレンもまた帝国の民であり、帝国はエレンの故国だ。そして王国を崩壊に追いやった一因は、他ならぬエレン自身にある。でも、帝国がしたことを許せるかといったら、そんなことはない。エレンもまた、帝国に脅された立場なのだ。
そもそも――
「……ねぇ、アレス。そもそもなんだけど……どうして戦争は起こったの?」
おずおずとエレンは尋ねる。我ながら馬鹿な質問だと思ったが、二度目の人生を迎えた今も、エレンは戦争が起こるに至った経緯をよく理解できていなかった。
学生時代は籠もりがちで世間の話に疎かったし、徴兵されてからは国に使われるばかりだった。しかし知る機会も与えられなかったけれど、エレンは知ろうともしなかった。
気が付いたら王国との戦が始まっていた。それがエレンも含め、多くの国民の認識だ。
けれどエレンは知らなくてはいけない。エレンとアレスが死ぬ原因となった戦争を回避すると決めたのだから。
しかしアレスはそんなエレンを笑うことなく、ただどう説明したらいいか考え込むように、少し難しい顔をした。
「どこから話したものかな……王国と帝国が水面下で対立しているのは、前に話したよね?」
「うん」
「本当はそのあたりにも根深い理由があるんだけど……その辺りの歴史的背景は機会があったらにしよう。――始まりは、帝国領・南東諸島で起こった原住民族たちの小競り合いだった」
アレスはそう語り出す。
「南東諸島が『東西の火薬庫』って呼ばれてるのは知ってる?」
エレンはこくりと頷いた。
西大陸を支配するエーデルシュタイン帝国と、東大陸を支配するノイエシュタット王国。世界を二分する両国は巨大な内海によって隔たれおり、基本的にそれなりの距離がある。しかしいくつかの地域では、陸続きと言って差し支えないほど土地が近くなっている場所があった。
その一つが帝国領で『南東諸島』と呼ばれる地域だった。
南東諸島はその名の通り小さな島が点々と浮かぶ地域で、その島々には古くから独自の文化を持つ民族がいくつも住んでいる。
そのため状勢が不安定で、いつ諍いが起きるか分からない。帝都からも遠いため、皇帝の威光が行き届く地域でもない。もし戦火となれば、その火は王国領南方地域にも飛び火するだろうと言われている。
故に、『東西の火薬庫』。
「その南東諸島で争いが起きた。最初は小さな喧嘩みたいなものだったけれど、やがていくつもの島々、いくつもの民族の間で争いが起き、島を追われた人が王国領へ逃げた。……そこで、略奪が起こった」
「略奪って……」
「まぁ負けた側の常だよ。彼らも生きるために必死だからね」
なんてことのないように言って、アレスは続ける。
「この件を王国は帝国に抗議した。両国の間では諸島の内乱の鎮圧や王国側の損害について、何ヶ月にもわたって話し合いが続いた。――その最中だった」
ギリとアレスが奥歯を噛み締める。
「妹が――王国の第一王女・リーゼロッテ・ノヴァ・ノイエシュタットが何者かに殺された」
「あ……」
エレンは思い出す。
そうだ。確かあれは、エレンが二学年に進級してしばらく経った頃だった。
アレスは帝国との関係悪化を受けてその前年度の末、留学期間満了を待たず帰国しており、エレンは一人、灰色の学園生活を送っていた。その話はそんな時、飛び込んできた。
――ノイエシュタットの王女が暗殺された。
その不穏な話は学園にも届き、世間話に疎いエレンの耳にまで入ったほど。アレスに妹がいたとは聞いていたが、まさかそんなことになるとは微塵も想像しておらず、驚くと同時にエレンはアレスの身を心配したのを覚えている。
――彼にとっては妹もまた、奪われたものの一つだったのだろう。
しかし悲劇は、そこで終わらなかった。
「……王国は現場の状況などから、帝国側の関与を疑い、調査を始めた。その翌月だった。――帝国の第二皇子・ローデリヒ・ツヴァイ・エーデルが殺された」
それは帝国からすれば、まるで王国側からの報復であるように見えた。
「帝国はこれを、王国の仕業だとした。当然、僕らは関与を否定したけどね。……聞く耳なんて持たなかった。あとは泥沼さ」
そうして、戦争が始まった。
一連の話を聞き、エレンはつい黙り込んでしまう。口元に手を当て、考える。
おかしい。確かに戦争に至った流れは分かる。けれど――
「……上手く出来すぎてる気がする」
「僕もそう思う」
緊張した面持ちでそう指摘したエレンに、アレスもまた同意する。
「結局、リーゼロッテを殺した黒幕が誰なのかは分からなかった。それに、ローデリヒ暗殺に関しても、王国は寝耳に水もいいところ。南東諸島での小競り合いも、何が原因だったのか詳しくは分かっていない」
「それって……」
エレンは愕然と呟く。アレスは深く頷いた。
「そう。あの戦争は、誰かが裏で糸を引いている可能性がある」
その衝撃の推測に、エレンは思わず足を止めそうになった。
「既に王国側の調べは概ね完了している。残るは帝国か……あるいは両国に属さない第三勢力か」
「じゃあ、それが分かれば……!」
「あぁ。戦争を止められる可能性はある」
アレスが導き出した可能性に、エレンはパッと顔を華やがせた。
しかしそんなエレンに、アレスが素早く釘を刺す。
「ただし、繰り返しになるけど、王国と帝国は長らく対立している。裏で糸を引いているやつが分かったとして、どうにもならない可能性だってある。王国が戦に備えて軍備を増強しているのは、理解して欲しい」
「……うん、分かった」
「ありがとう」
静かに頷くエレン。そんなエレンに、アレスは淡く微笑んだ。
戦争を止められる可能性と、止められない可能性。それを天秤に掛けた結果、アレスは帝国と戦う道を選んだ。それを諦めや逃げだと責めるのは違うと、エレンは思う。アレスは極めて現実的な選択をしただけなのだ。
二人はそれから少しの間、無言で森を進んだ。
もう随分と歩いたけれど……と思った時だった。おもむろにアレスが口を開いた。
「それともう一つ、戦争のきっかけがある。――それがエレン。君だ」
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