第28話
鳥が羽ばたき、獣が悲鳴を上げて逃げる。その後を魔獣が追う。
森の奥で繰り広げられる地獄絵図を見ながら、エレンはこちらを狙う狼型の魔獣たちと対峙していた。
じりじりとにじり寄るように包囲を狭めて車中に向かって、右手を構える。
動いたら撃つ。そう牽制するように。
背後の洞窟は袋小路だ。逃げ道は、作るしかない
「ヴィー、立てる?」
「う、うん……そんな、どうして魔獣がこんなところに、しかもこんな集団で……?」
もっともな疑問を口にしながら、ルドヴィカもまた右手を構える。しかし、相手は魔獣――知能も高ければ、魔法を使う個体もいるかもしれない。もちろん、身体能力は向こうが上。初級魔法が使える程度でなんとかなる相手ではなかった。
(どうして、前はこんなことなかったのに……)
一週目ではこんな事態は起こらなかった。ただ平凡に宝玉を見つけ、課題をクリア。それは他の生徒も同じだった。
(まさか……)
エレンは一つの可能性に思い当たる。
(わたしが、未来を変えたから……?)
未来は変えられる。コニーを助けたように、男爵家で居場所を見つけたように、ルドヴィカが友達になったように。けれどその変化は、一過性のものではない。変えた未来は過去となって、その先の未来に影響を及ぼし続ける。
その些細な変化が積もり積もって、大きな変化を生み出していたら? その変化が、悪いものだったら――?
(わたしの、せいなの……?)
そんな不安が鎌首をもたげる、その時だった。
「キャーーーーーーーーッ!」
つんざくような悲鳴。それも聞き覚えのある声に、エレンとルドヴィカはハッと声の方向を見た。その隙を、魔獣たちは見逃さない。
「ガアァッ!」
「――っ! 炎よ!」
飛び込んできた魔獣たちの前に炎をばらまき、行く手を遮る。
「ヴィー、行こう!」
「う、うん」
エレンとルドヴィカはその隙に駆け出した。
間違いない。今のは――マリアンネの声だ。魔獣たちがやってくる方向から聞こえた。
走ったのはおそらく一分未満。ほどなくして、マリアンネとその取り巻きチームが見えた。
倒れ伏すマリアンネと、彼女を取り囲む女生徒たち。そして彼女たちの前には、今にも襲いかからんとする複数の魔獣。
「ヴィー、マリアンネ様を!」
「分かったわ!」
ルドヴィカがマリアンネの方へ駆け寄る。それを背に、エレンは魔獣の前に立ち塞がった。
右手を一閃。地面から特大の炎が噴き出し、壁となる。
――炎壁。魔力量にものをいわせた、エレンの得意技の一つだった。
「マリアンネ様、ご無事ですか」
「っ、あなたは……ルドヴィカ? それに、あなたは……」
ルドヴィカに助け起こされたマリアンネが、煌々と燃える炎の熱気に当てられてか目を覚ます。その瞳がエレンを写し、怪訝そうに歪められた。
「あなた、どうしてわたくしを……」
「今はそんなこと言っている場合じゃありません。この森は現在、数十……いえ、百を超すかもしれない魔獣に襲われています。今すぐ逃げてください」
「っ、あなた、誰に指図して――」
「死にたいんですか!」
ルドヴィカに肩を借りて立ち上がったマリアンネは、エレンの突然の怒鳴り声にびくりと肩を震わせた。その取り巻きたちもまた、身を竦める。無謀にも魔獣と交戦したのか、みな傷を負っている。
背を向けたままエレンは言った。
「……ルドヴィカ、そのままマリアンネ様たちを連れて逃げて」
「逃げてって……エレンはどうするの。まさか……」
――残る。
その一言は言わずとも伝わった。
「だめよ! エレン、あなたも……!」
「ダメじゃない。これが最善なの。逃げて、先生たちにこのことを伝えて。わたしがここで、魔獣を抑えている間に」
炎の向こうでは魔獣たちが次々と集まり、こちらを見ている。この炎は『普通の』炎だ。いつまで魔獣を抑えていられるか分からなかった。
「……森の中にはまだ生徒がいっぱいいる。魔物たちはこの方角から来てるから、ここをなんとかすれば被害は抑えられる。でも森の中に散らばった魔物は、生徒だけじゃどうにもできない。一刻も早く学校側に伝えて、どうにかしてもらわないと」
「それは、そうだけど……」
ルドヴィカが渋る。分かっているのだ。ルドヴィカ自身も、自分がここに残ったところで大した戦力にならないことは。
「――行って、ヴィー!」
その呼び名に。
「っ、必ず、必ず戻ってくるからね、エレン!」
ルドヴィカもまたエレンを呼んで、マリアンネたちと共にその場を後にした。
後に残ったのは、炎の爆ぜる静かな静寂だけ。
けれどその静寂も、炎ともにやがて消える。
エレンの前には、多種多様な魔獣たちがずらりと並んでいた。
魔獣たちは様子を窺いながらも、焼けた草木を踏み越えてエレンに近づく。じりじりと、まるで得体の知れないものを相手にするように。
その光景はどこか、あの最後の戦場に似ていて――
「……ごめんなさい」
エレンは、自身が焼き殺した三万の王国兵を思い出した。
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