第25話
「喧嘩でもしてるの?」
アレスからの過剰なまでのスキンシップを受け続け数週間。
ある日の授業の帰り道、ルドヴィカが唐突にそう尋ねてきた。
「え?」
「いやだってエレン、明らかにアレス様を避けてるじゃない」
目を丸くするエレンに対し、ルドヴィカは臆することなく口を開く。
「最初は恥ずかしいだけかなーと思ったんだけど、それにしては妙によそよそしいなって。オリエンテーションの事故の時は運命の再会って感じだったけど、あたしを助けてくれたときも変な距離を感じたし」
ポニーテールを左右に揺らしながらそう明かすルドヴィカに、エレンは素直に驚く。まさか気付かれているとは思わなかった。
「バレてたんだ……」
「バレバレよ。恋愛小説好きを舐めないで欲しいわ」
そう言って謎のキリッとした笑みを見せてくるルドヴィカに、エレンは思わずふふと笑みを零してしまった。それから変なばつの悪さを感じ、視線を落とす。
「その……恥ずかしいのももちろんあるの。でも……それ以上にアレスが何を考えているのか分からなくて」
「エレンのことじゃないの?」
「それは……多分、そうかもしれないけど」
アレスはいつでもエレンのことを想ってくれている。自惚れかもしれないけど、エレンはそう思われている自覚があった。
アレスはエレンのことを想って動いてくれている。きっと未来、エレンが帝国の傀儡とならなくて済むように。
よく分からない人前でのスキンシップも、帝国を滅ぼすと言ったことも、きっとそのためののような気がした。……専攻を水属性にしろと言ったのは、違う気がするけど。
でも、だからといって――
暗い顔をするエレンの肩に、トンとルドヴィカが自身の肩をぶつける。
「話してみなきゃ分からないんじゃない?」
「…………」
「アレス様の考えは、アレス様しか分からないんだから」
それは確かに、言うとおりだ。
――多分、エレンは怖いのだ。
アレスが何を考えているのか、本当の本当に、深いところを知るのが。
ぎゅっと胸の中の教科書を抱き締めるエレンの肩に、ルドヴィカが手を伸ばす。
「大丈夫よ。自分が好きなった人を信じなさい。それに――」
と、ウインクして。
「愚痴だったらいくらでも聞いてあげるから」
ニシシと笑うルドヴィカに、エレンは目を瞬かせる。
「……ありがと、ヴィー」
「お礼は悩みが解決してから!」
友達にこうやって悩みを話すのは初めてで、エレンはなんだかむず痒さを感じた。
*
翌月、結局エレンは一度目と同じく、火属性を専攻した。
自分に他属性の魔法が扱えるとは思わなかったから。けれど一番の理由はこれ以上魔法の力――人を傷つける力を身につけたくないと思ったからだ。
その日の放課後、エレンとルドヴィカはカフェのいつもの席で、専攻別に購入したばかりの教材一式を確認していた。その隣には――
「……ねぇアレス。もしかしてわざとくっついてる?」
「うん、もちろん」
当たり前のようにソファの隣に座り、ぴったりと身を寄せてくるアレスがいた。
そのいい笑顔に、さすがのエレンも頬を引き攣らせる。
「エレン、怒ってる?」
「怒ってない。そう思うならちゃんと話して」
振り返って、憮然とアレスを見上げる。けれどアレスの答えもまた決まっていて――
「ごめん、それはできない」
ズキン。
何度目かになるか分からない拒絶に、エレンは胸の奥が痛むのをハッキリと感じた。
「……どうして」
「どうしても」
「どうして……!」
「エレンのためなんだ」
食い下がるエレンに、はっきりと。
「……なにそれ」
その瞬間、エレンの中でふつりと何かが切れるのを感じた。
「なにそれ。なによそれ。なんで、ふざけないで……!」
脇目も振らず勢いよく立ち上がる。足をぶつけたテーブルが大きく揺れ、まだ半分以上残っていた紅茶が盛大に零れる。買ったばかりの教科書が、茶色く濡れていく。
「何も言わないで、全部隠して、それで『わたしのため』って、ふざけないで! 人を言い訳にしないで!」
「エレン! 違うんだ、それは……!」
「いや! 聞きたくない!」
伸ばされた手を振り払う。周囲ではなんだなんだと、人だかりができはじめていた。しかしそれも、今のエレンの目には映っていない。
目尻には涙が浮かび、視界がじわりと滲んだ。
どうして何も言ってくれないんだろう。
エレンのためと言いながら、どうしてエレンには隠すのだろう。
どうして――
(わたしはそんなに――そんなに頼りないの?)
「アレスなんて、アレスなんて……っ」
――大嫌い。
そう言おうとして、言えなかった。
嘘でも、言いたくなかった。
言えなくてエレンはただ涙を零すしかできなかった。
「エレン……」
さめざめと涙を流すエレンに手を伸ばしかけて、しかしアレスはぎゅと拳を握ると、しばらくそれを見つめ、それからやがて静かに下ろした。
「すまない。ルドヴィカ嬢、エレンを頼む」
そう言い残して、カフェを後にする。
エレンに触れることすらなかった。
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