第24話
ルドヴィカという友人を得て、エレンの学園生活は信じられないほど充実し始めた。
寮から登校すれば毎日「おはよう」と声を掛けてくれるし、授業を受けるときは当然のように隣の席にルドヴィカがいる。分からないところは互いに教え合ったし、教科書を忘れたら二人の真ん中に教科書を置いて見せ合いっこもした。
放課後には学内のカフェテラスでお茶もした。ルドヴィカはオシャレに無頓着なエレンと違って流行りの服やアクセサリーに詳しく、今度一緒に街へ買い物に行く約束もした。ルドヴィカと過ごす時間は、それだけで周りがきらきらと輝いて見えた。
未来を変えて、アレスや孤児院のみんなを助ける。そのためだけに、エレンはユヴェーレンに進学した。もちろんそれを忘れてはいない。――あんなにたくさんの人を殺した自分が、こんな日々を過ごしていいのかと、自責の念に苛まれることもあった。
けれど楽しかった。
エレンは初めて、学校生活が楽しいと思えたのだ。
――問題は、アレスだった。
「エレン、まだ魔法の専攻、悩んでるの?」
その日の放課後、エレンとルドヴィカは学内カフェにいた。
ソファ席の一角に腰掛けて、湯気の立つ紅茶に口を付ける。座るベロア生地のソファはふかふかで、ともすれば夢の中に誘われてしまいそう。さすが貴族子女御用達のユヴェーレン魔法学校。装備からして違う。
しかしテーブルの上に広げられた紙束の数々が、趣あるカフェの空気を台無しにしていた。
「エレンの適正なら火属性一択だと思うんだけど」
「それはそうなんだけど……」
目の前に置かれた専攻希望用紙。そこに書かれた第一から第三希望は未だ白紙のまま。
うーんと唸ってエレンは紅茶のカップを置いた。
「ヴィーは地属性だっけ?」
「そう。あたしの家、代々騎士の家系だから。剣術と地属性って結構相性いいのよね。足場を作ったり、敵を足止めしたり」
「なるほど……」
理に適った選択に、エレンは思わず感心してしまう。
クラインベック子爵家はルドヴィカが言ったとおり、代々優秀な騎士を輩出してきた帝国の古い家系だ。ルドヴィカ自身も例に漏れず、僅か十五歳にしてその腕は現役の騎士に負けなし。
故についたあだ名が、『クラインベックの剣姫』。
確か将来――戦争が始まってからも、その実力で多くの武勲を上げていたはずだ。
……そんな彼女も、戦争の中で死んでしまうのだが。
「ヴィー、運動神経良いもんねぇ……」
「エレンはダメダメだものね」
「うっ」
率直な返しがぐさりと心を抉る。ルドヴィカはけらけらと笑った。
「まぁいいじゃない。その分、エレンは特大級の魔力があるんだから」
「それで全部なんとかはならないよ」
魔力が尽きればおしまい、というのはあまりにも弱い。――実際はそう簡単に尽きたりしないのだが。
うーんとエレンは腕を組んで首を傾げた。
一度目の人生のおかげで、既に火属性魔法は習得しきったといっても過言でもない。しかし固有魔法の影響なのか、エレンは他の属性魔法はどうにも上手く使えないのだ。それに、他属性を選んだところで、どうして火属性じゃないのかと周囲に怪しまれてしまうだろう。これ以上、下手に目を付けられるのは避けたかった。
(どう、どう、どう……どうしようかなぁ)
と、エレンがうんうん唸っている時だった。
「エーレーン」
トントンと肩を叩かれ、エレンは反射的にそちらを振り返った。
瞬間、ぷすり。
「あはは、引っかかった」
頬に刺さった人差し指に、指の主――アレスは楽しげな笑みを零した。
「あ、アレス……!? もうっ、何するの!」
「何って、エレンで遊んだ」
憤慨するエレンをさらりとあしらうアレス。後ろに控える従者のローレンツが、やれやれと嘆息する。二人の手にはカウンターで受け取ってきたトレイが握られている。
「ご一緒しても?」
「……ダメって言っても座るんでしょ?」
「もちろん」
ニコニコと笑みを浮かべ、当然のようにエレンの隣に座るアレス。そして距離が近い。そして置いたトレイの上には、何故かケーキが一つ。やっぱり当然のように、片方をエレンに差し出してくる。
「う……」
「どうしたの? エレン」
「……なんでもない。ありがとう」
そう言ってエレンがケーキを受け取れば、アレスは嬉しそうに「どういたしまして」と微笑む。
嬉しいけど、確かにここのケーキは美味しいけど……!
(そう毎日毎日奢られてたら太っちゃうじゃない……!)
でもケーキの魔力には勝てない。
「もう……ヴィー、アレスに気付いてたら教えてよ」
「えー? だって黙ってた方が面白いかなって。それにケーキ美味しいし。いつもごちそうさまです、アレス殿下」
「いいえ、気にせず。エレンのついでなので」
てへっと可愛らしく舌を出してみせるルドヴィカ。その隣にはローレンツが座り、アレスと同じように、ルドヴィカにケーキを一皿差し出す。
エレンは諦めてフォークを手にした。
「それでエレン。君の専攻の話なんだけど」
「うん」
「折角だから水にしない?」
にこにこにこにこ。隣から向け続けられる満面の笑みに、エレンは思わず半眼を向けてしまう。
「アレス……わたしに適性がないの分かってて言ってるでしょ」
呆れ顔で睨むエレンに、アレスはどこか寂しげにしゅんとして「だって」と口を開く。
「学年が違うと会う時間が限られてるじゃないか。同じ専攻なら
と、不意にするりとエレンの腰に手を回して、アレスが笑みの種類を変える。少年のような無邪気は消え、夜の色香を漂わせる妖艶なものへと。そうしてエレンの耳元に唇を寄せて――
「色々と、ね?」
含みを持たせた囁きに、耳をそばだてていたカフェ中の女生徒から黄色い悲鳴が上がった。
エレンは耳を抑えて思わず飛び退ろうとした。しかしアレスにがっちりと腰をホールドされていて逃げられない。
助けを求めるように向かい側を見れば、ルドヴィカは目を手で覆って、けれど指の隙間からバッチリこちらを見ていた。
カッと、既に真っ赤な顔が一段と熱くなるのを感じた。
怪しげな笑みを浮かべたアレスが、エレンの瞳を覗き込んでいる。
これが今現在の、エレンの『困ったこと』だった。
劇的な再会からこちら、アレスは毎日こんな感じだった。抱きついてくるのは日常茶飯事だし、隙さえあれば堂々とキス(もちろん口ではない。というか口はしたことがない)の嵐を降らせてくる。
もちろん、向けてくれる好意は嬉しい。
けれど一度目の人生では、周囲にその関係すら秘密にしていたのだ。人前で、しかもこんな、まるで周囲に見せつけるように堂々と愛情を向けられて、エレンはどうしていいか分からなかった。
(自分は何も言わないくせに、こんな、こんな、こんな――!)
エレンが羞恥に耐えられたのは、僅か数秒。
「ば……」
「ば?」
「バカバカバカ! アレスのバカ! バカアレス!」
アレスの腕を振りほどいて立ち上がったエレンは、半泣きになりながら一目散にカフェから逃げ出した。
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