第23話

「あたし、ルドヴィカ・クラインベック。さっきは助けてくれてありがとう!」


 昼時の食堂。その一角の丸テーブルに座ったエレンの向かい側でそう言って、ポニーテールの少女・ルドヴィカが手を差し出した。

 廊下での一件の後、なんとなくルドヴィカと一緒に授業を受けてしまったエレンはその流れのまま、彼女と共に昼食を取ることになったのだ。


「その、何もできてないけど……エレン・ドレッセル、です」

「知ってるわ。何もできてなくないじゃない。荷物を拾ってくれて、声を掛けてくれたわ。嬉しかったわ。ありがと、エレン」


 おずおずと差し出したエレンの手を勢いよく握って、ルドヴィカが笑う。屈託のない、溌剌とした笑みだった。


「えと、どういたしまして……?」

「なんで疑問形なの。さ! 冷める前に食べましょ。いただきまーす」


 けらけらと笑って、ルドヴィカが食べ始める。エレンもスプーンを手に取った。

 今日のメニューはビーフシチューだ。よく煮込まれた牛肉が口の中でほろほろと蕩けて美味しい。向かい側で食べるルドヴィカも、美味しそうに顔を綻ばせていた。


 ルドヴィカ・クラインベック。子爵家令嬢。


 思い出す。確か一度目の人生で、マリアンネの取り巻きとしてエレンを虐めた一人だ。といっても本人はそんなに乗り気だったわけではなく、周りに合わせて仕方なくといった様子だったのを覚えている。だからこそ他人にあまり興味がなかった一週目のエレンでも、顔を覚えていたのだが。


 そんなことを考えていると、ふとルドヴィカがエレンをじっと見つめた。


「それでさ、エレン」

「?」

「エレンはノイエシュタット第二王子殿下の恋人なの?」

「ゔっ!?」


 唐突過ぎて予想だにしなかった質問に、お茶を飲もうとしていたエレンはグラスの口元で噴いた。中途半端に吸い込んだお茶が気管に入り、むせ込む。


「ち、違……アレスとはそんなんじゃなくて」

「大丈夫? ……違うの? というか、やっぱり呼び捨てなのね」

「!? えと、ち、違わなくもない、けど……」


 口元を吹きながら否定して肯定する。そんなエレンに、ルドヴィカはスプーンを持った手を上下に振って「きゃー!」と小さく歓声を上げた。


「やっぱり! 恋仲なんじゃないかって噂が立ってたのよ! それが本当だったなんて! 素敵! 帝国の男爵令嬢と王国の王子さまの恋なんて素敵すぎるわ! 物語みたい!」

「あ、あまり大きな声で言わないで……っ。その……」


 唇に人差し指を立ててエレンは周囲を見た。窺うような周囲の視線が痛かった。


 ルドヴィカが言ったとおり、エレンは帝国の男爵令嬢。それも元は親なしの孤児だ。片や相手は、血筋も確かな隣国の第二王子。立場が違うにもほどがある。


 それが理由の全てというわけではないが、そのためエレンとアレスは、一度目の人生で想いを通じ合わせた後も、周囲にはその関係を秘密にしていた。

 だというのに今回は、まさかの堂々恋人宣言。アレスは一体何を考えているのか。

 そんな心配をするエレンに、ルドヴィカはあっけからんとしてみせる。


「あら無駄よ。だって殿下が公言しちゃったんだもの。明日には校内中に広まってるわ。貴族の噂好きを舐めちゃダメ。……というか言ったでしょ。噂が立ってたって」


 と言ってルドヴィカは頬に手を当て、身をくねらせる。


「思い出すわ、訓練場でのことを……周りの目も気にせず熱い抱擁を交わし、涙を零す二人。それこそ物語のヒーローとヒロイン。まるで『生き別れた運命の恋人と再会』! あぁ、思い出しても素敵……!」


 感極まっているのか、ルドヴィカの目の端には、薄らと涙すら浮かんでいる。


「み、見てたの!?」

「新入生全員が見てたわよ」


 食い気味に尋ねるエレンに、しれっとルドヴィカ。忘れていた羞恥心が再び蘇ってきて、顔を真っ赤にしたエレンは頭から煙を出して小さくなった。

 ルドヴィカはパチパチと目を瞬かせる。


「エレンは嫌なの? 殿下とのお付き合い」

「嫌、というか……学生のうちはいいかもしれないけど、わたしとアレスじゃ釣り合わないし……」


 アレスと似たような聞き方に、同じくエレンは言葉を濁すことしかできない。


「えーっ素敵じゃない! 王子さまとの道ならぬ恋。殿下も前向きみたいだし」


 ルドヴィカが夢見がちな乙女のように、無邪気に顔を綻ばせる。

 けれどエレンの表情は曇っていく一方だった。

 道ならぬ恋。やはり周囲にはそういう風に映るのだろう。それに――


(帝国を滅ぼすなんて……)


 アレスの言葉が頭から離れなかった。


(滅ぼされるなら、その前に滅ぼすしかないなんて……)


 確かにアレスは王国の王子として、国のことを大切に思っている。しかしだからといって、そう簡単に帝国を滅ぼすなんて残酷なことを言う人でもないと、エレンは知っている――そう思っている。


 ぎゅっと膝の上で手を握り俯くエレンを眺めて、ルドヴィカは「ふーん」と声を零す。

 何か気になったのだろう。だが彼女がそれ以上を追求してくることはなかった。


「エレンって面白いわね。ゴーレムを止めたときはあんなに勇敢だったのに」

「あ、あれは無我夢中で……」

「そういうところが面白い」


 わたわたと慌てふためくエレンを見て、ルドヴィカは歯を見せて笑う。


「まぁいいわ。あたしのことは『ヴィー』って呼んで。これからよろしくね、エレン」


 こうしてエレンは、人生で初めての友達を得たのだった。

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