第18話

「落ち着いた?」


 アレスに手を引かれたまま、貴賓室ゲストルームの一つにやって来たエレンは、暖炉の前のソファにゆっくりと腰を下ろした。隣にはアレスが座る。その間も、彼は決してエレンの手を話そうとしなかった。

 部屋の隅には、彼の従者である青年が、魔法学校の制服を着て控えている。


「この部屋はこっちに滞在中、僕の応接室として借りてるんだ。気にしないでリラックスして」

「う、うん……」


 今の季節、暖炉に火は灯っていないが、それでもにわかに暖かな空気がエレンを包む。

 ――それはもしかしたら、アレスが隣にいるからかもしれない。


「……ごめんなさい、あんなに取り乱しちゃって……」

「いいよ。それだけ『僕』との再会を喜んでくれたってことだろ?」


 しゅんと項垂れるエレンに、アレスがはにかむ。


「それに僕だって」


 と言ってアレスは、エレンの手に自身の指を絡めた。指の間と間が触れ合う、むずがゆい感覚。あまりに久しぶりの感触にエレンは思わず「ひゃっ」と声を上げてしまった。


「……痛くなかった?」

「えっ、えっ!?」

「思いっきり抱き締めちゃって」

「だ……大丈夫、全然……ぜん、ぜん……」


 ――大丈夫じゃなかった。

 今更ながら衆目の面前で脇目も振らず抱き合ってしまったことを思い出し、エレンは顔を真っ赤にさせた。

 そんなエレンを見て、アレスは嬉しそうに微笑む。


「もう一回、抱き締めていい?」


 言葉にならず、無言でこくんと頷く。

 するとスルリと、エレンの身体にたくましい腕が回された。


「エレンだ。本当に……エレンがいる……」

「アレス……」


 まるでエレンの存在を確かめるように抱き締める。

 そんなアレスにエレンもおずおずと手を伸ばし、抱き締め返した。


「エレン……」

「ひゃう!?」


 甘い囁き声を耳元に落とし、アレスがスリとエレンの首元に顔を埋める。エレンは思わず変な声を上げて、身を強張らせた。

 心臓がバクバク言ってる。多分その音も、全部伝わってる。でも離れようにも、がっちりと身体をホールドされていてびくともできない。


(ど、どどど、どうしたんだろ……)


 こんなアレス、前世では見たことなかった。

 ――こんな風に、まるで甘えてくるアレスなんて。

 頭が沸騰しそうだった。


「あ、そ、それにしてもびっくりした。まさかアレスもその、過去に戻ってるなんて思わなくて……」


 色を帯びた空気に耐えかねたエレンは、何とか話題を捻り出す。瞬間、アレスがピクリと身体を強張らせた。それからそっとエレンから身を離す。――それでも、エレンの腰には手を回したままだったが。


「……それはきっと、これのせいだよ」


 そう言ってアレスは、ローブの下。腰の後ろのベルトに差してあったそれを取り出す。


「……短剣?」

 アレスが鞘から少しだけ刃を覗かせてみせる。エレンは「あっ」と声を上げた。その蛋白石オパールのような質感には見覚えがあった。

 未来の戦場でエレンを殺し、アレスが自害した短剣だった。


「女神の短剣だ」

「女神さまの?」

「そう。ノイエシュタット王家に代々伝わる家宝――女神の力を宿したとされる剣だ」

「えっ!?」


 予想外過ぎるその告白に、エレンは思わず大きな声を上げてしまった。


「そ、そんなもの学園に持ってきて良かったの……?」


 王家の家宝。つまりは国宝だ。

 不安げな目で見上げるエレンに、アレスはくすりと苦笑を返す。


「大丈夫だよ。父上から許可はもらってるから」

「それならいいけど……」


 アレスは至極真面目な面持ちで口を開く。


「二人揃って過去に戻った。原因があるとしたら、これしか考えられない。……おそらくだけど、女神様がやり直させてくれたんじゃないかと思う」

「女神さまが……そっか」


 エレンはアレスの手元に視線を落とした。乳白色の刃は記憶の中のあの日と同じ、角度によって色を変える、不思議な輝きを放っている。


 どうして過去に戻ったのだろう。十歳の時に戻ってから、ずっと抱えていた疑問が氷解する。

 過去に戻るなんて、人智を超えた現象。しかしそれが、女神さま――この世界を作ったとされる、光を司る神・エレオノーラ。その恩寵だというのなら、納得できる気がした。


「エレン、君は――」


 じっと短剣を見つめる。そんなエレンを見て、アレスは何かを言いかけ――けれどその先を言葉にすることなく、口を閉ざす。


「? わたしがどうかした?」

「……いや、なんでもない」


 アレスはゆるりとかぶりを振る。それから短剣を鞘に収め、後ろ腰のベルトに戻した。


「それより、僕こそ驚いたよ。エレンがもう一度魔法学校に入学するとも思わなかった。……いい思い出はなかっただろ?」


 アレスは一週目でエレンがどんな人生を歩んできたかを知っている。魔法学校でのことは直接見ていたし、男爵家のことはエレンが話した。

 男爵家、ひいては魔法学校に来なければ、エレンが徴兵される未来もなかった。

 だからアレスは、エレンが自分と同じく過去に戻っているのなら、魔法学校に来ることなどないと考えていたのだろう。


「そう、だけど……その……」

「その?」


 理由を言おうとして、エレンは思わず口籠もってしまう。咄嗟に逸らしたエレンの顔を、アレスはずいっと覗き込んだ。

 その口元には、笑み。


 ――ずるい。理由なんて、想像できてるくせに。


 それでも彼は、エレンの口からその言葉を聞きたいのだ。


「……もう一度、アレスに一目でいいから会いたくて」


 真っ赤になって、エレンは絞り出すように応える。

 まるで茹で蛸か林檎のようなエレンの返答に――


「あーもうエレン可愛い!」

「ひゃああっ!」


 アレスが再び抱きついた。勢いで二人揃ってソファに倒れ込む。


「可愛い。もうこのまま結婚したい」

「け、結婚!?」


 そ、それはまだ早いんじゃないかな?

 学生だし、再会したばっかりだし、それにアレスはノイエシュタットの王子さまだし、エレンは帝国の男爵令嬢だし、でも生まれも分からない孤児院の出だし――

 そんなことをぐるぐる考えている間も、アレスはエレンに頬を寄せて放さない。

 ――限界だった。


「そ、それにね! 実は今度は、男爵家の人たちとも仲良くできてるの」


 苦し紛れに発した話の続きに、アレスの動きがピタリと止まった。

 よかったと思いながら、エレンはアレスの胸を押して、身を起こす。ソファの上に向かい合って座り込み、エレンはアレスの目を真っ直ぐに覗き込んだ。


「未来は変えられるの。行動次第で、変えられるって分かったの。だから今度こそアレスを死なせたりしない。戦争だって止めてみせる。孤児院のみんなも守るって、決めて――……アレス?」


 はやる気持ちそのままに告げる。しかしアレスの顔色は何故だか優れなかった。


「どうしたの? アレス。体調でも悪いの? 大丈夫?」


 不安げな面持ちで首を傾げる。そんなエレンの声に、ようやく気付いたといわんばかりにアレスがハッとして、


「……ごめん。なんでもないよ。昨日の船便で到着したばかりだから、もしかしたら疲れが出たのかもしれない」


 そう言ってエレンの目を見て、へらりと笑ってみせる。


「――嘘」


 そんなアレスに向かって、エレンは無意識のうちに呟いていた。


「嘘。アレス、いつも嘘つくの上手だから。嘘つく時、いつも目を真っ直ぐに見るの」


 アレスの顔から笑みが消える。繋いでいた手がするりと離れ、彼が立ち上がろうとする。


「アレス!」


 その袖口を、エレンは思わず掴んだ。

 背を向けたアレスが、半身でエレンを振り返る。


「ねえ、アレス……何を隠しているの? それは……わたしには言えないことなの?」


 灰色の瞳を不安で揺らし、エレンはアレスを見上げる。けれど、


「ごめん。ごめん、エレン」


 アレスから返ってきた答えは――拒絶だった。

 エレンの手を解いて、アレスが立ち上がる。


「今日はもう帰って欲しい。色々あって君も疲れただろう。ゆっくりと休んで、また明日、学校で会おう」

「アレス!」

「ごめん」


 エレンを置き去りにして、アレスは従者と共に扉へと歩いて行く。

 手を伸ばしても、届かない。立ち上がって追いたいのに、足が動かない。

 ごめん、ともう一度アレスが告げて、


「何も話せない。今は……でも必ず、いつかちゃんと、話すから」


 開かれた扉が、無慈悲に閉ざされていく。


「大丈夫――君のことは、必ず僕が守るから」


 パタンと、扉が閉ざされる。

 身体から力が抜けて、エレンは柔らかなソファの上にへたり込む。


「……アレス……?」


 一人残されたエレンの呟きが、広い貴賓室に寒々と響いた。

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