第16話

 監督生と共にエレンが訓練場に駆け込むと、そこは阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 土塊でできた複数の魔法人形ゴーレムが暴れ回り、生徒たちを襲っている。


「何事だ、これは!?」

「し、新入生に魔法のデモンストレーションを見せていたんです。そ、そしたら突然、ゴーレムの制御が効かなくなって……」

「なんだって……!? くそ、おい! 早く先生方を呼んでこい!」


 デモンストレーションを行っていたらしい先輩生徒が応え、監督生が指示を飛ばす。その間にもゴーレムは暴れ続けた。

 フィールドを破壊し、訓練場を見下ろせるようになっているスタンド観覧席に強烈な体当たりを仕掛ける。逃げ遅れた生徒たちが、スタンドの上で悲鳴を上げた。


(一度目と同じ……っ)


 かつて見たのと同じ光景に、エレンはぎりっと歯を噛みしめた。

 一週目でも、全く同じゴーレムの暴走事故が起きた。死者こそ出なかったものの、新入生を中心に多くの負傷者が出たのを、エレンは覚えている。


 ――あの時、エレンは観覧席で逃げ惑う新入生の中にいた。


『どけ! 俺が先だ!』

『わたくしを誰だと思っていて!?』


 誰もが我先にと逃げようとし、階段に殺到した。

 そこでエレンは誰かに突き飛ばされ、逃げ遅れた。


 倒れ込んだエレンなんて、誰も気にも留めない。逃げる生徒に踏まれ、足蹴にされ、気付いた時には一人、スタンドからフィールドに転げ落ちて。

 そして目の前に、ゴーレムの顔があった。


 エレンはごくりと生唾を飲み込んだ。

 多分、国に――ジークハルトに目を付けられたのはこの時だ。この事件を発端に、最終的にエレンは帝国の傀儡になった。


 ――逃げてしまえばいい。


 そんな言葉が脳裏をよぎる。それはまるで、悪魔の囁きのような甘さを秘めていた。

 今なら、フィールドから距離があるこの場所からなら、安全に逃げられる。誰にも知られず、誰にも見咎めらることなく。


 ――でも、それでいいのか?


 そんな疑問が胸中に湧いた。

 自分のために多くの人を見捨てて、エレンは胸を張っていられるのだろか?

 かつての人生で、エレンは多くの人間をこの手にかけた。孤児院のみんなを人質に脅されたからと、自身に言い訳して。

 それでエレンは、胸を張って生きていられただろか?


 ――答えは、否。


 エレンは固く拳を握ると、一歩を踏み出した。


「おい! 君!」


 監督生が止めるのも無視して、真っ直ぐにゴーレムへと歩いて行く。


 一週目。あの時エレンはゴーレムの前に放り出されて、無我夢中で魔法を放った。

 魔法の使い方なんて、男爵家で学んだ基本的なことしか分からない。上級生が作ったゴーレムなんて、到底倒せるはずがなかった。

 けれどエレンの放った火の魔法は、属性相性を無視してゴーレムを包み――


 後に残ったのは、真っ白な雪のような灰だけだった。


 エレンはゆっくりとゴーレム歩み寄り、ゴーレムの前に立った。ゴーレムがエレンを敵と見定めて、緩慢に振り向く。


 何をしている、逃げろ。誰か、助けろ。

 そんな悲鳴を遥か彼方に置き去りにして、エレンは目を閉じる。――一陣の風が、真新しいローブをはためかせた。


 動作はいらない。ただ念じるだけでいい。

 ただそれだけで、この力は発動する。

 ――全て灰になれ、と。

 瞼を開く。

 そして一言。



「燃えて」



 その一言で、目の前に迫っていたゴーレムたちは緋色の炎に包まれた。


 魔法には相性がある。火は万物を焼き尽くすが、火に弱く、また土のように燃やせない物も存在する。

 魔法は、物理法則を超えられない。

 けれどエレンの放った緋色の炎は、土塊のゴーレムたちに纏わり付き、ごうごうと燃え続けた。


 生物ではない以上、苦しむこともないはずのゴーレムが、火を払うように手を動かす。それでも身を包む炎は消えてくれない。

 そうしてゴーレムがもがいていたのも、数秒だった。


 ゴーレムの身が、端から崩れていく。

 ――真白い、灰となって。

 やがて、ボロボロになった訓練場には、いくつかの白い灰の山だけが残った。


 静寂が、訓練場に満ちる。

 吹き荒ぶ春の風が、地に落ちた灰をさらさらと攫っていった。

 エレンはどくどくと脈打つ心臓を、必死に抑えた。生徒たちの視線が突き刺さる。エレンはそれを、嫌というほど肌で感じていた。

 無我夢中でこの力を使った一度目とは違う、けれど一度目と同じ結末。

 エレンはそれを、選んでしまった。


(大丈夫、大丈夫……)


 なんとかなる。なんとかできる。

 そう自分に言い聞かせていた、その時――



「エレン……?」



 聞き覚えのある声に、エレンは動きを止めた。


 まさか。

 そんな陳腐な言葉が頭をよぎって、けれど聞き間違えるはずなんてない声に、エレンはゆっくりと――ゆっくりと振り返った。


 かつて、何度も聞いた。

 何度もエレンを呼んでくれた。

 もう一度でいいから、聞きたかった。

 そんな彼の声を、聞き間違えたりしない。


 視界の中で、銀髪が揺れる。

 校舎へ向かう渡り廊下。そこに集まった人だかりの前に一人、進み出て。

 蒼い瞳が、エレンを映している。


「アレス……?」


 そこに、彼がいた。

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