第15話 魔法学校編開始

 帝国随一といわれるユヴェーレン魔法学校での生活に、いい思い出はない。

 思い出すのは、嘲笑。


『ハッ。噂通りの禍々しい赤髪だ。まるで血のようだな』

『親なし風情がみすぼらしい! 近づかないで下さいまし』

『化け物が。誰の温情で、同じ学舎にいられると思っている』

『あなたのためを思って、でいてさしあげてましてよ?』


 浴びせられた罵声の数々。通りすがりの生徒に足を引っかけられるのは当たり前。教科書やノートが盗まれたり、破かれたりしたことは一度や二度ではない。植物の世話だと言って水を掛けられるのも、魔法の練習だと言って的にされるのも日常茶飯事だった。


 ――けれどそんな生活の中で、彼と出会った。


「血だなんてセンスがないなぁ。真っ赤なリンゴみたいで綺麗じゃないか」


 彼はそう笑って、突き飛ばされて廊下に倒れ込んだエレンの手を取ってくれた。

 その時のきらきらした笑顔を、エレンは今でも覚えている。



   *



「懐かしいな……」


 さわさわと葉擦れの音が響く中、エレンは魔法学校の古く荘厳な学舎を見上げ独りごちた。

 周囲ではエレンと同じように、魔法学校の制服とローブを身に纏った生徒が、急ぎ足に講堂へ向かっていく。これから入学式が始まるところだった。エレンも昨日には学校に到着し、既に荷物は寮の部屋へと運び込んである。


(ここで、アレスと出会った……)


 一度目の人生と同じなら、アレスはこの年、留学生として帝国にやってきているはず――

 エレンはごくりと唾を呑んで、はやる胸を押さえた。


(大丈夫。大丈夫。……頑張るって決めたんだから)


 自身に言い聞かせて、深呼吸する。

 ――大丈夫。エレンは今まで二度も、未来を変えてこられたのだから。

 きっと、この先だって変えられる。


(――行こう)


 エレンは意を決し、歩き出した。



   ***



『入学生のみなさん。この度は栄えある我がユヴェーレン魔法学校への入学、誠におめでとうございます。教師、在校生一同、心より歓迎いたします』


 風魔法で拡張された校長の声が、広い講堂に朗々と響き渡る。

 二度目となるあまりにもテンプレートでつまならい挨拶を聞き流しながら、席に座るエレンは講堂の中に目を走らせた。

 しかし、ずらりと座る生徒の中に、見覚えのある銀髪を見つけることができずにいた。


 彼は留学生枠なので、新入生の中にはいない。かといって在校生の中にも、舞台袖側に並ぶ教師陣のあたりにも、その姿はなかった。確かこの後、留学生として紹介される時間もあったはずだというのに……


 そう思っていると――みんな退屈しているのだろう。あちこちから聞こえるひそひそ声に交じって、その話は聞こえてきた。


「ねぇご存じでして? 今年はノイエシュタット王国の第二王子が留学生としていらしているらしいですわ」

「まぁ本当ですの?」

「本当ですわ。お城に勤める父から聞きましたから、間違いないですわ」

「ノイエシュタットの第二王子というと、眉目秀麗で有名なあの……?」

「そう! アレス・ノヴァ・ノイエシュタット様ですわ!」


 その名前に、心臓がドキリと跳ねる。拍動の音が周囲に聞こえてしまう気がして、エレンは咄嗟に胸を押さえた。

 話はそこで終わらない。 


「それだけじゃなくて、今年は皇太子のジークハルト殿下と、そのご婚約者であるマリアンネ様もご入学されてるとか」

「まぁ! お二人と机を並べられるなんて、なんて幸運なのでしょう」


 話し声の主――少し前に座る二人の女生徒は、うっとりとした様子で頬に手を当てる。

 心臓の音が大きくなる。耳の中で、拍動が聞こえた。


(……ジークハルト様と、マリアンネ様……)


 帝国の第一皇太子と、その婚約者。一度目の人生でエレンにツラく当たってきた筆頭の二人の顔が脳裏をよぎり、嫌な汗がじっとりと伝う。

 けれどエレンは小さくかぶりを振って、その影を頭から追い出した。


 唇を引き結んで、前を向く。

 分かっていたことだ。一度目と同じなら、彼らがいることは。

 それでもユヴェーレン魔法学校に進学することを選び、一度目と同じく、アレスともう一度会うことを望んだ。

 それを選んだのは、紛れもないエレン自身だ。


「ねぇ、あのみすぼらしい赤髪……」


 そんな囁き声に、エレンはぴくりと肩を揺らす。

 ――見られている。

 探るような視線が、エレンを見ている。


「彼女でしょう? 入学検査時に、規格外の魔力値を出したっていう……」

「測定水晶が割れたって聞きましたわ」

「まぁ、なんて恐ろしい」


 さっきの女生徒二人だけではない。気が付けば周囲の新入生たちが、ちらちらとエレンを見ていた。

 けれどエレンは、微動だにしなかった。怯えて震えることも、周りを窺ってきょろきょろしたりもしない。

 なんて言われようと構わない。恐れられ、遠ざけられても。

 エレンの目的は、アレスを救うことなのだから。

 背筋を伸ばし、居住まいを正す。


 ――大丈夫。こういう時にどう振る舞えばいいかは、お義母さま男爵夫人が教えてくれた。


『それでは、あなた方の三年間が実りある日々になることを祈っております』


 ようやく締めくくられた校長の祝辞を聞きながら、エレンは凛と引く。決して隙など見せないように。


 エレン・ドレッセル男爵令嬢。

 それが今のエレンだ。



   *



 結局、入学式でアレスを見つけることはできなかった。留学生の紹介にも登場せず、挨拶があったのは他の留学生たちだけ。一週目とは違う展開だった。


(アレス、どうしたんだろう……)


 そう思いながら、エレンはぞろぞろ歩く新入生の列に交じって校内を進んで行く。入学式の後のオリエンテーションとして、監督生の案内で学内の施設を案内されているところだった。


「次は訓練場に移動します! みんな、離れずに付いてくるように!」


 図書館を周り、食堂を周り、次は訓練場らしい。心のもやもやが晴れないまま、エレンは最後尾に付いていく。


(訓練、場……?)


 その時、エレンは唐突に思い出した。


(いけない、訓練場は……!)


 ハッと顔を上げ、前を見る。しかし新入生たちは、既に食堂を後にしたところだった。


「どうしたんだ? 新入生」

「え!? ええっと……」


 最後尾を見ていた監督生の男子がエレンに声を掛ける。

 どうしようと、エレンが戸惑いながら応じた、その時だった。


「キャァァァァァァァァッ!!」

「ウワァァァァァァァァッ!!」


 生徒たちの悲鳴が、校内に響き渡った。

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