第14話

 それからドレッセル家は、十年の空白を埋めるように過ごした。

 食卓では話が途絶えなかったし、揃ってお茶会をすることも増えた。街への買い物や旅行もたくさん行き、時にはお土産を買いすぎた、家令に怒られることがあったほど。

 もちろん、そこにはエレンの姿もあった。


 カイとエレンの秘密の師弟関係も続いた。

 エレンは綺麗にイニシャルが刺せるようになり、元来器用さを持っていたカイは魔法の技術をめきめきと伸ばしていった。

 二人の関係が実は夫妻にバレていたらしい、というのはまた別の話。


 ――そうして、四年が過ぎた。



   ***



「それでは、行ってまいります」


 寒さが随分と和らいだ春の日。

 十五歳になったエレンは、魔法学校に向かう馬車の前で優雅に一礼した。少しずつ伸ばして、今は肩甲骨ぐらいまで伸びた髪が、それに合わせてさらりと揺れる。

 その様子を見て、夫人が涙ぐむ。男爵は馬の傍で控える御者に向かって声を掛けた。


「無事に送り届けてくれよ」

「はっ、必ずや」


 御者が帽子を胸に当て、腰を折る。

 そんな会話を横目に――


「……俺も義姉さんと一緒に入学したかった」


 ふて腐れた様子で、カイは呟く。


「仕方ないでしょう? ユヴェーレン魔法学校に入れるのは十五歳以上の子女なんですから」

「でも……」

「でもじゃありません」


 夫人のお叱りに、まるで駄々っ子のように唇を尖らせる。

 そんなカイを見上げ、エレンは苦笑した。


 この四年で、カイは随分と背が伸びた。エレンもそれなりに身長が伸びたはずなのだがあっという間に追い越されて、屋敷にやって来た頃はエレンが見下ろす側だったのに、今では見下ろされる側になってしまった。

 それと変わったことがもう一つ。


「たった一年だから。来年にはカイくんも同じ学校に通うんでしょ? 来年、学校で会おう。それに、長期休暇には帰ってくるから」


 幼子に言い聞かせるように、エレンは背伸びしてカイの頭に手を伸ばす。柔らかな黒髪を撫でるとカイは、ふて腐れた様子でエレンを見た。――で。


「……ちゃんと帰ってきてよ?」

「はいはい」

「絶対、絶対だからね!」

「絶対絶対」

「変な虫くっ付けたりしないでよ!」

「……虫?」


 そうして首を傾げたエレンに――


「そんな……もうちょっと色々自覚してよ、義姉さん……」


 何故だかカイは愕然として、両手で顔を覆った。

 折角の綺麗な蒼と金の瞳が隠れてしまう。


「ううう……心配だ……付いていきたい……」


 謎のうめき声を零すカイ。そんな義弟を見てエレンは、しょうがないなぁ、なんてまた笑みが零してしまう。


 あの和解の日から、カイは右目を隠すのをやめた。以前は屋敷に籠もりがちだったが、外にも出て、今では所領の視察へ出かける男爵に付いていくことも少なくない。

 目の色について未だとやかく言う人もいるみたいだが、それでもカイは胸を張って毎日を過ごしている。


 エレンはそれが嬉しかった。彼らを助けられて、よかった。


「エレン、そろそろ時間だ」

「あ、はい」


 男爵の声に、エレンは背筋を伸ばす。

 カイと男爵、それから夫人とハグを交わし、別れの挨拶を済ませる。

 それからエレンは馬車に乗り込んだ。


「エレンちゃん」


 夫人がハンカチを目に押し当てながら、車窓から顔を出したエレンを見る。


「ツラいことがあったらいつでも帰ってきなさい。――ここはあなたの家なのだから」


 その言葉に――


「はい、お義母さま。お義父さま、カイくん。――行ってきます」


 満面の笑みを返して、エレンはドレッセル家を後にした。



 流れていく景色は、四年前に孤児院を出た時に似ていた。

 そしてそれ以上に、かつての人生で通った魔法学校への道と同じだった。

 けれどその心の内は、以前とは全然違っていた。


 前回のエレンは、暗く重い気持ちでドレッセル家を後にした。

 必ずいい成績を残し、ゆくゆくは帝国軍の魔法兵として名を挙げるようにと、男爵から執拗にプレッシャーを掛けられ、魔法学校への入学が憂鬱で仕方なかった。


 でも、今回は違う。


 ――こんなに温かく送り出してもらえるなんて。


 少なくとも、男爵家へ行く決意をした四年前は、こんな晴れやかな気持ちで出立できるとは思わなかった。


 ――未来は変えられる。


 コニーを死から救い、男爵家の仲を取り持てたように。


(今行くからね、アレス)


 絶対にあなたを助けてみせるから。

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