第11話
エレンとカイの秘密の特訓の日々は、順調に続いた。
最初は互いにどこかぎこちなさはあったものの、それでも真剣に学ぶ気持ちがあったからだろう。二人は互いに、いい師匠であり弟子になった。
そうしてまた半月が過ぎた頃だった。
「なんだエレン。カイに魔法を教えているのか」
珍しく裏庭の方へ姿を現した男爵は、訓練場にエレンと、その隣にカイの姿を見つけ、眉をしかめた。
「……旦那様」
「はっはっ! いつまでもそんなに畏まっていないで、気軽にお義父様と呼んで欲しいね、エレン」
そう言って男爵はエレンの肩をポンポンと叩く。しかしすぐにその目は厳しいものとなって、隣のカイに向けられた。
「カイ、あまり義姉さんの邪魔をするんじゃないぞ」
「……はい」
フンと不機嫌そうに鼻を鳴らして、男爵はカイに背を向ける。
まるで父と子とは思えないやりとりに、エレンは思わず口を開いた。
「邪魔だなんてそんなことは……わたしも復習になってますし……」
しかしエレンの袖口をカイが引っ張る。
首を回して後ろを窺うと、カイがゆるりと首を振った。それを見て、ぐっとエレンは言い留まる。
男爵が訓練場を後にする。それを待ってから、カイはぽつりと呟いた。
「いつものことだから、気にしてない」
まるで死んだ魚のような左目。夫妻の前でいつもカイが見せる諦念に満ちた顔に、エレンはムッとした。そしてつい尋ねてしまった。
「どうして男爵はあんなに強く当たるの? カイくんも、それに奥様だって……」
エレンは、この屋敷にやって来た日を思い出す。一方的に罵倒されて、それでも黙って頭を下げた夫人の姿を。男爵が夫人やカイに横暴な態度を取るのは最早、日常茶飯事だった。
カイはしばらく黙りこくっていた。しかしややあって、まるで何かを決意したかのように、右目を追おう眼帯に手を伸ばした。
「……原因は、俺」
現れたのは金色に輝く瞳だった。
「わぁ……」
そのあまりの神々しさにエレンは思わず感嘆の声を零す。しかしカイは右目を隠すように、パッとエレンから顔を背けた。
「この目のせいで、母様は不貞を働いたんじゃないか……俺は男爵の子ではないんじゃないかって疑われてるんだ」
「目のせいで?」
「……金色の瞳は、人ならざるものの証だから」
あぁ確かにそんな話もあったな、とエレンは思い出す。
金色の瞳は魔の証。帝国南部の一部地域では、昔からそんな言い伝えがある。事実、魔獣はみな金色の目をしているし、恐れるのも分かる。
――が、そんなものはただの迷信だ。帝都や他の地方では、目の色を気にする人なんてほとんどいない。
「だから母様が悪魔と通じたんじゃないか……そうじゃなければ不義を働いた……つまり、だれかと浮気したんじゃないかって。母様は元々子爵家の生まれで、男爵が惚れて、大恋愛の末に口説き落としたって話だから、余計に母様の浮気が許せないんだと思う」
「その話は、旦那様か奥様から聞いたの?」
「違う。使用人たちが話してるのを盗み聞いた」
うーん。噂話は貴族の使用人たちの娯楽の一つだが、子供が聞こえるところで、更に言えば仕える主人たちに聞こえる場所でそういう話をするのもどうかと思うが……それはさておき。
カイは眼帯を戻しながら言った。
「不義の子。それでいて魔力も低い出来損ない。そんなの、愛するどころか愛想も尽きるに決まってるだろ。」
眼帯のヒモを固く結んで、ぎゅっと唇を噛む。
「……俺なんか、生まれてこなきゃよかったんだよ」
それはまるで、自身への呪いのようだで、気が付けばエレンは口を開いていた。
「――嘘」
一言。たった一言。
キッと目を吊り上げて、エレンはカイを睨み付ける。
ゆらりと顔を上げたカイの瞳には、いつか見た剣呑な光。けれどエレンは怯まなかった。
「嘘だよ。だって諦めてるなら、本当にそう思っているなら……じゃあなんで、頑張って魔法の練習をしてるの?」
真っ赤な嘘だ。だから、嘘でも、そんなことは言って欲しくなかった。
その瞬間、カッとカイの怒気が弾けた。
「あんたに何が分かるんだ! 天才のあんたに……!」
しかしその勢いはすぐに萎んでしまう。
カイはへたりとその場に座り込んだ。
「……あんただって、頑張ってるもんな」
「カイくん……」
エレンはなんて言葉をかけていいか分からず、ただカイの隣に同じようにしゃがみ込むしかできなかった。
カイも分かっているのだ。それが自分の本心じゃないこと――本当は両親に認めてもらいたいことぐらい。それでも、ああでも思わなければ自分を保っていられないのだ。
エレンはそっとカイの手を取る。カイの手はエレンのそれより一回り小さくて、孤児院の弟妹たちを思い出させた。
そんなエレンの手を――カイもまた、ぎゅっと握り返した。
――大丈夫。カイくんは一人じゃない。
その気持ちが少しでも伝わっていればいいと、エレンは思う。
二人はしばらくの間、そうして手を握り合っていた。
二人はそれからしばらくして、魔法の練習を再開した。
「そういえば、驚かないんだな」
「何が?」
魔法の練習を再開してしばらくした頃。
脈絡なく尋ねてきたカイに、エレンは首を傾げた。カイは真っ直ぐに前を向いたまま、手の先に風を収束させている。カイは風の魔法を得意としていた。
「俺の、目のこと」
そう言われて、エレンはあぁと理解する。
「驚いてるよ。びっくりしてる。久しぶりに見たから」
「…………久しぶりぃ?」
何気ないエレンの返事。それにカイが、カイらしからぬ素っ頓狂な声を上げた。空気の塊があらぬ方向に飛んでいって、庭の端にあった巨木を掠める。
あっ、とエレンは手で口を塞いだ。しまった。これはまだエレンは知らないことだった。
「どういうこと? 見たことあるの?」
「えっと、いや、えええっと……そ、そう! あのね、昔、村に旅の人が寄ったことがあって、その人が金色の目をしていたの!」
しどろもどろになりながら、エレンは何とか言い訳を捻り出す。完全なる口から出任せだが、話の裏を取られるようなこともないだろう。
「金色の……?」
「そうそう! 南東諸島生まれの人だったんだけど、その島には時々、片方もしくは両目に金色の瞳を持って生まれてくる人がいるんだって。でもその島では全然不吉なものじゃなくて、むしろ金色は神様の色って言われててめでたいことなんだって」
「神様の色?」
エレンは嘘を隠すようにぶんぶんと頷いた。しかし旅人と会ったことは嘘だが、金色の瞳にまつわることは本物だ。
何故ならエレンはかつて帝都で、皇太子の婚約者としてこの国の民族のことについて叩き込まれ、そして――帝国軍の一員として、南東諸島の戦乱を収めに出向き、そこで金色の目をした多くの島民を見たからだ。
「うん、神様の色。その島だと金色の目の人は、女神さまに仕える者の証だって言われてるの」
「女神さまに……」
エレンはつとめて明るく言ったつもりだったが、カイは表情を急激に曇らせた。
「母様がその島のやつと不倫したってことか……?」
「そ、そんなことないよ!」
エレンは慌てて否定した。
「えっとね、島の人が島の外の人と結婚すると、金目の子は生まれにくくなるの。あっ、でも全く生まれなくなるってわけじゃなくて、稀には生まれるの。難しいことはまだ研究中らしいんだけど、なんか個体差がどうとか……」
その辺りのことも少し学んだ気はするが、難しすぎてよく覚えていなかった。
なんとか誤魔化せただろか、と冷や汗を流すエレン。その視線の先で、カイは口元に手を当て、じっと考え込んでいた。だがやがて、おもむろに口を開く。
「なぁ、その島はなんていうんだ?」
「え、島の名前? うーん、なんだっけ」
まさかそこを聞かれるとは思っていなかったエレンは、思わず空を見て思考を巡らす。そして唐突に「あっ」と思い出す。
「思い出した。確か……シャッテン……?」
記憶の底からその名を引きずり出すと、続く記憶は芋蔓式に蘇ってきた。
「そうだ、シャッテン。光の女神エレオノーラさまの影だから、
そんなエレンに、カイは怪訝そうに眉を顰める。
「その名前……俺、聞いたことあるぞ?」
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