第10話
「……で、ではこれから、魔法の簡単な使い方について教えます……」
そう言って、エレンは訓練場の端に立った。
カイは数歩離れたところから、腕を組んで測るようにエレンを見ている。冷たい蒼い視線がビシバシと突き刺さるのを感じ、エレンは内心項垂れた。
(どうしてこんなことに……)
しかし反論してしまった以上、後には引けない。人に魔法を教えた経験など全くないが、大口を叩いてしまった以上なんとかしなくてはいけない。
「えっと、魔法っていうのは多分、カイ……くんも知ってるとおり、魔力が多いほど、大規模な魔法が使えます。えっと、こういうふうに……」
エレンは両手を頭上に掲げてみせた。瞬間、そこに太陽と見紛うような巨大な火球が出現する。
その熱波にカイがぎょっと目を剥いて、身を半歩退く。しかしエレンはなんてことなしに、出現したときと同じくパッと火球を消してみせた。
「あ、あんた……あんなの一瞬で出せるのかよ……」
「え? う、うん……出せる、けど……」
「……その歳でそれとか規格外すぎるだろ……」
魔力とは魔法の源であり、世界に干渉する力のことだ。子供の時は魔力の保有量が少なく、身体が成長するに従って増える。しかし最大値は生まれた時の素質で決まっており、努力ではどうすることもできない。これが魔法が才能に依存する由縁だ。
魔法、こと魔力に関してエレンが規格外なのは一週目から分かっているので、今更驚くべきことではない。エレンは説明を続けた。
「ただ、どんなに魔力が多くても、強力な魔法を連発しすぎたら、すぐに魔力切れを起こしちゃう。……それで敵を倒せなかったら、ええと……効率が悪いでしょ? ――だから、一点に絞るの」
エレンは訓練場の反対側――ぶら下げられた丸い木の的に向かって手を前に突き出した。
本当は手を向ける必要もないのだが、魔法の挙動をイメージするのに、こういった構えは有効だ。
「こういうふうに」
瞬間、先程よりかは幾分小さい火球が、エレンの手の先から放たれた。
火球は一直線に飛んで的に直撃。木の的を丸焦げに変える。
あたりには焦げ臭い匂いと、沈黙が漂った。
――どう考えても、普通の火属性初級魔法だった。
「……これが?」
「ち、違うの! 今のは失敗! こ、細かい調整は苦手なの!」
半眼でエレンを見る。そんなカイに、エレンは慌てて手を振った。
「ううう……」
本当になんでこんなことに。エレンは内心泣きべそをかきながら、もう一度的へ手を向けた。
正直に申してしまえば、エレンはこういう細かいことはほとんどやったことがなかった。苦手だったし、その規格外すぎる魔力量のせいで必要がなかったのだ。
が、やると言った手前やるしかない。
エレンは目を閉じ――スゥと深呼吸一つ。ゆっくりと灰色の双眸を開き、的に狙いを定めた。
狙うは一点。敵の心臓、あるいは頭。求められるのは、最小の力で敵一人を屠る力。
「――撃て」
発声。それを
炎を極限まで圧縮したエネルギーの塊は、火球よりも遥かに早く、それこそまさに一瞬で空間を貫いた。そのまま黒焦げになった的の中央を寸分違わずに穿ち、穴を開ける。
これこそが、戦場で魔法兵たちが生み出した工夫。
魔力を節約するための技だった。
「ふう……」
息を吐き、かざしていた手を下ろす。そこでハッとエレンは気付いた。
「あ、あのね、カイくん、これはその、今のはね……あっと、えっと……」
これは殺人のための極めて実践的な技術だ。いくら自分の言論を証明するためとはいえ、おいそれと人に、ましてや子供になんて教えていいものではない。
しかしあたふたするエレンとは対照的に、カイは俯いたまま、黙りこくって動かなかった。
「……カイくん?」
おそるおそるエレンが顔を覗き込もうとする。その時だった。
「ひゃ!?」
バッと勢いよく顔を上げたと思ったら、カイは屋敷の中に走り去ってしまった。あまりの唐突さに、エレンはぽかんと口を開けて、彼が消えた方向を見つめることしかできない。
(どう……どうしたら、いいのか……)
しかしすぐさまカイは戻ってきた。
――その手に一冊の本を抱えて。
「か、カイくん……?」
余程全力疾走したのか、カイは膝に手をついて、ゼェハァと肩で大きく呼吸をする。そろそろと、その顔を覗き込もうとしたとき――
「ん」
カイは持っていた本をエレンに差し出した。
反射的にエレンは受け取ってしまう。
「こ、これは……?」
と、表紙を見て気付く。これは刺繍の本だ。それも、相当簡単な図案の。
エレンが目を丸くしていると、カイはぶっきらぼうに言った。
「交換条件だ」
「交換条件?」
「それ、俺が母様から昔もらった本。貸してやる」
「……いいの?」
「書庫にあった図案はあんたにはまだ早い。イニシャルすらぐっちゃぐちゃなのに」
「うっ……」
どうやらエレンの腕前はバレていたらしい。憚らないカイの指摘が、エレンにぐさりと突き刺さる。
「代わりに、魔法。教えろ」
「……そんなのでいいの?」
「そんなのって、あのなぁ……」
頬に滴り落ちた汗を拭ったカイはそう呟いて、ハァと大きな溜息を零した。
「俺はそれを要求してんの。俺はあんたに刺繍を教える、代わりにあんたは俺に魔法を教える。どうだ悪い条件じゃないだろ?」
そう言ってカイは、エレンを見上げニヤリと口の端を吊り上げる。
エレンは思わず虚を突かれて、目を丸くする。
初めて見た義弟の笑み。
それはとてもとても悪い、悪役のような笑みだった。
「……うんっ。よろしくね、カイくん」
どちらともなく手を差し出し、契約成立の握手をする。
こうしてエレンとカイの、秘密の特訓の日々は始まった。
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