第7話

 ガシャンと音を立てて、夕食の載った皿が床の上で砕け散る。

 同時に夫人のヒステリックな声が響いた。


「もう限界よ! あんな愚図でのろまな子!」


 夫人が椅子を倒して立ち上がる。


「勝手に引き取ってきて、人に教育を押しつけて、もうこりごり! 家の名前に泥を塗るつもりなの!?」


「なんだと!? 泥を塗ろうとしてるのはそっちだろう! 俺は家のことを考えて拾ってきてやったのに! そもそもお前があんな子供を産んだのが悪いんじゃないか!」


「なんですって!?」


 妻の罵倒に、家長席に座っていたドレッセル男爵も立ち上がり反論する。ともすれば双方、すぐにでも暴力沙汰に発展しそうな剣幕だった。


「あんな気味の悪い目の子供……お前が悪魔と通じたせいだろう! でなければ不義を働いたせいだ!」


 その言い分に、夫人がわなわなと肩を震わせる。


「聞いていれば好き勝手、何年も、何年も……もう我慢ならないわ! あなたこそ、あの子、あなたの愛人の子じゃないの!?」

「ふ、ふざけるな!!」


 頭上を飛び交う罵倒。それをエレンは床の上で聞いていた。


「申し訳ありません……申し訳ありません……」


 打たれてじんじんと痛む頬を抑えながら、俯いて、壊れたからくり人形のように謝罪の言葉を繰り返す。けれど男爵も夫人も、互いの言い分を主張するのに必死で、エレンの声なんて聞こえていない。


「申し訳、ありません……もうしわけありません」


 それでもエレンは、その言葉を繰り返すことしかできなかった。


 やがてエレンの向かい側の席から、一人の少年が立ち上がった。右目に眼帯をした黒髪の少年はエレンを見ることも、両親を見ることもなく、諦観した様子で静かに食堂を後にする。


 それでもやはり、男爵と夫人の言い合いが止まることはなかった。


「もうしわけありません、もうしわけありません……」


 エレンはただひたすらに、謝り続けた――



   *



 ガタンと馬車が揺れた衝撃に、エレンは目を覚ました。


 どこだろう、と辺りを認識するよりも早く、もう一度馬車が大きく揺れる。そこでエレンは、孤児院を出てドレッセル男爵の屋敷に向かう最中だったことを思い出した。


 どうやら心地よい馬車の揺れに、いつの間にか寝てしまったらしい。

 しかし悪路に入ったのか、馬車は先程までと打って変わってごとごとを大きく音を立てて揺れる。


 ――と、向かい側に座るドレッセル男爵とバチリと目が合った。


「す、すみません……寝てしまって……」

「構わないさ。屋敷まではまだ時間がある。休んでいなさい。といっても、この揺れじゃおちおち寝てもいられないか」


 そう言って男爵は豪快に笑う。

 優しい言葉だった。でもエレンは知っている。この男が欲しいのは、家を盛り立てるための功績で、エレンはそのための道具に過ぎないことを。

 エレンは居住まいを正し、小さく頭を下げる。


「お気遣いありがとうございます。――旦那様」


 一週目の人生で、義父ちちと呼ぶことは許されなかった。

 それが男爵家におけるエレンの立場だ。

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