第6話
あまり夜更かししないでちゃんと寝るのよ。
そう言い残してマザーが去った後も、エレンはベンチで一人、ぼんやりと月を見上げていた。
月は変わらず冴え冴えと輝いて、エレンを見下ろしている。
けれど脳裏はまるで、目の前の冬の夜空のように澄み渡っていた。
(アレス)
何度胸中で口にしたか分からないその名を、エレンはまた呼ぶ。
会いたい、と思った。
たとえエレンのことを覚えてなくてもいい。遠くから一目見るだけで構わない。
ただ一度だけでいい。もう一度だけ、会いたいと思った。
そして願わくば――
(生きて欲しい)
生きて、幸せになって欲しい。
だから――
(会いに行こう)
エレンは立ち上がる。
こんな田舎に引きこもっていたら、会えはしない。
エレンが会いに行かなくては、アレスには会えない。
(もう一度、会いに行こう)
そして彼が死なない未来を作ろう。
たった一人。誰に告げることもなく、エレンは決意する。
満月がひっそりと見守る中で――
*
次の春、エレンは正式にドレッセル男爵家の養子として迎えられることになった。
「うわああああん! エレ姉行っちゃやだあああ」
「やだああああ! ずっとここにいてよおおお……」
花の香りが風に乗って運ばれてくる中、子供たちが泣きべそをかいてエレンにしがみつく。この日のために用意した綺麗な服に身を包んだエレンは、その場にしゃがんで、子供たちの頭を順番に撫でていった。
「まったくもう、ちゃんとお別れ会もしたっていうのに……すみませんね、男爵様。お時間を取らせてしまいまして」
「いやなに、構わない。仲がよくていいことじゃないか。はっはっはっ」
と、マザー・アガーテと他愛のない会話をしながら男爵は豪快に笑う。どうやら今日の男爵の機嫌は、さほど悪くないらしい。
エレンは背中でその気配を感じ取りながら、子供たちに向き直った。
「お姉ちゃんがいなくなるのは、分かってたでしょ?」
「分かってたけど、でもぉ……」
「うん。寂しい。お姉ちゃんも寂しい」
そう言って目を合わせれば、子供たちはぐずぐず泣きながらも、真っ直ぐにエレンを見返してくる。
「もう二度と会えないってわけじゃないんだから、ほら。ね?」
「う、うう……」
「必ずまた、会いに来るから」
「……ほ、本当? 絶対?」
疑い深く尋ねる子供たちに頷いて、エレンは右手の小指を差し出してみせる。
「うん、約束。絶対、また会えるって約束する」
一度目は叶わなかったけれど、今度は必ず。
いつになるか分からないけれど、絶対に。
叶えられるように、エレンは全力を尽くすと決めた。
「だから、ね? お姉ちゃん、みんなに笑顔で見送って欲しいな」
一人一人と指切りげんまんして、お願いする。するとみんな鼻水をすすって、息を止め、それから頑張って笑顔を作った。上手く笑えなかった子ももちろんいたけれど、それでいい。
「ありがとう、みんな。大好き」
そう言って笑い、エレンは十一年を過ごした我が家を後にした。
男爵家の馬車に揺られながら、エレンはじっと窓の外を見つめる。道端には淡い若草が伸び、色とりどりの小さな花が、風に揺られ咲いていた。
「……何か心の変化があったのかな?」
ふと、斜め向かい側に座る男爵がそう問いかける。
話しかけられると想ってなかったエレンは少しだけ驚いて、ゆっくりと男爵を振り返った。
「いい目をしていると思ってな。儀式の時とは大違いだ」
そう言って含み笑いを見せる。その笑みに苦い記憶を思い出しながら、それでもエレンは口元に微笑を浮かべたまま応えた。
「……目標ができたんです」
「ほう?」
そんなエレンに、男爵は興味深そうに目を細める。
「どんな目標なんだ?」
「……秘密です」
「それは養父である私にもか?」
「はい」
とエレンは応え、もう一度窓の外を眺める。
「誰にも秘密です。これはわたしの、わたし自身との約束ですから」
怒られるかなと思った。それでもエレンは言い切った。
「ふむ、自分との約束か」
けれど意外なことに、男爵はそう独りごちるだけで、それ以上の追求をしてくることはなかった。
窓の外には、見渡すばかりの畑と、白い雲の浮かんだ少し霞んだ青空。穏やかな春の景色が、流れていく。
孤児院の子供たちもみんなも、アレスも。大切なものは全部、今度は決して手放したりしない。
未来は分からない。
だったら掴み取ればいい。
(待ってて、アレス)
必ず、もう一度あなたに会いに行くから。
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