第2話

 どうやらエレンは、およそ七年前に戻ったらしい。

 それが、数日が経ってエレンが出した結論だった。


(どうして過去に……)


 ――戻ったんだろう。


 裏庭に並べられた物干し竿に洗濯物を干しながら、エレンはぼんやりとそんなことを考えた。


 パンッと音を立てて皺を伸ばし、竿にかけては、風で飛ばされないように洗濯ばさみで止めていく。その作業を黙々と繰り返す。

 空は快晴。絶好の洗濯日和だった。


 周囲では子供たちが元気に、芝生の上を駆け回っていた。時にでんぐり返しをするように地面を転がり回って、服を芝と砂まみれにする。


(……明日の洗濯は大変そう)


 明日の自分の苦労をどこか他人事のように想像しながら、エレンは籠の中の洗濯物に手を伸ばした。これが終わったら昼食作りの手伝いが待っている。やることは山積み。手を止めている暇はない。このイェリス孤児院において最年長のエレンは、院内では貴重な労働力だった。


 目の回るような忙しさ。けれどそれを嫌だと思ったことはない。エレンにとって自分たちを育てて暮れるマザーの手伝いをすることは、当たり前の感覚だった。

 今も、昔も。


 ここは夢ではないし、記憶の中のことも多分夢ではない。

 懐かしささえ覚える数日を過ごし、その推測は確信へと変わっていた。


 記憶の中の出来事は夢と斬り捨てるにはあまりにも鮮明。そして何より目の前で動く子供たちやマザーの存在が、嘘だとは思えなかったのだ。


 エレンは死んで、何らかの理由で時間を遡った。

 けれどその理由が、一向に分からない。


(……考えても仕方ないか)


 今はそれより、目の前の家事だ。


「……よしっ」


 と最後にして最大の大物。年少の子のオネショで洗う羽目になったベッドシーツを干し終わり、エレンは腰に手を当てて胸を張った。


「エーレーねーえー! 遊ぼっ!」

「わっ」


 それを待っていたかのように、誰かが背後からエレンに飛びついた。思わず膝かっくんされそうになったエレンはなんとか踏み留まり、振り向く。

 エレンにタックルを仕掛けてきたのは、栗毛の二つ結びが可愛い五歳の女の子・モニカだった。お気に入りの人形を両腕で大切そうに抱きかかえている。


 エレンはしゃがんでモニカに目線を合わせて言った。


「ごめんね、お姉ちゃん、これからマザーと一緒にお昼ご飯作らなくちゃいけないの」

「えーっ!」


 予想通りの不満。しかしエレンは動じず、そっとモニカの頭を撫でた。


「ごめんね。でも、モニカに美味しいって喜んでもらえるご飯、頑張って作るから。ね?」


 淡々と、しかし優しく、そう言い聞かせれば、モニカは唇を尖らせながらも小さく頷く。


「……我慢する」

「ありがとう、モニカ。今度一緒にお人形遊びしようね」

「ほ、本当? 約束だからねっ!」

「うん、約束」


 そう言ってエレンはモニカと指切りを交わす。


 昔もそうだった。イェリス孤児院には、どちからと言えば外遊び好きな子が多い。けれどモニカは部屋遊びが好きで、エレンとよくお人形遊びをしたがった。しかし何せ、マザー・アガーテ一人で切り盛りしている孤児院だ。当然エレンも手伝いに忙しく、あまりモニカに構ってあげられなかった。


 でも今度はちゃんと、もっとたくさん一緒に遊ぼう。

 そう決意して、指を放す。

 そして立ち上がった時だった。


「うわあああああっ!! ま、魔獣だぁ! 魔獣が、魔獣が出た!!」

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