ガラスの光
二対の銀の輪がキラキラと光って廻っている。
それは静かにそれでいて厳かに。
輪の中にいる若き青年を守るように一方は右に一方は左に規則正しく回転している。
そこに一人の学者が入ってくる。
彼はひどく悩んでいた。
「ここからは確実に脱出できる」
そんな確信も果たして正解なのかと言うほどに、彼はこの純白の部屋での生活が長すぎた。
外の世界などあるかどうかも分からない。
きっと頭では分かってる。きっと外の世界は存在する。考え続けて出した確信があった。
彼は何の感慨もなく髭を撫でて部屋を見回す。
メガネから覗く知的で精悍な視線の先には銀の輪と青年の体。
その横には大型の電力装置が二つある。
その一方に取り付けた大きなレバーを下ろせば充電済みの莫大な生命エネルギーが青年へと流れる。さすれば青年は目覚めて完全な複製体として活動することができる。
「俺はここから出てもいいのだろうか」
彼の不安は脳内にいたもう一人の人格を具現化させても脳に空いたスペースにはこれで本当に良いのか?もし失敗したらと言う不安が詰め寄せてそのスペースを埋めてしまう。
「どうしたらいい。俺はどうしたら」
きっと今は考えても仕方がない。そう学者は割り切ってレバーに手をかける。
学者の175センチの身長を越える大型の電力レバーを思いっきり下ろす。
すると、ぐいーんと部屋の空気を震わす大きな音を出して生命エネルギーが青年へと流れる。
不可視の生命エネルギーが銀の輪をさらに輝かせている。
回転する勢いが増していき、ビリッと電気が発生する。
青年の黒かった髪も電気に当たるたび色を変え、上に向かっていた数本の髪はさらに逆立ち暴れ始めている。
それまで確かな色を持たなかった青年の体にわずかな肌色が浮き上がる。
それは全身にまるで電気のように脈打ち、所々には赤い線が走っている。
モノに生命が宿る奇跡的な瞬間だった。
それから30分ほどかけてエネルギーが流れるとついに青年は目を開けた。
引き締まった美しい肉体美、整った顔、銀色に光り輝く宝石のような瞳。体は学者と同じく黄色のようなオレンジ色のような肌色だが、それ以外の髪や爪、瞳は宝石のような銀色の輝きを放っている。
それはまさに人間の完全体とも言える神の子と言えた。
青年は初めこそ感情も言葉もなく静かに直立し、学者を真正面に見つめていたがやがてゆっくりと。
「初めまして、お父さん」
透き通るような言葉にできないほど甘美な声で呼びかけた。
その瞬間、学者は全身が粟立つのを感じた。
それは生きてきて初めての感覚であり、とても気味の悪い現象だった。
学者はその場で後ずさった。
学者は他者を通すことで初めて恐怖と言う感情を知った。
青年は完璧だった。常人であれば青年の彼を見た瞬間、一瞬にして胸を掴まれトキメキという名の海へ沈むことになるだろう。またはそれ以上の関係に。男女や年齢など関係なく。
それほどに彼は誰から見ても美しい完全体であった。
しかし、この部屋で生きた学者にはその感情は生まれなかった。
唯一生まれたのが恐怖。
学者は自分とは異なる他者という存在を知らなかった。故に自分を何かと比べたり新しい何かを他者から得ることがなかった。
情報の恐怖
学者は本当の意味で人間という存在を真正面から見た。
複製体の製作中には青年を一つのモノとして認識していた。
鉄の部品や化学物質と捉え方は同じであった。
しかし、完全に生を受けて誕生した青年からはそのモノ以上の情報を
有していた。
客観的に見た人間の構造、自分とは異なる顔、表情。そして何よりも暴風でも吹いているかのうように伝わってくるあらゆる感情の奔流。それは凄まじく、学者にとっては恐怖であった。
学者はその場に倒れ込んでうずくまった。
「うぅぅう、あぁ、ぁああ、やめろ。やめてくれ。俺を見るな何なんだこの伝わる気持ちは、心臓の鼓動が止まらない。はち切れそうだ。俺は何者だ。こいつと俺の違いは。世界?世界ってなんだ?」
今まで脳に浮かばなかった単語が出てくる。
世界
青年という一人の他者を通じたことで学者には見えていなかった世界についての疑問が溢れ出して止まらない。
やはり、ここだけが俺の世界ではないのか。
外の世界が存在する。
永遠に問い続けた疑問が揺るぎない明確な確信となり学者に一つの行動を突きつける。
「ここから、脱出しよう」
青年の声だった。心臓を直接、撫でるような甘いとも言えるし気持ち悪いとも言えるむず痒さを感じる。
学者は青年の提案を受け入れた。というより抜け出すことが正解なのだ。
いつも通りにヤツが配膳をしにドアを開ける。
ドアが開いた瞬間、浮いたプレートがガシャンと落下した。
それがヤツの動揺であるのは知っていた。
「今だ!」
学者が叫んだのと同時、目の前に銀色の髪が靡き、ドアの前に走った青年が開けたドアの空間に勢いよく拳を叩きつけた。
そして学者はメガネ越しに見た異様な光景に目を奪われた。
青年の拳が当たったところに
なんだここは。
「ハァァ!」
青年は再度、割れ目に拳を叩きつけた。
そしてついに割れ目は完全に砕け散った。
学者は初めて白と銀と肌色以外の色、黒色を知った。
ドアの奥に広がる長い通路は闇のように真っ暗だった。
この部屋が妙に明るく感じた。
そしてドア付近をもう一度眺めるとドアの上に今まで見えなかった大きな機械があった。それは不思議な形をしていた。麦わら帽子のような円盤型で周囲には線のような光が明滅している。
学者はそれが高周波の超音波装置であることが分かった。
きっとあの装置で脳に直接、超音波を流し込むことで平衡感覚を刺激していたのだろう。しかし、青年にはそれが効かなかった。
なぜなら、青年は完全な複製体、人間に最も近いモノである。科学的な攻撃は青年には効果がない。
学者と青年は真っ暗な廊下を走っていた。青年の銀の輝きが辺りを照らしていたので暗闇での行動は苦ではなかった。
しばらく進むと上に繋がる階段が現れた。そこで学者はここが地下であることに気づいた。周辺の温度や壁を叩いて帰ってくる音の状態からある程度は推測していたが上に繋がる長い階段を発見したことで確信に変わった。
青年が先頭に立ち、音を立てず静かに階段を上がっていく。壁や階段はコンクリートで出来ている。一列にならなければ通れないほど狭いこの階段はとても窮屈で圧迫感を感じた。
しばらく階段を登ると右手にドアが出現しその上には横長の長方形の出っ張りがあり、緑に光って中央には人のような絵が描かれている。
それを見た青年がこっちから行こうと言いドアを開けてさらに階段を登っていく。しかし、今度は静かにとは行かなかった。
階段は赤い鉄の素材らしく、足をかけるたびカン、カンと高い音が出ては空気中に残ってしまう。
青年はここはきっと大丈夫ですと言い、軽快な足取りで登っていく。
学者はこの時もドキドキと心臓が動いているのを感じた。
それは初めて走った時のような高鳴りではなく、何かを求めるような期待するような感じでズキズキとたまに痛みを伴うものであった。
ただ今の学者にこの感情を説明することは困難であった。
そしてついに物音が大きく聞こえるドアに辿り着いた。
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