ヤツの正体

 

 ヤツは決まった時間に現れる。


ヤツが持っているであろう配膳はいつも通りに床に置かれてドアが閉まる。

日にちを記憶して一万950日。ヤツは決まって三回に分けて食事を運んでくる。


それを一つのサイクルで考えてみた。

彼が眠ったあとは配膳は行われない。


そして目を開けた後に配膳がスタートして三回の食事が行われる。ということは三回の食事と一回の眠りがセットで区切られる。そこまで考えた時から彼は数を数え出しては記憶した。


そして先ほどの数字が彼が導き出した現在の回数であった。


一つの疑問が解決したことで新たな疑問が生まれる。


彼は他者を介さず、世界に触れることもなく、言語というものを扱えたこと。

それは間違っているとは思わず言語能力を疑うこともなく。あたかも当たり前であるように言語化という行為が可能であった。

その疑問は学者の彼でも分からなかった。

解決していく問題に対して名前をつけることが容易にできた。それは脳内にいるもう一人の人格が教えてくれる。それをと考えるにはどこか不安があった。

実際、自分の脳内にいる奴は自分を分離させただけで自分の一部であり、現実に自分と違う考えを持ってるわけでもなく違う言語を有しているわけでもない。

ここ30年間考え続けたことであるが、自分がこのような性質を持っているのはひとえに実験体であるからと強引に納得できる。が、やはり不思議でならなかった。

この無意味とも思われる疑問は脳内にいる奴が恐ろしいと思う感覚から発生していたと言える。


そして彼は初めて食事や排泄、思考以外で自分の意思で行動することを決めた。

初めに解決が簡単に思われたヤツの正体だった。

彼は時折現れては食事を運んでくる、ヤツの正体を明らかにしようと奮い立った。


しかし、ヤツに関する情報はあまりにも少ない。この白い部屋の正体すら理解できていない彼にとってヤツの正体を想像することは不可能であった。


彼は彼に起こった事象のみを理解したに過ぎず、今いる白い部屋や目的、ヤツの正体はまるで分からない。


「三回だな。ヤツが開けたドアの先に行けば何か分かるかもしれない」


彼は今や白衣を着た30の学者である。この食事と排泄と思考だけで満たされるほど彼は単純ではなかった。特に退屈であるからこそ世界の真相を知るための行動を起こす思考も体力も持て余すほどに残っていた。


真っ白な部屋の隅に長方形の空洞が生まれる。それはドアであり、ヤツが来たことを意味する。宙に浮いているプレートにはいつも通りの湯気のたった白い食べ物、それは白米と認識し、その横にはまた白い液体があり、同じく湯気を立てる。中央には丸いプレートがあり、中には白い不成形の白いものが置かれている。


それを確認すると学者は体を動かして慣れない走りという行動を起こす。

案外上手く体を操ることができて学者は心臓が意思を持ったように跳ねたのを感じた。その勢いのまま、ドアへ走っていく。宙に浮いていたプレートがガチャと音を立てて床にこぼれた。それは彼が当たったからではなくヤツが落としたことで発生した音だった。


動揺したのか? 今なら!


そのまま学者はドアを掴んで外に出ようと体を入れた瞬間、体が一瞬浮いたかと思えば気づけば床に転がっていた。

それは瞬きをする間もない事象で、彼は思考がその瞬間だけ止まるの感じた。

 それはとても快感と呼べるほど心地いいものだったが虚しくも彼の脳は急速に思考を再開させて起こった事象を分析しようとしていた。


何が起こったのだろうか。自分の体があのプレートのように宙に浮き、目を開ければ床にたおれていた。そこに何か物理的作用が働いたようには思えなかった。


 何かに滑って転んだ。いや、違う。誰かに掴まれた。そんな感触はなかった。ただ自然とそれが当然のような決まった動きで彼は斃れた。やはり分からない。


それから学者は次の配膳を待って再度走ってドアの奥へ行こうとしたが何に当たることもなくドアの前で宙に浮いて床に斃れた。


ヤツの正体以前に、ヤツに触れる前に、ドアにすら近づけない。

思考など無意味といった絶望が彼の心臓を蝕んだ。



それから彼はしばらく行動を放棄した。


彼に成功体験も失敗体験も差はなく今も過去も無いに等しい。


そして、彼は別の問題に行動を移した。


 

 孤独は脳内にいるもう一人の得体の知れない人格によって解消されていた。

退屈にも慣れている。というよりは彼にとって時間という感覚は無く、数によって生まれた擬似的な時間の概念は当たり前の作業のようなものだった。それはお腹が空いたから食事をもらう、排泄という行為ができるから排泄をする。という生活の基本のように退屈というよりは考えたり感じたりする以前の行為として数を数えている。


それも2万に届くほどが過ぎた頃に彼はあるもの創ろうと考えた。


学者の脳内にいるもう一人の人格を自分の複製体として創り上げること。

実際にそれは想像をはるかに越えるほど単純な作業だった。


にとっては。


学者は生まれてから30年もの間で脳内の情報に永遠と向き合ってきた。

つまり、思考のスペシャリスト。もしくはそれ以上の特別化された能力であるかも知れない。


つまり、彼にとって複製体を創るプロセスが全て積み木を立てるような子供騙しに思えていた。


その頃にはヤツに頼めば欲しいものはいくらでも手に入った。

真っ白な空間に欲しい物を言うだけ。

学者の彼には必要な材料の名称は頭に文字として浮き上がり言語化することができた。

そうしてあらゆる材料を駆使して作業を進めることが可能であった。


ここで疑問が残るのは実際にしっかりした現実を生きている人であればスマホや手紙、動物などと言ったことをヤツに頼めばあらゆる情報や世界を学者は知ることができると考えるだろう。


しかし、彼は生まれてからずっと純白の部屋の世界しか知らない。それに脳内で浮かんだイメージに名をつけられてもそれは単体の機械や生物といった、その中にあらゆる可能性を秘めた魔術的な利用法までは分からない。


そのため、彼は脳内で組み立てた複製体に必要な効果を持つ物質と形を見るだけで用途が想像できるモノでもう一人の人格を自分と同じ種族として誕生させようとした。


「実行は明日だ」


結局、ヤツの正体は分からない。けど、自分がもう一人いるならきっと・・・。

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