離れていても先輩
あっという間に、ソラノが辞める日が来た。
退職理由は、元々足に持病があった母親が安心して仕事を辞められるように、もっと家にお金を入れたいから、だそうよ。無理をして痛めたらしいけど、親心ってやつかもしれないわね。
それをセンセーにも伝えて、みんなへ報告したのよね。
そして今はお昼休憩。今日は手術もない。
だからソラノは一匹一匹、挨拶して回ってる。
「ミミ。今日までたくさんのことを教えてくれてありがとう」
どういたしまして。
これで最後だからと思って、ソラノの好きにさせる。あたしだって空気が読めるもの。
「一番お世話になったミミにだけ、私が動物看護師を辞めようと思った理由、話しておくね」
なにかしら?
あたしが納得する理由でしょうね?
催促するようにしっぽでソラノの腕を叩けば、本当に小さな声で話し始めた。
「ソラの爪を根本から切った時、私は昔見たCMを思い出したの。人をね、助ける犬が出てたの。いろんな人を助けて、嬉しそうな顔をしてるみたいに見えたんだ」
いるわよね、そういう仕事をしてる子も。
「でもね、私は人間だけが癒やされるのはおかしいって。この頑張ってる犬達はなにも話せないのに誰が癒すんだろうって、かわいそうって、子供の時に思ったんだ。だからね、本当は獣医を目指してたんだ」
ん?
じゃあどうして動物看護師になったのよ。
ってか、辞める理由はなに?
気になることがあるけど、あたしは静かに聞き続ける。
「でもね、努力が足りなかった。覚悟もね、足りなかった。浪人は許してもらえなかったから、動物看護師になって夢にしがみついたんだ」
そうだったの。
でも、それでよかったんじゃない?
あんた、イキイキしてたわよ。
「半分だとしても夢を叶えられて、幸せだった。でもね、違ったんだ。私は私のために、動物を助けていた。それが、ソラの爪を根本から切ってようやくわかったことだった」
なに言ってるの?
わかるように説明しなさいよ。
あたしをなで続けるソラノの手に顔を寄せれば、彼女の顔が目に入る。どうして泣きそうになってんのよ。
「私ね、小さな頃からずっと、人に嫌な目に遭わされてきたんだ。でもね、それを誰にも言わずにずっと我慢してたの。話した相手が受け止めきれることでもないからね。だからね、人間が大っ嫌いだった」
そういえば、人が嫌いとかそんなこと言ってたわね。
だから動物看護師になったって。
でもさ、ここにも人間はいるじゃない。
「そんな子供の頃からの自分と動物を重ねて見てることも気づかないで、癒してるつもりになってた。だからね、ずっと癒やされていたのは私だったんだ」
なでる手が止まったから、あたしも座り直す。この方が、ソラノも喋りやすいでしょ?
「動物はそんなに弱くない。私とは違う。それに気づいたら、すごく恥ずかしくなったんだ。私、なんて傲慢なんだろうって。こんなこと話したあとじゃ、辞めるのが逃げみたいに思うよね?」
別にいいんじゃない?
あんたが決めたことが人生ってやつになるだけよ。
それに理由はどうであれ、あたし達を大切に思ってくれてる人間が増えるのは喜ばしいことよ。
でもね、あたしはソラノじゃないから全然気持ちがわかんないけど、あんたがあたし達のことを好きって気持ちは本物よ。
それだけは言い切れるわ。
「だけど、自分の気持ちがわかったから、ちゃんと向き合うことにしたんだ。私ね、もう一度、人間を知ろうと思うの。私も人間だし、ここにいる大好きな人達も人間。だからね、人に接する仕事を選んだ。もちろん、興味のあることでもあるよ」
そういうことね。
巫女って言ってたけど、バイトじゃないんでしょ?
しかも、面接したのが宮司の家族で犬好きだったそうね。
こんなところでもご縁が繋がってるじゃない。
きっとこの先も動物に助けてもらえる人生になるわよ。なんて、しんみりしちゃったわ。
「知らない世界は怖いけど、飛び込んでみるね。もうここには戻らないし、戻れない。情けない私なんて見せられないし。それでも、ミミはずっと応援してくれる?」
そんなの、当たり前でしょ?
そっとソラノがあたしを抱きしめてくる。
最初に比べて上手になったわよね、あたしに対しての接し方が。
だからね、大丈夫。
どんなところでも、あんたは成長できるんだから。
そう思ったから、ひと鳴きしておいた。
離れていても、ずっとあたしはソラノの先輩なんだからね。
だから、行ってらっしゃい。
あたしの方からソラノの胸に強く頭をこすりつける。もうめったなことで泣くんじゃないよ。頑張んなさいね。
あたしなりに応えたつもりだけど、ソラノに伝わったかしらね。ま、わかんなくてもいいけどね。
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