03

 まず試みたのが部屋からの脱出だ。

 マンションのベランダからは、隣の部屋に移れる薄い壁があった。それはすぐに破れるはずなのに、体格の良い兄が体当たりしても弾き返されてしまった。

 そして、緊急時の避難ハシゴを使ってみようと鉄板に手をかけたのだが、二人がかりでやっても開かなかった。

 そうこうしているうちに気付いたのだが、ベランダから見下ろしても人が一人も歩いていなかった。車も走っていなかった。他の建物には電気がついておらず、すっかり静まり返っていた。

 兄はイライラと部屋をうろつきながらタバコを吸った。


「あーもう……どうすりゃいいんだよ……」

「僕、今日はシチュー食べないでみるね。違う行動してみよう」


 フェェェ、フェェェ……。

 またペンギンの鳴く声がした。僕は風呂場に行ってペンギンのお腹をつんつんとつついた。


「ねぇ……これは本当に君のせい? それとも他に何か原因があるのかな……」


 ペンギンは何も答えなかった。僕はふうっとため息をつき、冷蔵庫をあさった。お腹は空いているのだ。ゼリーがあったのでそれを食べた。僕は兄に尋ねた。


「ねえ、兄さん。ペンギンに何か食べさせてみない?」

「今日に限ってあまり食い物無いんだよな。ロールパンくらいだよ」


 ものは試しだ。僕はロールパンを千切ってペンギンの前にちらつかせてみた。しかし、嫌そうに顔をそむけてぺちぺちと離れてしまった。


「ダメか……」


 リビングに戻ると、兄がソファで寝ていた。


「兄さん、起きてよ兄さん」


 強めに一発殴ったが、兄は電池が切れた玩具のように静かだった。そして、僕はへなへなとその場に崩れ落ちた。強烈な眠気が襲ってきたのだ。


 それから……何度ループしたのかわからない。

 僕がペンギンを抱っこして玄関に立っており、兄が出迎えているというのは共通。そして、何をやっても朝まで我慢できずに寝てしまう。

 SNSのアカウントを作って助けを呼びかけることもしてみたが、まるで反応なし。とにかく色んな人をフォローしてみるのだが、返ってくることはないし、メッセージも無視、というか、そもそも見えているのだろうか。

 掲示板サイトに書き込みをしてみると、それ自体は反映され、他の人の新しい書き込みも読めるのだが、誰も構ってくれることはなかった。

 とうとう動画を作って投稿までしてみたが、再生数はゼロ。段々、僕も兄も消耗してきた。


「瞬……どうせ何やっても無駄だ。映画でも観るか」

「そうだね……」


 兄の趣味で、DVDは豊富に揃っていた。なるべく明るい内容のものを流した。二人でソファに深く座り、ストーリーに没頭しようとしたのだが……。

 フェッ! フェッ! フェェェェェ!


「あー!」


 兄は叫んでキッチンに行き、包丁を取り出した。


「兄さん! 何するつもり!」

「殺す! あのペンギン殺す!」

「ダメだよ! もっと大変なことになったらどうするの!」


 とにかく兄を落ち着かせなければならない。僕は包丁を持った兄の手を握った。


「兄さん、何かいい手が浮かぶまで、いっそこの状況を楽しもう。ねっ?」

「うん……悪い。とりあえず映画観るか」


 僕は兄から包丁を取り上げて元の場所に戻した。そして、映画の続きを観ていたのだが、途中で眠ってしまった。

 何度かやっているうちに、僕たちが起きていられる限界は、深夜の一時くらいだということがわかってきた。

 巻き戻るのは、決まって三月一日の夜十時。そこからの三時間を繰り返しているのだ。

 僕も兄も、何かを試そうという気がなくなり、ベッドでゴロゴロと無為な時間を過ごしていた。

 一緒にいるのが兄でよかった。ちょっと短気なところもあるけど、僕の大好きな人だし、不安な時は何も言わなくても僕を抱きしめてくれた。


「ねぇ……兄さん」


 ベッドで横たわり、兄の髪を撫でながら、僕は語りかけた。


「なんだ……瞬」

「僕、ずっとこのままでもいいかも。諦めた方が気楽だよ」

「俺は嫌だよ。もう一度、考え直してみるか……」


 二人で一回目の行動を振り返った。僕がペンギンを連れて帰って。風呂場に置いて。クリームシチューを食べて。着替えて寝て。


「おい、瞬。思い出してきたぞ」

「何を?」

「瞬さ、ペンギンとずっと一緒にいたい、みたいなこと言わなかったか?」

「……言ったかも」

「お前のせいじゃねぇか!」


 兄は僕の頰をつねってきた。


「痛い痛いっ!」

「どうにかしろ、瞬!」

「僕だってわかんないんだってば!」

「瞬が元凶なら瞬を殺せば抜けられるか……?」

「なんでそう発想が物騒なのかな!」


 やられっぱなしは嫌だ。僕は兄の股間を膝で蹴った。


「ぐっ……」


 兄は青い顔をして一瞬ひるんだが、起き上がって拳をぶつけてきた。

 そこからはもうメチャクチャだった。兄弟喧嘩なら何度もしていたけど、その日が一番激しかったに違いない。僕は口の中が切れて鉄の味がしたし、兄の首や肩には僕の噛み痕がついた。


「はぁ、はぁ……瞬、一旦やめよう……」

「そうだね……」


 殴られた痛みで頭はチカチカするし、興奮して息も絶え絶えだ。ドサリとベッドに仰向けになり、兄と手を繋いだ。


「兄さん、ごめんね」

「ん……」


 そして、意識が途絶えた。

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