第3話・白狐 ダン

 熊女は妖賀が守らなければならない、男子高校生のダンを唇を噛み締めながら眺め内心思った。

(もう、自分一人の力では忍びの死闘を止められない段階にまで、状況は進行していたのか……この少年を守るために、おじい様はわたしの秘められた忍法の力を知ったうえで)


 夜行が言った。

「熊女さまと、ダンさまは今日から。この高層ビルの屋敷がある屋上から、一つ下のフロアを貸し切りましたので、そこの一室で同居してください」

 夜行の言葉に、赤面して動揺する熊女。


「お、男と同じ部屋で過ごすのか! バージンのわたしが! い、いや勘違いするな。わたしはバージン処女だから男と同じ部屋に住むコトに問題があるというワケでは……ち、ちがう」

 処女であるコトを思わず口走ってしまった熊女の激しい動揺に、夜行を含め座敷にいる忍びたちは無言で熊女から視線をそらした。


 夜行が言った。

「とにかく、ダンさまとできる限り行動を共にして魔賀からダンさまをお守りしてください……ダンさまの学校へも同行してください」

「学校? 狙われている状況でも外出するのか? フロア内に引きこもっていた方が良いのでは? 授業も部屋での端末で行えば」


「そうなると、黒カラス党がどんな手を使ってくるのか予測できません……ビルごと爆発されたら、忍びと言えどダンさまを完全にお守りできるかどうか……それに通学はダンさまの希望でもあります」

「危険を孕んだ通学だ、学校に魔賀の忍びが侵入したらどうする?」

「妖賀の忍びも姿を見せずに、身近で警護します」

 熊女はすでに忍びの闘いは、アギトの水面下で動きはじめていると知った。


  ◇◇◇◇◇◇


 熊女は、夜行に「庭にいる他の仲間を見てくる」と言って。

 人工竹林に囲まれている屋敷の庭に来た。

 庭では着物姿で上半身裸身の大男が、斧を振り下ろして薪を割っていた。

 大男から少し離れた場所にある丸太を輪切にした椅子に、男女のカップル忍びが並び座ってイチャイチャしている。

 大男……『片輪かたわ 入道』が、薪割りの手を休めて熊女に言った。

「お久しぶりですな、熊女さま……島を飛び出して、大学に入学した時以来ですか」

「入道も元気そうだな」

 熊女はイチャついているカップルの忍びに視線を向ける。

 男の方の名前は『赤舌 縊鬼いつき

 女の方の名前は『風鎌 人魚』と言った。


 熊女が入道に質問する。

「入道は今回の、はじまるかも知れない、妖賀と魔賀の忍法死闘をどう思っている?」

 タオルで汗を拭きながら入道が答える。

「楽しゅうございますな」

「楽しい? 殺し合いがか?」

「鍛え修行してきた忍びの技を、一生使うコトが無く人生を終わるのは忍びとしては無念ですからな」

「そうか、縊鬼と人魚はどう思っている」

「オレは、人魚と一緒に戦えるだけで幸せだ」

「あたしも、縊鬼と一緒にいられるだけで幸せです……妖賀の忍びとして命は惜しくないです」

「そうか」


 熊女は妖賀の中にも忍びの闘いを望んでいる者もいると知った。


  ◇◇◇◇◇◇


 人工島アギトの地下下水道の一角──魔賀忍びのアジト。

 ビリヤードに興じている者がいれば、タロットカード占いをしている者もいる。

 ビリヤードをしている、魔賀 蛇ノ目が言った。

「我ら魔賀忍びの力を妖賀の連中に知らしめる時が来た……我ら魔賀の忍びが最強だと、妖賀の奴らに教えてやれ」

 アジトの暗闇から、クスクスと数名の笑い声が聞こえてきた。


 テーブルの上に伏せて並べられたタロットカードをめくりながら、魔賀の軍師で占い師の『鉄鼠坊てっさぼう ガゴゼ』が言った。

「占いでは今のところ、相手側の忍び技もわからないので。はっきりとした勝機は見えませんな」

「だろうな……それは、妖賀の連中も同じだ」


 アジトの照明に照らされた場所には、机の上に座って、拳にハメた金属ナックルを磨いている女子高校生の魔賀忍び『壁塗 笑子かべぬり しょうこ』がいた。

 笑子が言った。

「先鋒はあたいが出るよ、とにかく白狐 ダンを始末しちまえば解決だろう」


 蛇ノ目が笑子に手の平を向ける、蛇ノ目の手の平には眼のタトゥーが彫られていた。

 蛇ノ目が言った。

「白狐 ダンの辱めた姿を、世間に晒すだけでもいいんだぞ……同じ高校生を殺さなくても」


「はいはい、可能なら殺さずに辱めますよ……あたいの女の部分が、妖賀と殺し合いができると想像しただけで、ジンジンと疼いてやがる……じゃあ、行ってくるぜ」

「吉報を待つ」

 壁塗 笑子は魔賀のアジトから出陣して行った。


  ◇◇◇◇◇◇


 妖賀忍びの本拠地──高層ビルのフロアの一室で、熊女は床に貼った絶縁テープの線を指差して、ダンに念押しをしていた。

「いいか部屋の、この線からこっちのソファが置いていある側には絶対に入ってくるな、仕切ったカーテンも開けずに覗くな」

 ダンは自分が寝るベッドの端に腰掛けて、困り顔で言った。

「どうして、眠る時まで一緒にいないといけないんですか……えーと、鬼熊さん」


「呼ぶ時は熊女でいい、鬼熊は学生武闘大会でメディアが勝手につけた呼び名だ……できる限り一緒にいないと、魔賀の忍びがいつ襲ってくるかわからないからな」

「まさか、こんなビルの最上階にまで侵入してこないでしょう。防犯カメラもありますから」

「防犯カメラなんて、忍びには役に立たない、忍びを甘くみるな……本来なら、入浴やトイレも同行して警護しろと。おじい様だったら言うだろうが……さすがにそれはムリだ。魔賀の忍びが、この部屋に直接襲撃してくるとすればグライダーとかを使って、硬質ガラスを突き破りでもしない限りは……」


 そう呟きながら、窓の外を見た熊女はギョッとした。

 高層ビルの窓ガラスに、女子高校生が窓ガラスに対して水平に生足で立っていた。

 吸盤状になった足の裏が見え、スカートの中の下着も見えた。


 ヤモリは足の裏に、ナノサイズの繊毛が生えていて垂直の壁を登れる。


 ガラスに水平に立つ魔賀の忍者『壁塗 笑子』が、しゃがみ込んで部屋の中を覗きながら呟く声がガラスから振動となって聞こえてきた。

「見ぃつけたぁ……あたいの獲物」

 笑子が金属ナックルを装着した拳で、強化ガラスを殴るとガラスに亀裂が走り、割れて強風が流れ込む室内に笑子が笑いながら転がり込んできた。


 ダンの前で身構える熊女。

「魔賀の忍びか」

「魔賀の『壁塗 笑子』以後お見知りおきを……と、言っても。すぐに殴り殺される者が、敵の名前を覚えていてもしかたがないか……あははははっ」


 笑子が高笑いする声に混じって、部屋のクローゼットの中からメタボな男の笑い声が聞こえてきた。

「ぶふふふふっ、確かにすぐに死ぬ者が名前を覚えていてもしかたがないべ……オラは妖賀の『野槌 七転』」

 クローゼットの扉を突き破って、七転が現れた。

 七転の口から発射された唾液が、笑子の近くをかすめ。

 笑子の頬が少し焼けたようになる。


 激怒する壁塗 笑子。

「この野郎! まずは、そのマヌケ顔の骨をあたいの拳で砕いてやる!」

「やれるもんなら、やってみろ……おまえ、美味そうだな」

 笑子は攻撃目標を、いきなり現れた七転に定める。

 接近した笑子の拳が七転の顔面に、めり込んだ。

「死ね、妖賀」

 だが、七転は倒れずに。顔からピンク色をした膜のようなモノを外部に拡げて笑子の拳から腕を包んでいく。

 慌てて拳を、七転の顔から引き抜こうとする笑子。

「な、なんだコレは? 抜けない!」


 短いトゲが生えていて裏返った、七転のビンク色の胃袋が笑子の上半身を包み込む。

 ピンク色の肉膜に包まれた笑子の顔面に、裏返った胃袋の短い針が刺さり……獲物の動きを麻痺させるのと同時に、注入された消化液が笑子の血管から全身を巡り、笑子の体が内部から溶解していく。

 笑子の断末の悲鳴。

「ぐあぁぁぁぁ!」


 海洋生物のヒトデは自分の胃袋を、裏返して外部に放出して獲物を食べる。

 クモは消化液で獲物の体を溶かしてすすったり、麻痺させる毒液を注入する。


 溶けた笑子の肉汁は、軟骨化した骨と皮を残して七転に吸われ。

 残った軟骨と皮も、七転は呑み込んでしまった。

 衣服だけを残して、魔賀の忍びは妖賀の忍びに食べ尽くされた。

 膨れた腹を撫で回しながら、胃袋を体内に戻した七転が言った。

「魔賀の忍び、うめぇ~」


 ダンは眼の前で起こった、忍び同士の奇怪な死闘に言葉を失い。腰が抜けて、その場に座り込んだ。


 熊女が一言、七転に言った。

「いったい、いつからクローゼットの中に潜んでいた……何をするつもりだった」

 熊女は、七転の服のポケットから覗いていた自分の下着を引ったくると、自分の服のポケットにねじり込んでから、窓ガラスが割れて吹き込む風で散乱した部屋の中を見回して呟いた。

「これは、フロアの別の部屋に荷物を移さないとダメだな」

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