追加:妻サイド後編
脳の機械化……?
私の中ではそれはタブーだった。
脳の中身をそっくりそのまま、新しい機械の脳に移し替えられたとしても。
それは果たして同じ「彼」なの……?
でも
「すごい時代になったものだ。ヘッドギアを被って1時間眠ったんだが、それで脳のデータをそっくりそのまま電子データ化できるだなんて」
「聞いてくれよ純子。その抽出した僕の全人格データの正確性をどう確認したと思う? 先生の前でキミとの思い出を思いつく限り並べ立てて、それが僕の抽出人格データとの整合性があるかどうか……つまり一部が完璧に合致するなら、他の部分も合致しているだろうという……つまり、工場での製品の不良品率の算出方法と似てるんだよね。面白いよね」
ものすごく楽しそうに脳の機械化に向けての前準備作業の内容を語る彼。
そんな彼にそんなことはとても言い出せなかった。
それに……
「これで僕の会社を永久に守り、社会のために人を雇うことができる」
「好きな本も永遠に読んでいられるよ」
そんなことを嬉しそうに語る彼。
とどめに
「これでキミに寂しい思いをさせることも無くなる。それが一番嬉しいよ」
……これが決定的だった。
夫が完全機械化して不死の人間になることは……
社会のためになり、夫自身の幸せにも繋がり、そして私を思っての行動。
夫の決断を止めるのは、悪なのではないか……そう思ってしまった。
もやもやするものがあったが。
それは私の勝手な考え方の押し付けかもしれないと思ったから。
黙っていた。
拭いきれないもやもやしたものがあったけど。
そして手術の日がやってきた。
私はその日を……何故か人生最後の日のように感じてしまった。
「脳の機械化は本当に良い! 睡眠時間が0でも何も疲れない!」
手術を終えた夫は大変楽しそうで。
一切眠らず、仕事の無いときは延々書斎に籠って本を読んでいた。
本当に夫は楽しそうだった。
……夫が幸せになれたなら、私はそれで。
そう思い、私は自分を納得させていた。
ある夏の日。
真っ赤に太陽が燃えている日に。
私の弟の子供……甥っ子が遊びに来た。
私たちが結婚した後に出来た子で。
気分的に自分たちの子供のような扱いの子だった。
「おじさんおばさんこんにちは」
赤ちゃんのときはあんなに小さかったのに。
大学生になっていた。もうすっかり大きい。
全く時間が経つのは早いものね。
「おお、良太君こんにちは」
「良ちゃん、大学はどんな感じ?」
自宅に招き入れ、私はスイカを切った。
毎年買っている名産品だ。
機械化していても、モノは食べられるし、味も分かる。
夫と甥っ子は縁側で並んでスイカを食べていた。
甥っ子は
「おばさんちのスイカは美味しいよね」
言いながらかぶりつく。
美味しそうに咀嚼し、飲み込む。
その様子を見て、夫は
「種は出さなきゃダメだよ」
そう、言ったんだ。
言ったのよ……。
甥っ子は、小学校のときに。
テレビゲームに熱中するあまり、睡眠時間を毎日2時間にまで削り遊び続けていたときがあった。
そしてその生活リズムが乱れたストレスせいで、甥っ子は尋常では無い便秘になった。
そのとき主治医が「これはもう、下剤でどうにかなるレベルを超えてますね」そう言い
「開腹して腸をマッサージしましょう。もはやそれしかない」
……便秘で手術なんて、何かの冗談だと思ったなぁ。
なので最初は私たちはギャンギャン騒いで、金は積むからそんな方法で甥っ子を助けないで欲しい。
そう言ったら
「便秘を舐めてますね……あなたたち。その認識をぶち壊してあげますよ」
そう言われて甥っ子がいかに危険な状態なのか説明され。
私たちは泣く泣くその提案を受け入れた。
そして手術が行われ。
甥っ子の異常な便秘は治ったのだけど。
そのとき主治医が
「サービスで盲腸を切除しておきました」
そう言って来た。
勝手に何をしてくれてんだ、と思ったけど。
盲腸が無くなればもう盲腸にならなくなるし。
何も困らないんだし。
文句を言うのはおかしくない?
そう夫に諭されたんだよね。
こんな感じで。
「盲腸が無ければ、スイカの種を飲み込んでもそのままウンコに出るんだぞ。盲腸に引っかかって虫垂炎になることは無いんだ」
私は夫の人工臓器に関する主治医に会いに行った。
その道の権威の先生だから、時間をとってもらうのが大変だったけど。
何度も交渉して、ようやく確保した面談時間。
私は主治医に会った。
「こんにちは。不死川さん。主治医の安藤です」
「主人がいつもお世話になっています」
狭い診察室に2人。
主治医はとても落ち着き払っている。
「今日は一体どのような御用件ですか?」
主治医の言葉に私は
「実は……夫が変な物忘れをしてるんです」
思い切って本丸を切り出した。
ひょっとしたら、夫の人格コピーにミスがあったのかもしれない。
私の杞憂だったら良いんだけど。
だってそうじゃないのであれば……
夫の生身の脳は既に焼却処分になってるんだ。
そう、夫の口から聞いてる。
そんなことを言われれば、私は……
「変とは?」
「大切な思い出を忘れてるんです……」
「ほぉ、それはどのような?」
そう言われたので、私は甥っ子の思い出を話した。
主治医はうんうん頷きながら聞いてくれた。
メモを取りながら。
そして聞き終え
「確かに大変な思い出を忘れているようですね。……でも、それは普通のことです」
「え?」
主治医の言葉に、私は混乱する。
主治医は続けた。
「記憶は変質するし、忘れ去ってしまうものです。それがどんなに大変なものであってもね……大切だから忘れないというのは幻想なんですよ」
そんな……。
私は認めたくなかった。
「じゃあ、私との思い出も主人は忘れてしまうのですか!?」
「いえ、それはありません。今の御主人は電子頭脳です。忘却は外部からの専用機械操作を加えない限り出来ない仕様です」
え?
余計混乱する。
それはどういう……?
「……意味が分かりません」
「生身のときに忘れてなかった証拠でもあるんですか?」
……やけに高圧的に感じた。
主治医は続ける。
「もう一度言いますが、大切な記憶が不変であるというのは幻想なんですよ。記憶は変質し、消えることもある儚いものなんですよ」
そんな……!
何だか、人の想いや絆を否定された気がした。
けれど……
「それを受け入れずに、些末な大切なはずだった記憶を転送前にうっかり忘れたことを大騒ぎして、あなたは何がしたいんですか? 人格コピーに失敗したことをでっち上げたいんですか? それであなたは何を得るんですか?」
その言葉は、私の頭をハンマーで殴り付ける様な効果があった。
違う! 私はそんなことを聞きたいんじゃない!
その次の週に、また甥っ子が遊びに来た。
その日はメロンがあったので、切って3人で食べた。
私たち2人は、メロンの種を外して食べた。
甥っ子は、種など気にせず食べた。
今日は夫は、何も言わなかった。
……私はホッとした。
完全機械化 XX @yamakawauminosuke
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