ちょっとしたエッセイまとめ

かずラ

夢がいつか叶うという言葉が嫌いな話

私は「夢がいつか叶う」という言葉が好きではない。本当に夢がいつか叶うものであれば、この世に挫折する人はいないだろう。インターネットには小説家志望があふれ、一獲千金を夢見る人たちをカモにしようとする詐欺師がいる。

もちろんその人が望む限り、夢を追う権利は保証されるべきだが、さまざまな事情によって、夢を諦める人は多い。

夢を諦める人数の割に、メディアやニュースで、挫折や頓挫が取り上げられることが少ない。わたしはずっとそのことに不満を抱えてきた。

私自身も、持病によって大学を退学した。退学してしばらくは、やりたいこともなく、だらだらとパソコンの画面を見ていた。

 私は双極症という病気にかかり、二十代前半を引きこもって暮らした。就職して社会に出てきたのは二十代後半になってからである。

 双極症は、かつて躁うつ病という名前の病気だった。躁という気分が高揚した状態と、うつという気分が沈んだ状態を繰り返す。近年では、研究によって遺伝性の要因が強いことがわかっている。

 双極症になるのには運の要素が強い。ストレスをきっかけに発症することが多いが、幸せに暮らしていた人が発症することもある。私が双極症になったのも誰のせいでもないのであろう。

 私は勉強が好きだったし、高度な問題に挑戦する自分が好きだった。プライドの高い私が強く望んで入った大学を、退学してしまうのは屈辱的な経験だった。今でもときおり、当時のことを思い出しては苦しくなる。

 うつがひどいとき、主治医に「私は夢がないんです」と話したことがある。主治医は、淡々と「世の中夢を持っている人ばかりではないですよ」と答えた

 その瞬間はよくわからなかったが、今はその言葉が染みる。

 夢を叶える叶えない以前の問題を抱えている人もいる。夢を持つことが全てではない。私が、病気の症状で寝込んでいても、今はそれでいい。夢なんて追えるときに追えればいい。もっと夢を、軽く考えてよかったのだ。

 苦い挫折を経験し、自分の弱さを受容することでしか、前に進めないことがある。

双極症の症状が少しましになった折、「劇場版すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」を見た。映画はなりたいものになれない自分をテーマにした作品だった

すみっコぐらしのキャラクター」すみっコ」たちの前に魔法使いが現れ、彼らからよかれと思って夢を奪ってしまう。しかし、ストーリーを追っていくと、すみっコたちが叶わぬ夢を追っていることも、個性であると語りかけてくる。

すみっコぐらしのキャラクターは、それぞれやりたいことを持っているが、「時間の概念がないファンシーキャラクター」であるので、夢が叶い、物語が完結することはない。

映画では、なりたいものになれない状態のすみっコたちを肯定し、美しいものとして描いていた。

私は映画を見て、泣いた。

 夢を長く叶えられない現状を、美しいものとして描いてくれる作品に、初めて出会ったからである。

数か月前、チャットアプリで友達と話をした。

私が「私はなりたいものになれなかった」と言うと、友人も「自分もそうだよ」と答えた。

彼女からの返信は、卑屈でも自己愛に酔ってもいなかった。本当は、「なりたいものになれなかった」ということは何気なく、ありふれたことなのだと思う。

友人は、いつも自信があるように振る舞っていた。明るい人間が、「なりたいものになれなかった」と言うのは、重みがある。

 世間は夢が叶う話ばかり、小説やニュースで取り上げてしまう。夢を諦めた人、なりたいものになれなかった人が当たり前のように扱われてほしい。挫折した人たちがうろうろしている方が、世の中の方が気軽に夢を持ち、気軽に諦められるのではないか。

 夢を叶える人は美しい。しかし挫折すること、諦めることを絶対的な不幸として扱わないでほしい。それこそ、夢なんて星の数ほどあるのだから。

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