第14話 黒船、再び
翌日、1000。
目的地に向かい、海鵜丸は機関回転数85RPMで航行中。
これはスタンバイエンジン時のフルアヘッドと同じ設定値だが、北から吹く風の方位が変わり若干の追い風となったため、13ノットほどの速力を発揮することができている。
船内には久々に穏やかな時間が流れ、非直の者は溜め込んでいた洗濯物の処理に追われていた。
練習船では、自分の生活の面倒は自分で見なければならない。
洗濯はもちろんだが、自分たちの暮らす居住区の清掃も、朝別科と巡検諸当番の日に2度行う。
しかし、ここ数日はとてもそれどころではなく、掃除も洗濯もまるでできないでいた。
船内では基本的に常時作業着で過ごすため、心の余裕とともに嗅覚を取り戻した体にはそろそろ耐え難い臭いを放ち始めている。
同時に通路の埃や便所の臭いも許容レベルを超え始めたため、ここに至って船内一斉点検が行われる運びとなった。
看護長の本田を陣頭指揮に、当直スケジュールに基づいて非直者を掃除係、洗濯係、物品整理係の3つに分け、船内衛生環境を回復する。
で、俺は高三原と一緒に物品整理に放り込まれることとなった。
機関長職まで当番に入れるのかと文句… もとい建設的な議論を提示したところ、船長だろうが機関長だろうが非直の船員に変わりはないということだ。
物品整理は他と違い、船内に残された私物を整理する仕事が与えられている。
すなわち、異世界に来る過程で突然どこかへと消えてしまった、俺たち以外の実習生や教官たちの部屋を整頓するのだ。
これは単に部屋を片付けるという以上に、こうした私物に含まれる洗剤や飲食物、筆記用具等々の消耗品をできる限りかき集めるという目的がある。
とはいえ。
「なんか… 遺品整理してるみたいでヤだな」
「ああ…」
突然何処へともなく消えてしまった乗組員たち。
主を失った品々を整理し、箱詰めしていく様子は、故人に対して行うそれに近い印象を受ける。
別に、誰も死んだなどとは思っていない。
救命艇もラフトもなくなっているのだから、きっと彼らは異世界に来る前に船から脱出したか、脱出させられたのだろう。
しかしそれでもいい思いはしない…… のだが。
「おーっ! 3/Oってば“マツタケの谷”箱買いしてる! やっぱマツタケよねぇ、“タケヤブの丘”なんて誰が買うのかしら」
無神経な化け物は、どんな集団にも1人は居るものだ。
丸眼鏡の事務長、永井である。
「アイツの心臓には毛でも生えているのか?」
「ああ。鋳鉄の心臓にマリモの毛が生えてるんだよ。そうに違いない」
正午過ぎ。
船内清掃もひと段落がつき、かき集めた消耗品はカテゴリー別に分けられて第一教室に並べられている。
永井がそれらを集計しているのだが、菓子類の机に置かれた「マツタケの谷」に対して「タケヤブの丘」の扱いが妙に雑なのは気のせいだろうか。
ともかく、彼女によれば洗濯や入浴用の洗剤はかなりの量が手に入ったらしく、おかげで当面は石鹸を自作する必要はないそうだ。
また菓子類に関しては、ズボラな実習生が溜め込んでいた消費期限ギリギリの生菓子が相当数“発掘”されたため、近々お菓子パーティーが開かれる模様。
「その時はジルルも誘ってくれ」と伝え、俺は教官室に戻る。
当番に就かされることに文句を言ったのは、決してサボりたいからではなく、きちんとやるべき仕事が残っているからだ。
部屋に入ってデスクに着くと、既に仕事を始めていた高三原が収穫を尋ねてくる。
「どうだった?」
「大漁。けど新田のアホがバカみたいな量のどら焼きを溜め込んでたもんだから、この後嫌になるくらい粒餡を食べることになるぞ」
「俺はこし餡派なんだがね」
高三原の小さな抗議をスルーしながら、俺はパソコンと手元のファイルを開いて仕事を始める。
仕事というのは、機関室内の各種機器の整備点検計画を立てることである。
機関室内のあらゆる装置… エンジン、発電機、ポンプ、パイプ、電装部品エトセトラは、人が造った機械である以上、必ず整備点検を必要とする。
特に冷却用の海水を通す管路系統などは頻繁だ。その理由はもちろん、海水の塩分があっという間に金属を腐食させるからである。
こうした放っておけない装置たちの整備計画を構築するのも機関士の職責であるわけだが、単に計画を立てる以上の困難がここにはある。
というのも、諸装置が最後にいつ点検を受けたのか、今後いつ点検を行う予定だったのか、あるいはどれくらいの頻度で点検を行わなければならないのか、ということを調べる段階から始めなければならないのだ。
こういうことは恐らく担当する機関士の整備計画書にあるはずだが、そもそもその計画書がどこにあるのかも分からない。
この作業があまりにも膨大であるため、とりあえず士官職の俺、村田、五十嵐、大平で捜索と計画立案を手分けしているのだが、それでも一向に終わる気配がない。
ちなみに高三原も、甲板部の取り扱う甲板装置類に関して同じ作業に追われている。
「機関部は大変そうだなぁ」
「まあな。主機のFO系統だけでも弁が40以上ある。これにポンプに、エンジンに、LOに清水に海水に… うーん」
本田にはもう少し慈悲を持って接して欲しかったところだ。
『キャプテン、機関長。至急船橋へ』
放送が、くたばりかけていた俺たちを引っ張り起こす。
「……この流れ」
「前にもあったな。まさかとは思うが…」
嫌な予感がする。
共通の感想を胸に抱きながら、俺たちは帽子をかぶって上にあがった。
「左舷4ポイントに不審船団。あの速度では衝突コースです」
船橋当直にあたっていたチョッサーの田中が指さす。
確かに、水平線よりも手前でハッキリ見える黒い影が点々と並んでいた。
その数は5。レーダー上では、単縦陣というべきか、まっすぐ一列に並んで刻々と距離を縮めて来ている。
「5隻の黒い帆船… まさかあの時の…!」
高三原が息を呑みながら言う。
あの時、俺たちがこの世界に来たばかりのころ、出会い頭に砲撃をかましてきたあの黒い船団。
それに、あまりにも似ているのだ。あの船影は。
「少し
「了解。
「スターボードステア0-5-5、サー!」
船がゆっくりと右に回頭する。これで衝突コースを離れられれば、それで良いのだが… はたして。
「左舷の船団、右に回頭した。
「クソ間違いない! 連中はあの時の船団だ!」
明らかに、かの船団はこちらを狙う動きをしていた。
追いつかれたのだ。
俺たちが海上に停まっていた1日の間に、針路を反転して、待ち構えていた。
なぜ、どうやって。
疑問は様々に浮かんでくるが、今それを考えるのは俺のするべきことではない。機関長としての職責がある。
「俺は機関室に行く!」
「頼む、コッチは任せてくれ!」
高三原が田中から操船指揮を受け取り、それを見届けた俺は機関室に向かってラダーを降りる。
これから回避行動のために速力を増すなら、これに関して機関の面倒を見てやらなければならない。
そのために俺が機関室に向かうべく暴露甲板を進んでいると、突然中部のヘビードアから銀髪の小さな影が飛び出してきた。
「ジルル?!」
「逃げてくださいっ!!」
と、彼女は凄い剣幕になって叫ぶ。
「いったいどうし…」
「あれは危険です! あれは…… 私を襲った… 公国海軍の艦隊を壊滅させた、ルアン共和国の私掠船団です!!!」
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