第15話 海鵜丸の戦い

 ひとまず俺は、彼女を機関制御室に避難させることとした。


 船底の中央にあるここなら、少なくとも砲弾の直撃は届かない。まさか、帆船が魚雷を撃ってくるなどということはないだろう。


 ジルルはずっと落ち着かない様子で、モニタに映されている船外カメラの拡大映像を、食い入るように見つめている。


 そういえば彼女は言っていた。

 公国海軍艦隊と共に回廊を捜索中、敵国の私掠船団に襲われたと。彼女が海に漂流していたのも、そのせいだと。


「じゃあ、あれがその… 共和国というところの船だと」

「…正規軍の艦ではありません。しかし、国の意思で動く船であることは確かです」


 私掠船というのは、国家に承認を受けた、国営の海賊である。


 有名どころであれば英国のフランシス・ドレイクなどで、爵位や土地といった報酬と引き換えに、敵国の商船だけを襲い、金品を略奪して国に献上する。


 彼らは時に戦争資金の大きな調達先となり、その特殊性と使い勝手の良さから権力者たちの私兵・懐刀としての側面もある。


 要するに、とんでもなくヤバい連中ということだ。


「そんなヤバい連中が、どうして俺たちを…」


 俺の解説を聞いた当直の村田が一言漏らす。

 すると突然、後ろでガタンと椅子の倒れる音がした。


 振り返れば、座っていたジルルが急に立ち上がり、頭を抱えながらワナワナと震えている。


「私の、せいだ……」


 村田がヤベッという顔をしたころにはもう遅い。

 ジルルはそのまま、恐怖におののきながらブツブツと小さく語り始めてしまった。


「私が、ここにいるから… きっと彼らは私を追ってきたんです…! 共和国から私を捕らえるよう命令を受けているって、前にあの船の船長が言っていました… 私がここに居る限り、この船は……!」



 直後彼女は立ち上がり、制御室の扉に向かって走り始める。


 その焦燥に満ちた顔を見て、俺は確信する。


 降りるつもりなのだ。おそらく彼女は後部甲板にボートが係留してあることを知っている。

 そこに向かうつもりだ…!


 引き留めようとするも、俺の手は小さく素早い彼女を掴み損ねる。


 後部甲板にたどり着いたとて、彼女ひとりで固縛してあるボートを降ろすのは不可能だろう。しかし、そうであっても止めなければならない。


 彼女をこれ以上、絶望させないためにも。


 だが、そうこうしているうちにも彼女は2枚ある扉のうち手前のそれを開けようとしていた。

 間に合わない。そう思った俺が慌てて駆け寄ろうと足を踏み出すと……



「はーい、そこまで!」


 と、突然現れた何者かの大きな腕が、後ろから彼女を捉えた。

 「ぴゃいっ!」と不思議な声を上げ硬直したジルルは、そのまま腕の主に抱擁される。


 いつの間にそこに居たのか。

 ジルルを抱きかかえたのは、非直のはずの大平だった。


 大平はその豊な胸元にジルルの顔を埋め込むと、ゆっくり優しくその頭を撫で始める。


「ジルルちゃん一人を海の上で追いかけられるワケないでしょ? あいつらが追ってきたのは私たち。ほら、この船目立つから」


 小さなジルルを抱きしめる彼女は、まるで母親のようだ。

 女性にしては大きなその背丈が、弱々しく抵抗するジルルを掴んで離さない。


「大丈夫。この船のエンジンは伊達じゃない。振り切ってみせるよ。海鵜丸は速いんだから」


 その姿を見つつ、俺はふと、あるアイディアを思いつく。

 それに気づいたころには、俺は内線の通話ボタンに手を伸ばしていた。






『なにっ! 敵の戦列に突っ込むぅ?!』

「そうだ。このまま南に回避航路をとったとてジリ貧だ。その前に、敵縦列の隙間を全速で突破する!」


 今海鵜丸は、敵との衝突経路から南に逃げるように回頭している。

 こうすれば、確かに単純な速度差でこの場を脱することはできるだろう。


 だが、俺たちの目的が組合に合流することである以上、いつかは舵を切って北上を始めなければならない。


 しかし連中は恐らく追跡のプロだ。

 その場で取り逃がしても、その航路を予想し、最適なタイミングが訪れるまで粘り強く網を張り続けるに違いない。


 今この航路を辿っていることを見られたゆえ、俺たちが組合への合流を目指していることは悟られたと考えるべきだ。


 であれば、このままグダグダと逃避行を続けるのは、かえって自分の首を絞めることと同義となる。


 だからこそ、今ここでリスクを取り、敵の船団を突破する方が長期的には利となる。


『お前、相手がどんな船か見ただろう! 三層砲列の戦列艦だ。前回は運よく損害が出なかったに過ぎない!』

「回避運動には考えがある。今そっちに上がるから、とにかく左舷に回頭しろ!」


 俺は村田にいつでも回転数を上げられるよう頼み、指揮を引き継ぐと再び船橋へと上がっていった。






「どうするつもりだ?!」

「戦列艦は軸線方向への火線が薄い。だからあえて正面衝突するコースを維持する」


 言いながら俺は略図を描いたメモ帳を見せる。

 俺の考えはこうだ。


 前提として、海鵜丸は丸腰ではあるが、向こうに対して速力・旋回性能で共に上回っている。


 それを最大限活用し、敵船の軸線、つまり船首方向に船を位置させ続けるのだ。

 相手の船型から見て、船首に向けられる砲の数も、口径もたかが知れている。


 衝突直前に舵を切り、砲の照準をつけられる前に全速で横合いを駆け抜ければ、船団を一気に通過できるだろう。


 だが近づきすぎれば移乗攻撃を受け、離れすぎれば砲の射程に収まる。

 その代わり、上手く行けば船団を大きく引き離して目的地に向かうことができる。


 ハイリスクハイリターンの戦法だが、これが今できる唯一現実的な策だった。


「……分かった。余裕もないしそれで行こう。非直の者を中央部に退避させる」


 高三原が指示し、田中が放送機に向かって声を吹き込む。


『本船はこれより、敵船団の突破を試みる。非直の乗組員は速やかに中央部へ退避せよ。繰り返す……』






 海鵜丸は敵船団と正対した。


 距離はおおよそ1.3マイル。

 この距離ではもう、相手船の特徴が肉眼でも見て取れる。


 黒い船体に、ところどころに入る金色の装飾。悪趣味な見た目だった。

 両舷の砲門はすでに開き、せり出した砲口が発射の機会を今か今かと待ちわびているようだ。


 すると、突然船首に猛烈な煙が巻き起こり、風切り音とともに海鵜丸の右舷で水柱が上がった。


「敵船発砲!」

「落ち着け、狙いは甘い!」


 双眼鏡で確認した限り、船首砲は2門のみ。

 船楼に旋回砲が備え付けられていたとして、その程度では鋼鉄の船に対して有効打とはならないだろう。


 俺は内線で、機関室にバウスラスターの運転準備を指示した。


 スラスターは船首に備え付けられた横向きのプロペラで、本来は着岸時などに船を横移動させるための装備だ。


 しかし今は、舵の動きと連動させて、旋回性を少しでも高めようというのである。


「距離5ケーブル! 敵船左に回頭!」

「斉射する気だ!」

「させるか! ハード・ア・スターボード!」


 船体を大きく傾かせながら、海鵜丸は右に旋回を始めた。

 主機の回転数は連続最大出力、すなわち機関を安全に使用できる限界の回転数まで上げられている。


 19ノットの海鵜丸はその鋭い船首で波を裂き、流麗な白波を立てながら船団に向かって真っすぐ突っ込んでいった。


 向こうからすれば、なんの武装も用意する様子を見せず、ただ船団への衝突コースを維持し続ける海鵜丸は、体当たりを仕掛けようとしているふうに見えただろう。


 双眼鏡越しに、こちらの行動に目を回す乗組員の姿が見えた。


「ハード・ア・ポート!」


 と、ここで海鵜丸は左舵をとる。

 急速に運動した船内で猛烈な遠心力がかかる。


先ほどまでこちらに右舷砲列を向けようと左に回頭していた先頭の戦列艦とは、これで再び真っ向から対峙する形となった。


 相対速力は25ノットを超える両船は、3ケーブルほどの距離をあっという間に消費する。


 まさに衝突寸前。船首砲はあまりの距離に発砲を躊躇い、マストで小銃を構える敵兵も、その威容にたじろぐ。


「今だ、ハード・ア・スターボード! 金元、スラスターを!」

「分かってる!」


 俺は操舵号令と同時に、リモコン操作のスラスターを一気に最大出力で稼働させる。


 船首左舷に凄まじい勢いで海水が噴き出され、同時に舵を切った海鵜丸は尋常ではない勢いで旋回を始める。



 しかし、最大速力で旋回を行ったために、船はこちらの予想を超えて横滑りしていた。


 ジリジリと左に滑る船体は、敵船の船首からカブトムシのツノのように生える、バウスプリットと接触する。


 そのまま引っかかるかと思ったが、5800トンの巨体が持つエネルギーはバカにならない。


 船楼甲板の舷外通路の支柱に引っかかったバウスプリットは、少ししなると、直後物凄い音を立てながらへし折れたのだ。


 同時に船首に張られていたフォアセイルも、スプリットの道連れとなって海中に没した。


 敵船の乗組員が、衝撃と畏怖に叫ぶ声がここまで聞こえてくる。



「……! 2隻目との間が開いた! 高三原、あの隙間だ!」

「見えてる! ハード・ア・ポート!」


 衝撃の影響で一時的に操舵能力を喪失した先頭の船を回避するため、また代わって俺たちを撃つために、2隻目の船が左舵を取り、戦列に隙間が生まれる。


 海鵜丸はそこに向かって突っ込んでいった。


 結果的に俺たちは2隻目の舷側砲に身を晒すことになったが、かの船の砲は一向に火を噴かない。


 なぜなら、俺たちを挟んだ敵船の向こう側には、未だ身動きの取れない先頭の戦列艦が居たからだ。


 射撃精度の低い前装式の滑腔砲では、反対側の味方船までもその射界に収めてしまう。


 敵船の船長は、おそらくそのフレンドリーファイアを恐れたのだろうし、そもそも俺たちはそれを見越して突入した。


 さて、こうして先頭の2隻がてんでバラバラに行動したため、後ろに続く3隻は衝突回避のため、デタラメな回避運動を強いられる。

 火線を集中させるためであろう、その密集した単縦陣が仇となったのだ。


 そして統率の乱れた船の無茶苦茶な発砲が当たるほど、海鵜丸はノロマではない。


ミジップ舵戻せ! 全速で脱出する!」


 最後尾のフリゲート艦が放った破れかぶれの一斉射を余裕しゃくしゃくで躱し、海鵜丸は再びこの船団を振り切ることに成功した。





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