第12話 大人たち

 夕刻。

 食事をとり終えた高三原は、俺とジルルを連れ、船橋後部の海図台に集まっていた。


 明日から本格的に始まるであろう、補給活動に向けた航海計画を立てるためだ。


 ここに機関長の俺が呼ばれたのは、責任者同士ですり合わせが必要なのもあるし、機関部として現在の残燃料から発揮できる出力を助言するためでもある。


 ただそれ以上に、俺たちには傍らで略式の海図を引く少女への強い懸念があった。




「国際船主組合は、様々な国からの依頼を受ける、“探検船”の寄り合い所帯です」


 そう語るジルルは、手慣れた様子でコンパスと定規を操り、まっさらな紙の上に線を引いていく。


「海洋冒険者協会という通称は航路開拓時代の名残で… 今彼らが行っているのは、商船隊の護衛や海獣の討伐、それに局地への交易代行です」


 彼女の言動はひどく落ち着いていて、その口調はまるで俺たちより年上の人間が話すようだ。


 救助した頃のあどけない子供らしさはすっかり鳴りを潜め、今では無機質な、貼り付けたような真顔で海図と向き合っている。


 その姿はまるで10歳のそれとは見えず、幼少期から国家の駒となるべく仕立てられた子供の有り様をむざむざと見せつけられているようだった。


 この年頃の少女ですら、諸外国との係争の道具として使い潰す倫理観。

 それがこれから俺たちの向かう世界のスタンダードだと思うと、今から気が滅入る。



「ジルルの言う… 1“フェラル”は、だいたいこちらの単位で1.8マイルらしいから、合流海域とやらまではだいたい820マイルか。しかし、本当に海上に拠点があるのか?」

「はい。船主組合は特定の国に属する機関ではありませんから。いくつかある“組合旗船”に、本部機能が集約されているんです」


 公海上の比較的穏やかな航路を一定期間で往来するソレが、俺たちが当面目指すべき目的地となる。


 そこにたどり着き組合に加盟すれば、本船が必要とする物資の補給や、これからの活動基盤となる仕事のあっせんもしてくれるらしい。


「しかし、陸地のどこかではなく、海上を移動する船に合流するのは非常に厄介だぞ」


 と高三原が懸念を口にする。


 考えるまでもない。

 GPSもトランスポンダーも存在しない原始的な海上で、1隻の船が他方にピンポイントで合流するのはほとんど不可能だ。


「それは問題ありません。移動していると言っても、旗船はほとんどの期間を浅瀬で錨泊していますし、周囲には組合所属の哨戒船がかなりの頻度で往来しています。近づくことさえできれば、合流は容易です」


 聞けば公国海軍の艦隊も、何度かこの組合に助力を求めることがあるらしい。


 世界中あらゆる海域に所属する冒険船を派遣し、常に最新の航路情報を有する組合は、各国政府からも一目置かれるほど有力な組織であるようだ。


 しかし、他国の明確な軍事行動への協力を禁じる中立義務を所属船に約束させているため、あまり好かれてはいないようである。




 ともあれ、ここ数カ月の組合旗船は、推定される現在位置より800マイル以上北東のハッタキラ諸島に留まっているそうだから、とりあえずはそこに針路を向けることで決まった。


 ほとんど無策ながらも、これまで東に航行してきたのは結果的に正解だったわけだ。


 到着後も燃料が余るよう余裕を持たせるなら、航海速力として出せるのは12ノット程度という結果が出たから、目的地までは3日程度である。


「では、明日の南中で時計整合を行い、1400に出航としよう」

「そうだな。それまでに時差ボケを治さなくちゃ…」


 治せる時差ボケであったことが救いだ。


 もし異世界転移を司る神様などというものが居るのであれば、とりあえずその顔面に一発お見舞いしつつ、地球とほとんど同じ環境の惑星に飛ばしてくれたことをいちおう感謝しなければならない。


 単位整合の計算であったり、辛うじて現行の当直体制で船が動かせているのも、この惑星が地球と同じ直径と質量を持ち、自転周期が24時間であるからだ。


 ちなみに、この事実を計算上で導き出したのは事務長の永井である。


 ことここに至ってもそのマイペースを崩さない彼女は、「どうせ異世界に来たのなら」とかなり早い段階で諸々の調査実験を始めていたのだ。


 俺たちが異世界転移に震え、悶え、嗚咽するなか、彼女だけはせっせと鉛直棒にできる影を計測していた。


 おかげで今助かっているのだが、それにしても尋常ではない神経の図太さだ。正直ドン引きだが、ちょっと見習いたい気持ちもある。






 今現在居室としている、空き士官室までジルルを送ると、俺はいくつか船内生活の諸注意を伝える。


 消灯時間以降はきちんと眠るようにとか、何か困ったことがあったら内線で知らせるようにとか、そのあたりである。


 俺はそれらを、努めて子供を相手するものと意識して言い聞かせるのだが、当のジルルはやはり大人のように「はい、はい、わかりました」と応じるので、とてもやりにくい。




 扉を閉めた後、自分の居室に向かいながら頭を抱える俺の肩を、後ろから来た高三原がグイと掴んで引き寄せる。

 男同士の内緒話… などというわけではなく。単に相談事のようだ。


 船の進路も今後の定常作業も決定した今になっての相談事なのだから、それは当然、彼女についてのことである。




「金元、どう思う? あの子」

「…取り繕ってる、というよりは、常に演技しているような。なんにせよ、子供がしていい表情じゃないよ、あれは」


 彼女が幼少期から受けてきた、その教育のか。

彼女は大人の言うことへ素直に従うことに慣れすぎている。というより、それが彼女の行動規範になってしまっている。


 いちおう、国に戻りたくないという意思表示はしてくれたわけだから、そこについては多少なりとも我を出してくれていると受け取っていいのだろうが。


 あるいはそれが、彼女にとって精いっぱいのワガママなのか。

 それでも俺たち大人に囲まれると、やはりそれが委縮してしまって、自分自身を大人たちの道具に貶めてしまう。


 今回にしても、自分の願望が負担になると悟れば、あの様子だ。


 実現可能な最良のプランを提案し、それに関する情報を提供し、計画を補助する。


 なるほど確かに「針路を示す者」の名が示す通りかもしれない。しかし、それは本来大人である俺たちがするべきことだ。




「不用意な言い方だったな。あの子にとっては」


 会議の席で、自分が口にした“懸念”を思い出す。


 “ジルルをこのまま船に乗せておくには、相応の事態となることへの覚悟が必要だ”


 あくまで提言のつもりだったそれ。

 しかし彼女にとっては、みんなの意見次第では自分が“捨てられる”と聞こえてしまったのかもしれない。


 もしかしたら彼女は、俺たちがこの世界に飛ばされてきたことにも負い目を感じているのだろうか。


 異世界への回廊が開く時代に生まれる少女、ジルル。

 言い換えれば、ジルルが生まれてこなければ、回廊は開かれない。


 だから海鵜丸が異世界に転移してきてしまったのは、自分が生まれてきたせいなのだと。


 考えすぎかもしれないが、実際に彼女の表情が硬くなったのは、俺たちが異世界から来たと明言された時からである。




 子供は子供らしくあればいいものを、周囲の大人たちが、彼女を無理やり大人らしくしてしまった。


 そして今、俺たちもまた、彼女の大人らしい一面に頼って航海計画を立てている。


「不甲斐ないよな、大人としては」

「そうだな」


 俺たちはもう、子供でもない。学生でもいられない。


 少年や青年と呼ばれるには年を重ねすぎ、実習生という立場でいるには、背負う責任が大きくなりすぎた。


 もはや俺たちは、少年誌の主人公のように、ただ自分の願望のためだけに一直線になるわけにはいかないのだ。

 むしろ、そうした子供たちの願望を叶えるために働かなければいけない立場になってしまった。


 難しい役回りだが、それが大人というもの。

 俺と高三原は、この船の船長と機関長として、責任ある人間としてその小さな決意を胸に仕舞い込み、明日に備えて寝床に就いた。





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