第11話 鍵となる少女

 言い伝えによれば、古来からこの世界には異世界に繋がる回廊が存在していたのだという。


 回廊は数十年か数百年に一度、この世界の海のどこかに開き、その向こう側にある世界の産物をこの世界に産み落とし、やがて再び永い眠りに入る。


 こうしてもたらされる異世界の産物は、手にした者に莫大な富と躍進を与えるとされ、それゆえに古今東西あらゆる国々が、回廊を追い求めてきた。


 しかし、凡庸な人間に回廊を探し当てることはできない。


 回廊への道を示し、その扉を開ける鍵となり得るのは、この世界でただひとり虹色の目を持つ少女のみ。


 その少女、古来の言葉で“針路を示す者”を意味する、ジルル・ホ・ショルツ・デ・ヴェヒコがこの世に生を受ける時代こそ、回廊の開く時なのである。




 は、モルト公国と呼ばれる大陸国に生まれた。


 その容姿ゆえ、赤子の時から公国に仕える道具となるべく、皇族に献上される。


 その後は厳しい教育の後、8歳のころ、すなわち2年前に、公国海軍艦隊の一員として、回廊の捜索任務に就いた。


 しかしながら、回廊に関連するなんらかの特殊能力の発現もなければ、回廊の出現に関する手がかりの一切得られない。


これに業を煮やした艦隊司令官は、大胆にも公国の仮想敵国たるルアン共和国の領海に接近する。

 ところが領海付近で活動していた共和国の私掠船団に襲撃され、艦隊は壊滅。


 ジルルの座乗していた旗艦も拿捕され、彼女は捕虜となるが、供に捕虜とされた水兵らの決死の努力によりボートで脱出に成功。


 その後漂流していたところを、海鵜丸に保護される。

__________




「以上が、第2回の聞き取り調査で彼女から得られた情報だ」


 俺はプロジェクターに映されたスライドショーを終了させ、締めくくる。


 昼下がりの第二教室。

 今海鵜丸は主機を停止させ、海流の赴くままに海に浮かんでいる。


 乗組員にまとまった休息を取らせることが目的のひとつだが、それ以上のねらいはこの会議だ。


 現在士官職に命ぜられている11名。これを一堂に会させ、今後の本船の方針について検討するための会議だ。


 ジルルとの会話で得られた情報の重大さと、その事情の複雑さから、彼女の処遇も含めた今後の方針決定は船長と機関長の2名だけで決めることはできない、という高三原の判断である。


 異世界から物質が転送されるという現象。

 俺たちが今ここにいる最大の元凶たるソレについて、多少なりとも情報が示されたのだから。



「ジルルが話してくれた、“言い伝え”に含まれる情報を整理すれば…」


 高三原が立ち上がって会議の音頭を取る。


「“回廊”と称される、超空間通路とでも呼ぶべき現象の出現は、記録に残され、かつ国策としてその探索が行われるほどの再現性と頻度を持つイベントであると言える。この認識が共通のものであるか、まず確認したい」


 皆は黙しながらも小さくうなずき、同意の姿勢を見せる。

 「良いようだ」と俺が先を促せば、高三原は続いて語り始めた。


「このことから、回廊に到達することができれば、我々はその超空間通路を通して、現代の地球に帰還できる可能性がある、ということになる」

、な」


 と、村田が相槌を入れた。


「自分が鍵だと自称するあの子でさえ、結局回廊がどこにあるのか分からないと言うんだろう? よしんばたどり着いたとして、回廊ってのは双方向の行き来ができるものなのか?」


 すると隣で聞いていた大平も続けて疑問を口にする。


「鍵という表現も曖昧だよね。回廊の扉を開く、つまり超空間通路を開通させるのには生体認証バイオメトリクスのようなものが必要だという意味なのか、それともただ単に回廊の出現を知らせる予兆カナリアとして生まれてきた子供なのか。言い伝えだけじゃまるで分からない」


 否定的な言葉のようだが、それは彼らの経験と性格から来る冷静な分析であることを、俺は同じ機関科として知っている。


 というのも、ジルルの話してくれた言い伝えという“物語”は、普段から論理性の塊のような機械類と付き合ってる機関科の人間にとって、あまりに曖昧すぎ、信頼性に欠ける情報なのだ。


 とはいえ、それは航海科とて同じ話。

 事前に行った高三原との打ち合わせでも、同じような疑問が噴出した。


 しかし、今この船に乗っている航海科の人間には、少々冒険心の強い人間が多い印象を受ける。


 ガタリと立ち上がって反論する2/O、森などが特にそうであった。


「可能性があるならそれを選ぶべきだ。帰れるものなら帰りたいと思っているのは、オレだけじゃないだろ!」

「落ち着け。別に帰りたくないと言っているわけじゃない。けど、回廊を探すにしても俺たちには山ほど問題がある、という話をこれからするんだ」


 森をなだめると、俺は後の積で頬杖をつきながらこのやり取りを眺めていた女性に目配せする。

 丸眼鏡をした眠たげな彼女は、ひとつ大きなあくびをしながらノッソリと立ち上がる。


「はーい。その件について事務部から報告がありまーす」


 事務長の永井はゆっくりとスクリーンの前に移動すると、備品リストの記されたクリップボードを掲げる。


「帰り道を探すというならぜひお願いしたいけれど、その前にフルーツを補給しないと、みんな壊血病になっちゃうかなぁ」


 前回在庫をざっと確認した時点では、確かに食料の在庫は豊富にあった。

 しかし、その内訳は、決してバランスのよいものとは言えなかったのだ。


 生鮮食品、特に果実類の不足が深刻であった。おそらく長期実習の折り返し地点たるハワイで一気に補給するつもりだったのだろう。


 しかしその予定は潰え、今船内に残されている果実類はわずかだ。

 果実の役割は食事の彩だけではなく、船内生活で不足しがちなビタミンCの主要な接種源でもある。


 もちろん、尽きたからといって翌日から全員即壊血病、などというわけではないが、みんなの労働効率にも影響するので、燃料と同じくらいの優先度で補給したいとこである。




「…と、いうわけで。今後の方針について、機関長の俺とキャプテンの高三原で話し合った結果としては、回廊の捜索は至上命題として置きつつ、まずは燃料と食料の補給地点を探すことを優先としたい。これについて異論はないか?」


 とりあえず、皆納得したという風に沈黙する。


 しばらく待って意見の現れる気配がないことを認めると、俺は次の、非常に厄介な議題に移ることとした。




「さて、ここからがみんなを集めた一番の理由なんだが… あの子、ジルルをこれからどうするかという話についてだ」


 静まり返っていた教室がざわめきだす。


「どうするだって?」


 真っ先に大きく声を上げたのは、俺の予想していた通り森だった。


「このまま保護するんじゃないのか? どうやったって、公国だとか共和国だとかに引き渡したところで、あの子が幸せになることはないだろう」


 まったくその通りである。人倫に則れば、このまま彼女を本船に保護し、存在を隠匿する方が賢明だ。


「彼女自身はなんて?」

「“国に戻りたいとは思わない”と。ま、森の言うことは間違っていない」


 大平の質問に答えると、森は「じゃあそれでいいだろう」と食い下がるが、しかしと俺は制止する。


「俺としては、彼女をこのまま船に留めておくに伴って、懸念がひとつある」


 少しの間黙って聞いておくよう森に念押ししつつ、俺は続ける。




「彼女を乗せることで、俺たちの船がお尋ね者にならないかということだ。

 確かに彼女にとってはこのまま船に乗っていてもらう方が良いのかもしれない。


しかし、俺たちは補給やらなにやらで、この先現地の人々と交流を持つことになる。そのとき、俺たちは彼女の存在を隠し通せるのか?


 もし彼女の存在を悟られてみろ。あの子はどの国にとっても喉から手が出るほど欲しい回廊への手がかりだ。


 そりゃあ、海鵜丸の船足を以てすれば帆船から逃げるなんて容易い。けれど、海上封鎖で補給路を断たれたり、熟練の艦隊に追尾されたりしたら、逃げ切れる保証はない。


 そうやって捕らえられたら、俺たちはどうなる? 俺の懸念はそこだ」




 語り終えると、さすがの森もすぐには反論できず黙りこくってしまっている。

 他のみんなも同じような様子だった。


「勘違いしないでほしいんだが、俺だって別にあの子を公国って連中に突き返そうって言うんじゃない。ただ、あの子と一緒にこの世界を旅するなら、相応の覚悟と対策が必要だと言っているんだ」


 いちおう一言付け加えたが、反応は芳しくない。


 それはそうだ。俺自身、自分の中で結論が出せなかったからこそ、こうして提言という形に会議に持ち出したのだから。


 しかし待てど暮らせど意見は出てこない。


 一方を取れば、それは10歳の少女を見捨て、かつ地球への帰還を遠ざけるものとなり、また他方を取れば延々とこの海で逃避行を続けることとなる。


 そして今の我々が持ちうる情報と知恵では、そのどちらかを取るしかない。


 おいそれと結論の出せるものではなかった。………しかし。




「手だてなら… あるかもしれません」


 ひと際甲高い、この教室に居る誰のものでもない声が背後から聞こえた。


「ジルル…!」「ジルルちゃん?!」


 いつからそこに居たのか。

 教室の入り口には、強いまなざしでこちらを見据えるジルルが立っていた。


「ごめん、会議してるって言ったら、どうしても自分も行くって言われて…」


 どうやら後ろから追いかけてきたらしい及川が、気まずそうに立ちつくしている。

 ともあれ、それよりも気になることを俺は聞くこととした。


「手だてというのは、君をこの船に乗せたまま、かつ補給と探索活動をする方法がある、と受け取っていいのかな?」

「はい」


 答えたジルルは、服のポケットから革の表紙で彩られた手帳を開き、その1ページ目を見せる。


 そこには、不思議な記号で構成された、紋章のようなものが描かれていた。




「国際船主組合。公国でも共和国でもない、中立の海洋冒険者協会です。ここでなら私と、みなさんの存在を認めてくれるかもしれない…!」





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