第10話 転機
「10歳で、海の上にひとりぼっちで漂流か。難儀なものだな… で、結局それ以降は?」
「その後すぐ寝ちゃってさ。本田が言うにはただの疲れだろうって」
一晩明け、当直と仮眠を終えた俺と高三原は、食堂で朝食を取りながら話し合っていた。
本日の朝食は焼き鮭と米、みそ汁。それに佃煮が少々。
慣れないギャレーを回して人数分の食事を用意してくれる司厨の彼らには感謝しかないが、この食料もいつまで持つか。
新しく事務長となった永井は、昨日の巡検で冷凍庫を見て回り、「人数が減った分かなり長持ちしそうだ」と言っていたが……
「それで? お前から報告ってなんだ」
高見原に言われ、俺は危うく忘れかけていたポケットに入れたモノを取り出した。
試薬瓶に入ったその液体を、俺は食べ終えた食器の片付いた机の上に置く。
「開けて、中の臭いを嗅いでみてくれ」
高見原は怪訝な表情をしながらも瓶のふたを開け、手で仰ぎながら慎重に臭いを確かめる。
すると、漂ってきた刺激臭にすこししかめっ面をした彼は、一拍置いて俺に回答した。
「灯油か?」
「正解。あの子の乗っていた、ボートに付いていたカンテラの残油だよ。村田が粘性と発火点を調べてくれたが、性質は限りなく地球の石油に近い」
タブレットに入力されたレポートを差し出す。
村田のやった検査は船内でできる程度の簡易的なものだが、それでも数値のうえでは、かの液体が規格表に定められた灯油に近い性能を持つことが示されている。
高見原はしばらく考え込んだが、やがて真っすぐこちらを見据えて言った。
「つまり、この世界のどこかに、石油を蒸留して広く利用するだけの文明がある、ということか?」
「そうだ。この油は相当高純度にまで蒸留されている。この船が必要とする重油や軽油も、もしかしたらまとまった量が入手できるかもしれない」
本船が積んでいる燃料にはまだ余裕があるとはいえ、主機を動かしているのだからその総量は刻々と減ってきている。
せめて発電機が喰う燃料を減らすためにも、みんなには節電を呼び掛けているのだが、どうやったっていつかは尽きる。
そうなる前に、どこかで燃料を補給しなければならない。
その希望が見えてきたのだ。
すると。
「あれ? ジルルちゃん!」
ギャレーの奥にいた中山が、食堂の入り口に向かって言う。
釣られて振り返れば、銀色の髪をたなびかせるジルルが、本田に連れられて食堂にやってきていた。
「本さん、もう連れ回して平気なのか?」
「体調に問題はない。それに、この子の希望でもあってな。お前に一言って」
俺に…?
まさか、事故とはいえ裸を見ちゃったことへの謝罪要求か?
「あ、あの…!」
とジルルが俺の前に立つ。
緊張した面持ちの彼女を前に、俺も思わず立って背筋を伸ばしてしまう。
「き、昨日は… その、すみませんでした!」
「……あれ?」
「私を助けてくれた人を、魔法で突飛ばしたりなんかして… 私は、とんだ恥知らずです!」
助けてくれたって言っても… 救助したのは俺だけじゃないんだけど。
じゃなくて、もっと他にツッコミどころがあっただろう。
「いや、それは気にしなくていいよ。それより、魔法って言ったか? それはいったい…」
「あれ…? 魔法を、御存じないのですか?」
まるで、太陽を見たことがないのかとでも言わんばかりの表情で言われる。
そうは言われても… と返答に困った俺は、目線で高見原に救援要請を出すことにした。
果たして彼は立ち上がり、少し芝居がかったしぐさで助け舟を出してくれる。
「あいにく、君の良き隣人とは言い難いほど遠くからやって来た身でね。初めまして、船長の高見原だ」
彼は上手いこと明言を避けた。
“異世界から来た”と直接言えば、信じられないどころか警戒を深めるだけだと判断したようだ。
「あ、俺は機関長の金元」
「えっと、タカミ…ハラさん? カナモト、さん。ジルルです、よろしくお願いします」
しばらくすると、中山が「お腹が空いたろう」と軽食を用意して持ってきた。
米は見たことがないというので、倉庫から菓子パンとスープを持ってくると、彼女は凄い勢いで食べ始めた。
よほど空腹だったのか。その豪快さは俺たちも驚くほどだったが、本田が言うには栄養失調気味なのでもっと食べたほうが良いとのこと。
「それで… ああ、食べながらでいい。魔法、というのはなんだい?」
聞くとジルルは、おもむろに指先をスープの入ったカップに向ける。
すると、その指先に突如として燐光が灯り、小さなそよ風がカップに向かって吹いた。
湯気が飛ばされ、波紋の浮かんだスープを一口すすると、彼女は「これが魔法です」という。
「空気の中にある魔素を、体の中の魔力で操作するんです。私は、こんな風しか起こせませんが、修行を詰んだ人たちは、もっと凄いこともできると聞いています」
「それは、誰にでもできるものなのか?」
「いえ、素質がある人だけです。その、素質がある人というのは、魔素と魔力が“視える”人のことで…」
説明を聞きながら、俺は魔法を使うジルルの傍で、机に置かれたスプーンがわずかに滑るように動くのを見た。
ジルルの身に着けている、ネックレスのようなアクセサリー、他の金属食器、服の金具などが、奇妙な引力の影響を受けているように見える。
(なあ高三原)
(分かってる。強力な電磁誘導か? 機器類の傍では、少し厄介かもな…)
小声で話す俺たちに、ジルルがきょとんとした顔をしたので、俺は質問を変えることにした。
「じゃあ、次に聞きたいんだが… 君はどこから来た。なぜひとりで海の上に?」
その言葉を聞いた瞬間、ジルルは食事の手を止め、すこし難しそう顔をする。
いきなり聞くには少しデリケートな質問だったか。
「ああ… 無理に回答する必要はない。これは査問でも尋問でもないし、答えたくないというのなら、答えなくても…」
「そういう訳ではなく、その… 答える前に、ひとつだけ聞かせてください」
ジルルはそう言うと、かなり真剣な表情でこちらを伺う。
これから話す内容は軽々しく語れるものでない。彼女の瞳はそう暗に言っているように見えた。
場所を変えようかとも提案したが、彼女はそれを断った。むしろ、皆に聞いてほしいと。
そしてしばらく言葉を選ぶかのような間を空けた彼女は、一息に質問を口にした。
「…皆さんは、異世界から来たのですか?」
食堂の空気が一瞬で変わる。
なぜそれを、というよりは、“異世界”という単語が、この世界の住人である彼女の口から発せられたことに対する衝撃。
「見たこともない船に、文字。それに、魔法を知らないとおっしゃいました。ですから、そう思ったのです」
誰が、どう答えるべきか。皆がそれを図りかねていた。
結局沈黙を破ったのは、やはりキャプテンの高三原であった。
「その通りだ。本船は航海中嵐に見舞われ、気が付けばここにいた。この世界は俺たちの居た世界に似ているが、少し違う。君の見せてくれた、その魔法とかな」
荒い呼吸の音がした。
ふと見れば、ジルルは額に汗を浮かべ、虹色の不思議な虹彩を縮めて肩を上下させている。
過呼吸を疑った本田が不安そうに近づくも、彼女は「大丈夫です」とそれを退け言葉を紡いだ。
「私は、あなた方がこの世界に連れてこられた、その元凶…… なのかもしれません」
彼女はスッと立ち上がる。
その姿は震えていたが、言葉はハッキリとしていた。
「私は、鍵。この世界と、もうひとつの世界を繋ぐ… 次元の回廊を開くための、生きた鍵なのです」
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