第9話 ジルル
救助した少女は医務室に搬送された。
彼女の乗っていた漂流ボートはカッターに曳航され、後部甲板に揚収されている。
内部に残された物品を検分するためだ。
「しかし、大しておかしな所はないな。俺たちのカッターと変わらん。…そこの木箱はなんだ?」
「どれどれ… 非常食みたいだな。ビスケットが数枚に、この瓶は… 水だな」
以前遭遇した艦隊の様子から予想はついていたが、この世界の文化や技術体系は俺たちの住む地球とよく似ているらしい。
いや、似ているというよりは、そのものだ。
「18世紀あたりの西ヨーロッパ文明、ってところかな」
「だろうな。キャプテンに報告してくる。ボートにはブルーシートをかけて固縛しといてくれ。中の物品は第二教室に」
「了解」
教官室に向かう途中で、高三原が今当直中であることを思い出した。
人員が不足しているので、船長職に就く者も当直シフトに入れなければならないのが現状だ。
俺も、あと数時間したら次直に入らなければならない。
時計を見れば時刻は1000。
いろいろなことがありすぎて、もう1週間ぐらいの時間が経ったような感覚がしていたが、まだこの世界に来てから6時間しか経っていない。
「この先もつのかな… 俺たち」
ぽそりと漏らした独り言は、空調の音に掻き消された。
教官室で報告書をしたためる前に、俺は医務室に寄ることにした。
少女の容態を確認しておこうと思ったのだ。
医務室では、看護長の本田が付きっ切りで様子を看ている。
本田はもともと都内の病院で看護師として働いていたが、職場が肌に合わず、退職して商船大に入りなおした社会人学生だ。
この実習生の中では最年長で、みんなの兄貴分として慕われている、頼りになる男だ。
「どうだい、様子は?」
と扉を開けて尋ねれば、本田はいくらか落ち着いた様子で椅子に座っていた。
傍らのベッドには少女が横になり、穏やかに寝息をたてている。
「思ったほど悪くはないよ。低体温症の症状がみられたから、そのための処置をして、今体温は徐々に回復してきている。ほかに凍傷やその他の外傷はない」
「そうか」
俺は近寄って、その顔を覗き込む。
本当に人形のように美しい顔の少女… いや幼女と呼ぶべきだろうか。
頭髪は少し不思議な光沢を帯びた銀髪で、顔立ちは幼く、小柄な体躯は小学生ぐらいの年頃に見える。
「人間… なんだよな、この子」
「失礼なやつだな。外見上は100%、ホモ=サピエンス=サピエンスの女性だよ。なんだったらレントゲン撮るか?」
「いやいい。まずはこの子の回復を優先してくれ。意識が戻ったら… そうだな、一報してくれると助かる」
俺はしばらく教官室に居ることを伝えると、医務室を後にした。
__________
収容した漂流者に係る報告書
報告者:青雲丸機関長 金元照也
発生日時:船内時刻 0830
状況:
本船が針路090を保ち航海速力14ノットにて航行中、船橋当直の2/Oが漂流物を発見し、当直士官の権限により救助艇部署を発令。
その後、船長を全体指揮、機関長を救助艇指揮者として救助活動が実施され、漂流していたボート、および内部の乗員1名を収容した。
漂流者は白人の女性、推定年齢は10歳前後と思われる。
収容後、看護長により医務室で処置が行われ、低体温症の処置が行われた。1000現在、容態は安定するも未だ意識不明。
女性の意識が回復しだい、コミュニケーション能力の有無を確認することを目的とした事情聴取を↵
__________
と、そこまで書き上げたところで、内線電話の呼び鈴が鳴った。
「はい金元」
『意識が回復した。…どうも言葉が通じるらしい。早く来てくれ』
「なに?」
言葉が通じる… 異世界で?
そんなまさかという気持ちが半分、もうなんでもありだろうと言う気持ちが半分。
とりあえず俺は「分かったすぐ行く」とだけ返し、受話器を置く暇すら惜しんで部屋を飛び出す。
電話口の向こうで『あ、ちょっと待てその前に着替えを…!』と叫ぶ本田の声を、俺が聞き逃していたことを知るのは数分後のことである。
食堂の手前にある医務室に向かうと、本田が扉の前に立っていた。
奥にあるギャレーでは、新たに司厨に配属された4人が、当直用の夜食を慣れない手つきで用意していて、その調理器具の奏でるリズムがここにも伝わってきていた。
そのうちの一人、中山がこちらの姿を認めて寄ってくる。
「おっ、本ちゃんに機関長! お揃いでどしたの?」
「あの子が目を覚ました。これから身体検査と事情聴取なんだが…」
こんな状況でも小鳥のようにさえずる中山に、本田が答える。
「じゃ、そういうことなんで。入るぞー」
と、俺は二人を差し置いて扉に手をかけた。
その時、突然本田が慌てた様子で「ちょまっ!」と制止するも間に合わず、ガチャリと扉を開けた俺は……
部屋の中で硬直しこちらを見つめる、半裸の幼女を観測することになった。
「……へ?」
「…あ、やべ」
「馬鹿がよぉ……」
___沈黙の医務室。主演:スティー〇ン・セ〇ール。
なんて冗談を考えるヒマすらなく。
直後、俺は若い女性の声帯が発する強烈な高周波と、突然発生した風圧に吹き飛ばされた。
「キャアアアァァァァッ!!!!!」
「おわあっ?!」
医務室の中に爆弾でも仕掛けられたかのような、台風も裸足で逃げだすほどの風。
70kgはある俺の身体がいとも簡単に浮き上がり、そのまま壁に叩きつけられる。
「ひでぶっ!」
「わわっ、扉閉めろ!」
近くに居た中山が慌てて扉を閉める。風に舞ったポスターがヒラヒラと落ちてきた。
「イテテ、なんだよあれ」
「お前なぁ、低体温症だったんだから濡れた服を脱がしてあるのは当たり前じゃないか。だから人の話は最後まで聞けと…」
「じゃなくて、あの風はなんなの!」
「知らん」
とキッパリ。
ともかくこの場は中山に着替えを見繕って来てもらうこととして、しばらく待ちである。
「それにしても本さんよ。言葉が通じるっていうのはどういうこと?」
「いやな、簡単な意識確認で、“聞こえてたら手を握れ”って言ったらきちんと握り返したから。あれは、本能的に手を動かしたというより、こちらの指示をきちんと理解していたように思える。…主観的な感想だが」
「いや、十分参考になるよ。すっかり元気も戻ったみたいだしなぁ…」
俺は叩きつけられた背中をさすりながら、中山の帰りを待った。
10分後。
「ごめーん、お待たせ!」
両手に着替えを抱えた中山が戻ってきた。
女性用の衣服が備品として船内にあるわけがないから、これは今乗船しているメンバーか、あるいは船内に残されていた、居なくなった実習生たちの私物だろう。
「下着の調達に手間取っちゃってさぁ。着替えは私が手伝うから、男どもは外で待ってて」
と言い、彼女は扉をノックして中の様子を伺いつつ、「入るよ」と一声かけて荷物を運びこんでいく。
どうやら今度は何事もないようだ。
「ところで、これはあくまで船内の備品と衛生環境を考慮したうえでの質問なんだけどさ。…どこで調達したの? ソレ」
「ん? 上着は失踪した人たちの私物。下着は… ウチで一番のチビから剥ぎ取ってきた」
航海科で一番背の低い者…… 島田か。
「ご愁傷様…」
「後でお詫び案件だな、これ。じゃ、着替え終わったら呼んでくれ。検査と事情聴取するから」
しばらくゴソゴソと物音がした後、中山が「オッケー」と出てきた。
これから配食があるからと食堂に戻っていった中山と入れ替わりに、俺は本田と医務室に入る。
ダボダボのパーカーを着せられた少女は、俺の姿を認めると頬を赤らめて視線を逸らした。
「嫌われたぞ、お前」
「勘弁してくれよ…」
言いながら本田は血圧計と酸素濃度計を手際よくセットしていく。
俺はといえば、クリップボードとスマホの録音機をセットして、少女の前に向き合って座っていた。
彼女は見慣れぬ環境と人の様子に緊張しているようだったが、まあしばらく我慢してもらうしかない。
「さて、2,3聞きたいことはあるが… まずこちらの言葉は分かるか?」
「………はい」
鈴のような声が返ってくる。さっきの悲鳴が嘘みたいだ。
ともかく、俺は「会話能力あり、意思疎通可能」とボードに書き加えると、ふと思い立って書いた内容を少女に見せてみる。
「この文字を見たことはあるか?」
少女は少しうーんと悩む素振りを見せたが、やがて小さくかぶりを振った。
「日本語の文字認識は不可」と…… 続けて書き込んでいると、諸々の検査を終えた本田が器具を片付ける。
「よし、ずいぶん回復したようだな。けど体温が上がりきっていないから、引き続き厚着をするように」
と毛布を掛けながら言い、奥の給湯器で湯たんぽを用意し始める。
「結構。では続いて、名前と年齢を教えてくれるかな?」
すると、少女は突然、ずいぶんと困惑したような顔をした。上手く伝わらなかったのだろうか。
なぜか意思疎通ができるとはいえ、彼女は異世界の住人だ。どんなところで言葉のニュアンスや文化の違いが現れるか分かったものではない。
彼女はしばらく押し黙り、やがて不意に医務室の中の様子や、俺や本田の顔を覗き込る。
またしばらく黙った彼女は、ついに意を決したかのように口を開いた。
「……ジルル。…私は、ジルル。10歳、です」
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