第5話



父親の名前は岸田隆之(きしだ たかゆき)


今となってはもう、この業界にいてもいなくても誰しも名前を知っているらしかった。


世界で初めて通用したとはよく言ったもので、英語、フランス語、スペイン語、中国語、誰よりも努力して習得したそのありとあらゆる武器で世界を相手に指揮棒を振ってきた、正しく日本一の指揮者だ。



息子の自分が言うのはなんだが、本当にそれぐらいのことしか、彼を愛せない。結果なんて後からついてくるもので、そんな肩書きを得てからしか人を見抜けないとしたら愚か者だ。



何もかもの自由を奪われながら、バイオリンを強いられたあの日々は間違いなく、疑いようもなく虐待だった。



地下室で、朝から晩まで弾いた。

友達と公園でサッカーがしたかったのに。



今更嘆いても、取り戻せない青い春に、俺はまだこんなにも恋焦がれている。



惨めだ、


狂おしいほど。




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