第35話 エピローグ

 魔王イツキを封印してから三か月後が経ちました。


 私を取り巻く環境は、あの頃とは大きく変わっています。

 寝室のソファーに座った私は、この三か月のことを考えながら日課であるトマトジュースに口を付けました。



「テレネシア・ヴラドツェッペリン伯爵ね。まさか私が人間の貴族になるなんて」



 あれから私は、この国の王から伯爵位をたまりました。


 1000年前に魔王フェルムイジュルクを倒したこと、魔王の使徒によって蹂躙じゅうりんされた王都の民を救ったこと、そして謀反人むほんにんイツキの反乱を阻止したことが理由です。


 貴族になってくれという国王の申し出を、私はありがたく頂戴ちょうだいした。

 そして私は、伯爵になった。


 どうせ私には、もう帰る国はない。

 ヴァンパイアの国を一から再建するという手もあるけど、あいにく私はあそこでの生活はあまり好きではありませんでした。

 それよりもむしろ、人間と生活することに喜びを感じてしまっている。


 聖女に誤解されたことで始まった人間生活だけど、いつの間にか私はこの暮らしを気に入っていたのだ。

 なので、このまま人間のフリをしながら王都に住むことにしました。


 そのための爵位です。

 いまでは養う家族や配下もいるから、むしろ渡りに船でした。



 ─コンコンコンコン。


 トマトジュースをすべて飲み切ったところで、ドアがノックされる。

 入室を許可すると、メイド長が入って来ます。



「テレネシア様、お屋敷の新人メイドについてご報告に参りました」


「ハートの先輩ぶりはこっそり見させてもらったわ。新人の指導もお願いしてしまって悪いわね」



 実は伯爵になったことで、私は王都に自分の屋敷を持ちました。

 使用人を雇うだけの財産も得たから、屋敷の管理のために新人メイドを雇ったところだったの。


 その結果、ハートはただのメイドから、メイド長に出世しました。

 いまでは数名のメイドをまとめる私の最側近です。



「あたし、ヴァンパイアになって体力がたくさんついたんです! だから一人のままでも大丈夫でしたのに」


「何を言っているの。ハートは働き過ぎなくらいだったのだから、少しくらいは休みなさい。シャーロットもあなたと早く会いたいのに、なかなかそのチャンスがないとなげいていたわ」


「お、お姉さまがあたしに……わかりました」


 ハートとシャーロットの姉妹の仲も良好です。

 私もシャーロットとの交流は続けていて、この国の社交界のことを教えてもらっているの。



「あのうテレネシア様、そのことでご相談があるのですが──」


「姉上、ちょっとよろしいでしょうか!」



 突如、銀髪の少女が部屋に飛び込んできました。

 私の妹である、トロメアです。

 いまでは伯爵の妹として、この屋敷で一緒に暮らしています。



「テレネシア姉上、またドルネディアス王太子から手紙が届いてますよ!」


「またドルネディアスから……これで何通目かしら」



 あの後、ドルネディアスは王太子になった。

 呪いがなくなったことで、ドルネディアスは神官から王族へと戻ったのです。

 これで次期国王の座は決まりました。


 でもその最大の功労者こうろうしゃである私は、ドルネディアス王太子と国王からとてつもなく感謝されてしまいました。

 そしたら伯爵位以外にもなにか望みはないかと尋ねられたので、つい『女神陽光珠ゴッドサンライト』が欲しいと言ってしまったの。


 イツキを倒した時のどさくさで、杖を破壊するのを忘れていたのよね。

 ハートがヴァンパイアになったことへの対処に頭がいっぱいで、すっかり頭から抜けてしまっていたのです。


 城に乗り込んで破壊することは簡単だけど、いまや私はこの国の貴族。

 たとえ誰にも知られないとしても、そういうことをするのは私のプライドが許しません。

 それに以前ほど、『女神陽光珠ゴッドサンライト』は脅威ではない。

 もし使われても、覚醒すればなんとか対処できるとわかったから。


 なので正攻法で杖を貰おうとしたら、なぜか国王から『息子とお見合いしませんか』という手紙が返ってきたのだ。



「姉上、これはチャンスです! ドルネディアス王太子と姉上が結婚すれば、この国を乗っ取ることも夢ではありません!」


 トロメアはヴァンパイアの国を再建しようと考えているみたい。

 真面目なこの子の性格なら、あの手この手で国を奪い取る方法を模索しているのでしょう。


「トロメア、私たちはヴァンパイアです。人間たちの住処すみかを奪うことは、私が許しません」


「でも姉上ぇ……」


「私に歯向かうなんて、トロメアも生意気になったものね。つい1000年前までは、『姉上がいないと眠れない』って毎朝泣きつてきたのに」


「あ、あれは、そのう……む、昔のことは忘れてください!」


 恥ずかしくなったのか、トロメアは顔を隠しながら部屋を飛び出していきました。

 なんだか騒がしい子に成長してしまったみたい。



 私は呼び出しベルを鳴らします。

 すると、今度はボロスが部屋に現れました。


「いつものように、お見合いは丁重ていちょうにお断りして」


「かしこまりました」


 ボロスはいまでは、伯爵家専属の騎士になっています。

 主に屋敷の警備を任しているの。

 元S級暗殺ギルドのボスだっただけあり仕事はできる男のようで、いまや立派な騎士として働いてくれています。


 そしてボロスは、私と妹のトロメア、そしてハートの正体がヴァンパイアであることを知っている唯一の人間でもある。

 まさかボロスとこんなに良好な関係になるとは思ってもいなかったから、驚きだわ。



 ボロスが退出すると、ハートと二人きりになりました。

 なんとなくハートの顔を見てみたら、なぜかぷくーっと頬をリスの方に膨らませています。


「ハート、はしたないわよ。ヴラドツェッペリン伯爵家のメイド長がそんな顔しないの」


「ここにはテレネシア様しかいないからいいんです。それよりも、ドルネディアス王太子とは結婚なさらないのです?」


「なに、主人が独り身だからって心配してくれているの?」


「ち、違います! もしもテレネシア様が結婚したら、せっかくのこの生活が終わってしまうので、つい…………」


 どうやらハートは、それだけいまの生活が気に入っているみたい。

 私と同じね。


「安心しなさい。私は誰とも結婚する予定はないわ」


 私に釣り合う相手が出てくるまで、誰の妻になるつもりはない。

 たしかにドルネディアスは立派な男だけど、それでもせっかく手にしたこの自由な生活を手放すつもりはないの。


 それに私が王太子妃にでもなった日には、事実上この国をヴァンパイアが乗っ取ってしまうことになる。

 自分で国をおこす未来はあるかもしれないけど、私よりも強い相手が出ない限りは嫁ぐつもりはまったくないのです。



「それで、ハート。さっき私に相談があるって言っていなかった?」


「そ、そうなんです。じ、実は……」


 ゴクリとハートが喉を鳴らした。

 秘密を打ち明けるせいか、私に近づいて小声で話しかけてきます。


「どうしましょうテレネシア様……あたし、お姉様を見ると、喉のかわきがおさえられないんです」



 ハートは生き返るために、ヴァンパイアになってしまった。

 そのせいで、吸血衝動きゅうけつしょうどうが抑えられないのでしょう。


 新人のヴァンパイアによくあることね。

 自分が好きな相手ほど、その者の血が欲しくなる。

 しかもそれは、食欲とは違う欲求です。

 なかなか我慢できるものではありません。



「それにシャーロットお姉さまだけじゃないんです。テレネシア様の顔を見るたびに、胸の奥がうずいてしまって…………あたし、いったいどうしたら」


「ハートはたしか、まだ誰の血も飲んだことないのよね?」


「は、はい」


 普通のヴァンパイアであれば、飢えに苦しんで誰かに襲い掛かる頃でしょう。

 でもヴァンパイアの王族である吸血姫の血を体内に取り入れたハートは、他のヴァンパイアとは違っているようでした。



「人の血を飲むのが、こわい?」


「はい…………」


 ハートは最近まで、人間だった。

 そう簡単に、価値観を変えることはできない。


「なら、練習あるのみね。そうでなくては、いつか餓死がししてしまうわ」


 血を飲む方法はいくらでもある。

 たとえば、血液袋を飲むとか。


 私の影響で王都に献血の文化が根付いたので、直接人から吸血する必要はない。

 それでも、ハートは私のヴァンパイアです。

 万が一のことも想定して、人から吸血する方法くらいは教えておかないと。


 私はハートの手を引いて、ソファーの上に座らせます。



「ハート、私の上に座りなさい」


「え、ちょっとテレネシア様、なんで服を脱いでるんですか?」


「このドレス高かったのよ。汚したら大変じゃない」


 初めての吸血は、下手なもの。

 血が首から垂れて服が汚れてしまうのはわかりきっているから、先に脱いでしまったの。

 とはいえ、肩を出すだけです。

 全部は脱ぎませんとも。


 最後に髪をかき上げて、首のうなじを見せつけたら準備は完了です。

 


「命令よ、私の血を吸いなさい」


「あたしがテレネシア様の血を!? そんな恐れ多いこと、できません」


「何度も言わせないで、これは命令です」



 ハートは私の血でヴァンパイアになった。

 だから主人の命令には逆らえない。


「わかりました……失礼します」


 ハートが私のひざに乗ってきます。

 向かい合う形で、視線が合いました。

 第三者が見れば、抱き合う恋人のように見えたかもしれない。



「血を吸う練習と思って、全力でやりなさい」


「…………わ、わかりました。し、失礼、いたします!」


 震えるハートの口が、私の首に噛みつきました。

 そしてチクリと、痛みが走る。

 牙が肌を突き破り、血管から血が吸い出されます。


 ゴクリと、ハートの喉が動いた。

 無事に飲めたみたいね。


 こうしてハートの初めての吸血は終わりました。



「どう、感想は?」


「お、思ってたより、興奮しました……」



 吸血行為というのは、ヴァンパイアにとっての食事です。

 三大欲求の一つと言ってもいい。

 とはいえヴァンパイア同士での吸血には、食事以外にも他の意味合いが含まれています。


 なら、これはいったい何を表す行為なのか。



「じゃあ今度は、私の番ね」


「はい、どうぞ……」


 私はハートの首筋に、そっと顔を近づけた。

 唇の先端が、メイドの柔肌に触れる。

 じっくり感触を堪能してから、私はいっきに牙を突き立てた──



 こうして伯爵家の夜は更けていきました。



 封印から目覚めた時はどうなるかと思っていたけど、いまではヴァンパイアということを受け入れてくれる仲間ができてしまった。

 生き別れになっていた妹とも、一緒に暮らせるようになりました。


 街の人間たちとの関係も悪くない。

 どういうわけか血液袋が毎日献上されてしまうほど、王都の民から異様にしたわれてしまったのだけどね。



 私が聖女のフリをしているうちは、きっとこのままの生活が続くはず。



 だから人間たちが私のことを誤解し続ける限り、ここで暮らしましょう。


 最強の吸血姫ではなく、人間に慕われる聖女として。




 ────────────────────────

【あとがき】


 これにて完結になります。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 皆さまに応援していただき、ここまでとても励みになりました。

 

 また新しい小説を書くと思いますので、その際もどうぞよろしくお願いいたします。

 最後に改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました!!

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最強の吸血姫、封印から目覚めたら聖女だと誤解されてました ~正体がバレないように過ごしていたら、なぜかみんなから慕われたのですが 水無瀬 @minaseminase

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