第12話 慈悲深い聖女、テレネシア
「聞いたか、聖女テレネシア様の話?」
「ニコラス王子に暴力を振るわれていたメイドを助けたっていう、あの話だろう」
「あの王子の乱暴は有名だったからな。それなのに貴族たちは、王子のせいで平民がいくら死のうが、見て見ぬふりだ」
「それなのに、聖女様は違った。平民の俺たちの味方をしてくれるとは、伝説の『封印の聖女』様はなんて
「聖女テレネシア様……ひと目でいいから見てみたいなぁ」
「今日の聖女参観は終わったから、明日また来てみよう」
教会に礼拝しに来た人間たちから、そんな噂話が聞こえてきました。
柱の陰に隠れていた私は、いそいそと自室へと戻ります。
──なんでこんなことになっているの!?
ニコラス王子にお仕置きをしてから、なぜか私に会いに来たがる人間たちが増えたのです。
そのせいで私は、教会の礼拝堂で人間たちに「笑顔で手を振る」という仕事をさせられることになってしまった。
おかげで教会は寄付金が増えて、
大神官ドルネディアスめ、綺麗な顔をしているけど意外と腹黒い男だったみたいね。
部屋に戻ると、メイドのハートがベッドメイキングをしている最中でした。
私が「笑顔で手を振る」仕事をしている間に、こうやって部屋の掃除をしてくれている。
ハートには感謝しています。
「テレネシア様! も、申し訳ありません、すぐに終わらせますので」
「いいのよ。気にしないから、慌てないでそのまま仕事をしなさい」
椅子に腰かけ、トマトジュースを飲みます。
結局あの騒動のせいで、トマトジュース屋に行くことはできなかった。
迷惑もかけてしまったみたいだから、当分は顔を出せない。
これもすべては、あのニコラス王子のせい。
今度会ったら、どうしてやろうか。
ニヤニヤと妄想を膨らませていると、ハートが私の前でちょこんと立っていました。
「もう終わったの? なら、一緒にトマトジュースを飲みましょう」
「て、テレネシア様、あの日は大変、ご迷惑をおかけしました!」
そう言って、ハートは深く頭を下げてくる。
突然どうしたのかと思ったけど、きっとニコラス王子とやり合ったことについてでしょう。
あれからハートは随分と気にしていたようだったから。
「何度も言っているでしょう、あれはハートのせいじゃないって。全部あのバカ王子のせいなんだから」
「そ、それでも、テレネシア様にお手を
「だからですよ。私のメイドを守るのに、何も理由はないのだから。あなたは堂々と私の後ろに控えていればいいの」
涙を流すハートの手を、そっと取ります。
そうして顔の右半分を隠している前髪を、ゆっくりと持ち上げました。
──なんて酷い。
あの王子にえぐられたのでしょう。
人間に対し、なんて非人道的な行為を……。
「この傷のせいで、あなたはいつも
ハートはひょんなことから、貴族に
顔の半分を焼かれ、目をほじくり返させるという拷問のようなことをされた。
その後、ダルウィテッド公爵家に拾ってもらったみたいだけど、それでもハートの傷が癒えることはなかった。
だからなのでしょう、ハートがいつも
私は国王の命令で、貴族と同等の待遇を受けている。
ハートがメイドとしてここに来たばかりきの頃、私を見て震えていたのはそれが理由だったのだ。
あの王子のように、私も
思い返してみるとハートは、貴族を目にするといつも体を硬直させていた。
特に貴族の男を見ると、すべてに絶望したような表情をする。
おそらく、王子との出来事がトラウマになっているのだ。
「そう泣かないで。あなたには私がいるのだから」
メイドの顔を、自分の胸に押し付けます。
そうして優しく
「て、テレネシア様!? お、お胸が、あたしの顔に!」
「暴れないで。その傷は私が治してあげます」
「で、でも、それはさすがにっ!」
「いいから、私に任せて」
私は自分の唇を噛んだ。
たらりと、血が唇を流れ落ちる。
血があれば、吸血姫である私は紅血魔法が使える。
そう、シャーロット公爵令嬢の命を助けた時のように。
──《
私の血を
まずは火傷の
ヴァンパイアの王女である私の血をもってすれば、ピチピチの綺麗な肌に戻すことは簡単なことです。
問題なのは、右の眼球。
眼球ごと完全に失っているようだけど、それも時間をかければ大丈夫。
血を変化させて、目の組織を復元していきます。
モデルは、私の目。
自分の目とまったく同じ物を作る
「これで出来た。目を開けてみて?」
「は、はいっ!」
ハートの右の
そこには立派な、紅色の瞳がありました。
「私の目と同じ色になっちゃったわね。おかげで左右の色が変わっちゃったわ」
オッドアイというのだろうか。
左は蒼色の瞳なのに、右は紅色になってしまった。
──そういえばこの蒼色の瞳、シャーロットと同じ目をしている。
「み、見えます……あたしの右目が、見えてる!」
「最初は違和感があるかもしれないけど、すぐに慣れるはずよ。何かあればすぐに報告しなさい」
「でも、いったいどうやって……まさか、神話に出てくるあの《
ハートが私の胸に顔を埋めているせいで、何も見えてはいなかった。
まさかその右目が、私の血で作られた物だとは夢にも思わないでしょうね。
「ただの平民メイドであるあたしに、《
「覚えていてちょうだい。私は平民だろうと貴族だろうと、区別しないの。だってみんな、同じ人間なのだから」
私からすれば、この子たちはか弱い人間です。
1000年前から同じ。
高貴な存在である私が、守らなければならない尊い存在たちだ。
「て、テレネシア様っ! あたし、どうやってこの恩をお返しすればいいのでしょうか……」
ハートの両目から、涙が流れている。
でも、今度のは痛いからでも、怖いからでもない。
嬉し涙です。
「特別なことなんてしなくていいの。あなたは私のメイドなんだから」
ハートの頭を、優しく抱きしめる。
人間は弱い。
でも、だからこそ尊いのだ。
1000年も前から。
「私はね、あなたたちのことが好きなの」
ヴァンパイアの王女なのに、人間のことが好きだ。
しかも人間に封印までされたのに、いまだにこの病気は治らない。
どこまでいっても私は、博愛主義者のお人好しなのでしかない。
「だからねハート。あなたにひとつ、お願いがあるの」
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