第13話 《side:ハート》

 あたしの名前はハート。

 貧民街で暮らす孤児です。


 物乞いとスリをすることでしか、あたしは生きていけない。

 辛い毎日だけど、そんなときは死んだお母さんが子守歌代わりに話してくれたおとぎ話を思い出します。



「悪いヤツが現れたらね、『封印の聖女』様が助けてくれるのよ」



 1000年前に魔王を封印したという伝説の聖女様。

 白銀の髪と紅の瞳を持つこと以外はなにもわからない、謎多き人物です。


 『封印の聖女』の話は、貧民街の女の子であれば誰しもが知っている話でした。

 いつか自分も、『封印の聖女』様のような立派な人間になってみたい。

 そう、思っていました。



 街を歩いているときに王子にちょっかいを出されたのは、お母さんが死んでしばらくしてからでした。


 ニコラス王子は「気に食わない」という理由だけで、あたしをオモチャのようにもてあそんだのです。


 顔半分の魔法で焼かれただけでなく、右目をえぐり出されてしまった。

 あたしは今日、死ぬんだ。

 そう思いました。



 それなのに、あたしはなぜか助かった。


 ダルウィテッド公爵に引き取られたからです。


 公爵家の紋章には、見覚えがありました。

 なぜならお父さんがあたしにプレゼントしたというペンダントと、同じ絵柄だったから……。



「君がハートだね。あの人によく似ている」


 あたしの顔を見ながら、ダルウィテッド公爵が懐かしむような声を出しました。


 それだけでわかってしまった。

 あたしのお父さんが、誰なのかを。



 ダルウィテッド公爵には、娘がいました。

 名前はシャーロット様。

 あたしとよく似た顔をしている。



 ──あたし、お父さんだけじゃなく、お姉ちゃんもいたんだ!



 それが嬉しくて、一度だけ「お父様、お姉様」と呼んでしまったことがある。


 でも、それがいけなかった。


 そのことをたまたま聞いていたダルウィテッド公爵夫人から、体罰を受けるようになってしまったのです。


「お前はあの汚らわしい娼婦の娘よ。貴族ではないの。そのことをよく覚えておきなさい」



 それ以来、お父様とお姉様とは、二度と声をわすことはありませんでした。

 ダルウィテッド公爵家で、下働きをしながら質素に暮らす。


 でも、それだけで十分。

 貧民街での生活に比べたら、ここは天国なのだから。

 それに、ここにはあたしと血のつながった家族がいる。

 それが心の支えになっていた。



 なのに、あたしは公爵家から教会にお払い箱になってしまいました。

 執事長に呼び出されたあたしは、こう命じられます。


「ハートは明日から教会で聖女様付きのメイドになります。これは御屋形様おやかたさまのご意思です」


 それでも執事長は、公爵夫人にバレないようこっそり教えてくれました。



 ダルウィテッド公爵とシャーロット様は、あたしの幸せを願っている。

 だから外で自由に暮らして欲しい。

 そういう理由があったのです。


 しかも聖女テレネシア様は、シャーロット様の命の恩人だとか。

 館の噂では、二人は一晩を共にしたとかそんなことを耳にしました。


 なんと、伝説の『封印の聖女』様は女好きだったのです!


 こうしてあたしは、聖女のメイドになりました。



「はじめまして! あたしは今日から聖女様付きのメイドとなりました、ハートと申します!」



 テレネシア様を見た第一印象は、「なんて綺麗な人なんだろう」というものでした。


 整った顔にきめ細かい白い肌、そして白銀の髪。

 おとぎ話の通りの美しい女性が、そこにいました。

 まるでこの世の者ではないみたいです。


 そして、テレネシア様は驚くべき言葉を大神官様に言います。



「私の好みの子を見つけてくれて、感謝します」



 テレネシア様はシャーロット様に手を出すほどの、女好きではないかという噂です。

 きっとあたしも、同じように体を求められてしまう。

 あたしはメイドとしてだけではなく、テレネシア様の愛妾としてここに呼ばれたんだと、悟りました。


 貴族の屋敷ではそういうことはなくもない話だと、メイド仲間が話していたからです。

 それに、あたしのお母さんも、実際にそうだったのだから……。


 そう思っていたのにいくら待っても、シャーロット様はあたしに手を出しませんでした。



 ──もしかして、この顔のせい?


 前髪で隠してはいるけど、あたしの顔の半分は火傷で酷い有様です。

 そのせいで、あたしはテレネシア様の好みから外れているのかもしれない


 せっかくあの『封印の聖女』様のメイドになったのに……。


 おとぎ話の中の住人が、いきなりあたしの主人になったのです。

 喜ばないはずがありません!


 だというのに、あたしはトマトジュースを買いに行くことくらいしか役立つことはできなかった。

 すでにこの身を捧げる覚悟はできているのに。

 それがどうにも、もどかしかった。



 そしてテレネシア様とトマトジュース屋に視察しに行った最中に、事件が起きました。


 なんと、ニコラス王子と出会ってしまったのです!


 あたしの顔を焼いた張本人。

 いまでもあの日のことは、何度も夢で見る。


 やはりあの時と同じように、ニコラス王子はあたしに暴力を振るってきました。

 貴族はどの人も同じ。

 ニコラス王子や公爵夫人のように、あたしのことを誰も人間扱いしてくれない。


 それなのに、テレネシア様は違いました。



 テレネシア様はお優しいだけでなく、お強かったのです。

 軍人たちを次々とぎ払っていきました。


 しかも勲章を持っているニコラス王子までも、倒されてしまったのです。



「私は聖女テレネシアです。私のメイドを傷つけるのであれば、たとえ王族でも容赦ようしゃはしません!」



 テレネシア様のその言葉に、あたしは胸を打たれてしまいました。

 なぜなら、お母さんが言っていた言葉を思い出したからです。



『悪いヤツが洗われたらね、『封印の聖女』様が助けてくれるのよ』



 あの話は、本当だったんだ。

 やっぱり『封印の聖女』様はあたしたちの味方なんだ!


 でも、それだけではありません。


 テレネシア様は神話に出てくる神聖魔法で、あたしの顔を治してくださったのです。

 失ってしまったはずの右目も、なぜか戻っていました。


 奇跡です!

 こんなこと、女神様にしかできないはずなのに。



「て、テレネシア様っ! あたし、どうやってこの恩をお返しすればいいのでしょうか……」



 さっきから涙が止まらない。

 こんなに嬉しかったのは、生まれて初めて。



「特別なことなんてしなくていいの。あなたは私のメイドなんだから」



 テレネシア様は、あたしのことを一人の人間として認めてくれている。

 それがこの上なく、嬉しかった。


 この方に、生涯を捧げよう。


 一生をかけて、恩返しをするのだ。

 だってダルウィテッド公爵家には、『恩義には恩義を』という家訓があるのだから。


 死ぬまでテレネシア様にお仕えしよう。

 そう心に強く刻んでいると、テレネシア様が驚くべきことを口にします。



「私はね、あなたたちのことが好きなの」



 そ、それって、あたしとシャーロット様のことですか!?


 腹違いとはいえ、あたしたちは実の姉妹です。

 ここのメイドになる時に、あたしはきっとテレネシア様の好みの顔をしているはずだと、大神官様から言われました。


 それはやっぱり、正しかったということですね!



「だからねハート。あなたにひとつ、お願いがあるの」


「は、はいっ! テレネシア様のためなら、何でもします!」



 テレネシア様のお胸に顔を埋めながら言う台詞ではないことはわかっています。

 でも、こんなに幸せな経験、初めてのことなんです。


 それにしても、テレネシア様のお胸がなんて心地よいのでしょうか。

 あたしも将来大きくなったら、テレネシア様くらい大きな胸になるのかな……。



「いい子ね。それじゃあ、これから私が何をしても、静かにすべて受け入れなさい」



 テレネシア様の顔が、私の首元に近付いていく。

 そうして、温かい感触が首から発せられました。


 ──これってもしかして、キス?



「は、はわわわわわわ!」



 これ、知ってる!


 恋人同士がするやつだ!


 すべてを受け入れろって言ってたし、つまりテレネシア様はあたしのことを……!



 聖女とメイドの禁断の恋。


 そんなおとぎ話を妄想しているうちに、あたしの意識は深い闇へと落ちていきました。

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