第一節 はじまり。
はい。実はこのようなタイトルの楽曲が存在することはご存じでしょうか。どうもΣT.Y.P.E.です。そんなのSp〇tifyで検索掛けたらわかるじゃねぇかという声が聞こえますが、実は句点まで含んでいるものはないようです。先ほど検索をかけてみたので間違いありません。たぶん。
ということは、タイトルでマンネリ化している人は句点をつけるだけで独自色を発揮できるかもしれませんね。とはいっても(仮に採用されたとして)どうせその表記が氾濫するでしょうからこのアイデアは僕のものだと主張しておきます()。
さて話は打って変わって。タイトルが「始まり」ということでこのエッセイの成り立ちを語っていこうかなと思っています。脱線したら、その時は。
カクヨムに入ってうろうろしていたΣくんはある日とんでもない作品と出会いました。その作者が書いているエッセイを読んでると、まぁアクが強くてとても面白かったのですね。すると人間ですから、真似してみたいという欲求が衝動的に湧き上がってくるわけです。幼年期から物書きをしてみたいと、ちらと頭の中で思っていたΣ氏は頭蓋骨を引っぺがされて脳みそから欲を掘り出されたのですね。そしてエッセイを書こうとこのまっさらな画面を見つめるに至りました。
真っ新~!
ハイ。これにあたって、ネタがないと詰まっちゃうよなと思って何でもいいからふと思い浮かんだ疑念を紙に書き起こしてみると、なんとビックリ80くらいはテーマが出てきたんですね。ただ、テーマは浮かんだもののそれしか書いてない。
もしかしたらそんなこと書いてもくだらないかもしれないと思いとどまり、知り合いに相談してみたらやってみろと背中を押されたのでエッセイ=ヲ=カク運びとなりました。
しかし不安事項はいろいろあります。自分はだいぶ飽き性だと自覚していますし、豆がちならぬ人間ですし、何より思考が刹那的で支離滅裂で、言語も日本語とはどこかずれている。減点箇所を挙げればきりがない。
自己評価でしかないので何とも言えないのだが、初めての人間がこんな状態で界隈に斜めの方向から飛び込んでいくというのはいかがなものだろうか。エッセイストという人間がいるのはもちろん知っているのだが、高校生時代に文芸部に所属して小説をメインにしていた人間にはチャレンジングすぎるのではないだろうか。
よくあるRPGを想像してほしい。Lv.はもちろん、初期装備すら整ってない者が、勇者として王城から出してもらえるだろうか。なんなら、勇者の血筋という根本的なものまで持っていないかもしれない(もっとも、最近はそうでない例外も多い)。
軽いノリのエッセイが好きかい? それとも地に足着いた思考が見たいのか。発見を求めてエッセイを読むなんて人もいるでしょう。それとも大学教授のように脱線した話が聞きたいのでありましょうか。すべて同感です。
しかしすべてに同感している以上、絞るということができない。僕は選択肢に溺れて、「何をすればいいのかわからない」とありもしない正解を求めて悩んでいるのです。こういう表現の痛さにも今、頭を煮やすわけですから、きりがないわけです。
始まりにはこういった不安や悩みがつきものなのでしょうか。明朗快活に素晴らしいスタートを切ってみたいものですがどうも断面が不細工になります。完全を目指したところで不毛だというモノですが、理想の自分でいたいのが人間というもの。
これには困ったぞと思った某Σは過去の作品を思い返すことにしました。過去の自分が何かしでかしていてくれないだろうかとネタを探す意味も兼ねていたのですが、そこである共通点を見出します。
すべてが始まりをテーマにしていたのです。
いや、まったく見た目は違っていたのですが、構造を見てみると、どうも。
その中で、まぁある登場人物においてはまさに今の私のようにうじうじ悩んでいるわけですよ。自分に小説家云々はどうたらこうたらって。
物語の始まりには「始まり」が関わってくるのは当然なのですが、僕の場合は短編を(時数の都合上)書いていたのでその始まりにあたる部分を書いていたわけです。始まりのきっかけといいますか。
例えば今世間を騒がす
そう気づくと自分を生暖かい目で見れます。今も昔も、はじめの一歩に悩んできたんだなぁと、お婆ちゃんになることができます。そう思うと、祝福したい気持ちになってきますね。お前の創作人生本格始動だよ! と。ドラマチックです。
何かしたいと思うというのは、現状から変わりたい、今という現実から体験したことのない非現実へとシフトしたいと考える一種の現実逃避です。自分の生活の中に、なんらかのドラマを生み出して刺激をもらいたいという願望のことです。
何かを始めるということはそれだけで日記に書くような物語を生み、そしてエッセイを生み、そして以前と違った心を生み出します。これはドラマを摂取することと同義で、尚且つ自身がそのドラマを生産することです。
その試写会の会場には必ずアナタしかいませんが、あなたはそのチケットを他人に与えることができます。ちょうど私のように。しかし、ドリンクはセルフサービスです。杯はまた、別のチケットです。
私のように始まることに不安があったり、または困難があったりする方もいるでしょうが、「始まり」は打ち切るまでは始まりとして、名前を夢として機能してくれます。決して前進し続ける必要はありません。後退したってかまわないです。少しづつ、現状を解決しながら進んでいけば、ドラマの脚本が脚光を浴びるはずです。そのスポットライトの照手が誰であろうと。
しかしそう考えてみると、最近は「始まり」がなさそうな作品がちらほら目にすることが多くなった気がします。なんか、こう。日常の切れ端を切り取ったかのような。現状への不満を抱いてるからこその燻ぶりを描いているのもありますが、状況が一致するものにとっては、それが恒常的なもので新鮮味を感じない。
違う視点から見ると、「日常系」というのもよく聞きます。ただ、あれは漫画の類としてギャグが盛り込まれていますので社会の日常と対応しているかどうか……。あでも、限界OLの日常系とかなら、ギャグなしのリアルが見れるかもしれません。それだけだとあんまりなので、少しアクセントはありますが。
先ほど書いた通り日常を描いているものでしょう。庶民生活でも、極貧生活でも、(最近いるのかわからない)貴族生活でも、その生活に対してのなんらかの心理は抱えます。そういった心理描写が評価される作品もあるわけです(最近の賞受賞作品には現代社会ならではの描写、テーマもある)が、それが評価されるという背景には何があるのでしょうか。
似てると思っているジャンルに、いわゆる不条理というやつがあるし、スタートがないというドラマも多い。「ソロ活女子のススメ」は大好きな作品ですが、あれもそうかな。作品としてはドラマが始まっているわけだが、まるで現実をのぞき見しているような作品な気が。ふむ。リアリティ。
これはいつかのエッセイで考えてみましょう。読まなきゃいけない本も増えた。
いい感じにまとまったわけではありませんが(見返すと混乱する)、今回はこれで終わります。はじめてのエッセイ、いかがだったでしょうか。
初めの第一歩、後退と停滞の先に
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初心者へのバシバシな指導も、自分、お待ちしております。
<了>
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