第3話 「不器用な約束」

 遂にこの日が来たか。

 いつものように仕事に出掛ける主人の悠仁ひさひとさんを見送ろうとした時、思い詰めたような顔をした悠仁さんが「今晩話がある」とだけ言ってきたその姿に私は全てを察した。

 明美あけみは暗い気持ちを無理やり切り替え良い事があるのではと考えてみたが、思い浮かぶのは悪い事ばかりであった。

 悠仁さんは元々器用な人じゃない。ここ最近の行動を思い返せば思い当たる節はいくらでもあった。帰りが遅かった。自分の部屋に籠ることも多いし、スマホを見ながら一人にやついている事も増えた。私が部屋に行こうとすると慌てた様子で制する事もあった。

 今日一日、何をしていたかも思い出せないまま、気が付けば「ただいま」と悠仁さんの声が聞こえ話し合いの時間が近づいていた。


 帰宅した悠仁さんの表情は固いままであったが、二人でいつも通りの晩御飯を食べた。

 このまま何もなく終われば良いと思っていた私の思いも叶わず、悠仁さんは静かに話し出した。


「明美。俺達が結婚してもう十二年になるな」


 そんな風に話を切り出して欲しくなかった。私は何も言わず静かに頷く事しか出来なかった。


「結婚する時に俺がした約束を覚えているか?」

「えぇ。覚えていますよ。二人でずっと仲良くいよう。あけみの笑顔を守るから。そうでしたね」

「あぁ。だけどその約束を破ることになりそうだ」


 あぁ、やっぱりそうかと私はうつむいた。


「気になる子を見付けてしまってね。駄目だと思っていたけど手を出してしまった。手を出したからには責任を取りたいんだ」

「そう。ねぇその子は私の知ってる子?」


 せめて知っている子なら納得できるかも。私は震える声で聞いてみた。


「いや、君の知らない子だ。これを見て欲しい」


 そう言って悠仁さんは一枚の写真を見せてきた。

 私は随分と若いその写真を見て言葉を失い、自然と涙が出てきた。


「ごめん、明美。泣く程嫌だったとは思わなかった。やはり一緒にはなれないと断ってくるよ」

「良いのよ、悠仁さん。その子、もううちにいるんでしょ?連れてきて」


 ここ最近の悠仁さんの行動が全て繋がった。

 悠仁さんは罰の悪い顔をしたが諦めて自分の部屋に向かっていった。

 私は涙で崩れた目元を拭き、悠仁さんをたらしこんだ相手が来るのを待った。


「明美。この子だ。ほら、お前も挨拶をしろ」


 悠仁さんは直ぐに自分の部屋からその子を私の前に連れてきた。


「あなた、名前はなんて言うの?」


 私の問いにその子はそっぽを向いたまま答えようとしなかった。


「悠仁さん。この子の名前は何て言うの?」


 私が聞くと少し照れながら「にゃんこのすけ」と答えた。

 変わらないネーミングセンスに思わず、私は吹き出した。


「なぁ、この子一人でだいぶ弱っていて病院にも連れていって面倒を見たんだ。君と二人で仲良くいようという約束は破ってしまうけど新しく三人で仲良くいたいんだ。ちゃんと散歩も連れてくって約束するから」


 不器用な約束だ。

 猫を飼いたいのに私とした『二人で仲良くいよう』って約束を破ることになるとずっと悩んでいたのね。

 私は悠仁さんの側で寛いでいる猫に声をかけた。


「よろしくね。にゃんこの助。悠仁さん猫ちゃんは散歩をさせなくても良いのよ」


 悠仁さんはパッと笑顔を見せ「いいの?いいの?」と何度も聞いてきた。悠仁さんのほうがよっぽど猫らしかった。

 私が頷くのを見て悠仁さんは嬉しそうににゃんこの助の頭を撫でようとし、おもいっきり引っ掻かれていた。


「駄目ですよ悠仁さん。そんな大きな手でいきなり頭を撫でようとしたら怖がっちゃう」


 相変わらず不器用な人だ。

 私は今までの心配が不要なものだったことに安堵し悠仁さんとにゃんこの助の姿を見ていた。

 そんな私の視線に気が付いた悠仁さんは、傷だらけの手を擦りながらにゃんこの助の手を握ると、私に向かってわーいと喜ぶように万歳をして見せた。




 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る