おかえり魔王、ただいま勇者



 魔王城へと続く一本道の最中。

 黒い地面の所々に、鳥と鼠の死骸が転がっている。

 世界の終わりに関して、少し俺は楽観視していたのかもしれない。

 人類を滅亡させるほどの、猛毒。

 あくまで俺はそれをゲーム内のエピローグ内容として知っていただけ。

 もしそんなものが、現実になったら。

 想像が、足りていなかった。

 ここは、《ダーク・リ・サクリファイス》の世界ではあるけれど、ゲームの世界ではなく、現実の世界。

 ありとあらゆる生き物を死滅させるような毒で満ちた世界に、救いなんてない。

 あるのは、痛みだけ。

 灰色に染まり続ける空を見上げると、気分が憂鬱になるようになってきていた。



「ご主人様、私の乳、揉みます?」



 隣りを歩くキャノピーが、唐突に俺の顔を覗き込んできて、よくわからないことを言い出す。


「なんだよいきなり。揉まないけど」


「精神力が回復する魔法を込めてあるの」


「嘘つけ。そんな魔法はない」


「減るものじゃないし、試しにお一つどうぞ」


「まあ、じゃあ後でね」


「言ったわね? 忘れないわよ。絶対に後で揉んでもらうわ」


「必死かよ。どういうモチベーションなんだ」


 くすりと、思わず俺は笑ってしまう。

 それで満足したのか、キャノピーは顔を近づけるのをやめて、元のちょうどいい距離感に戻る。

 これが彼女なりの気遣いだということは、理解している。

 

 エンシーを殺したことを、引き摺っているわけじゃない。


 猛毒に侵されて、孤独に死ぬくらいなら、という気持ちは痛いほどわかる。

 もし俺が逆の立場でも、同じお願いをしただろうから。

 でも、確かに俺は少し落ち込んでいた。

 出会いと別れ。

 離別の苦しみには、とっくに慣れきっていたと思ったのに、俺は自分で思うほど強くはなれていなかったらしい。

 

「ねえ、キャノピー」


「なにかしら。私のご主人様」


「キャノピーには、理想の死に方ってある?」


「……そうね。ご主人様の股の中で死にたいわ」


「キャノピーに聞いた俺が馬鹿だったよ。せめて胸の中にしてくれ」


「それなら叶う?」


「股の中よりは、現実味がある」


「なら、楽しみにしているわ」


 楽しみにしている。

 穏やかに笑いながら、キャノピーはそう囁く。

 理想の死に方。

 俺は最近、自分の人生の終わり方を考えていた。

 このとっくに終わりきってしまっている世界に、どこで区切りをつけるか。

 

 アリシア、君は本当に、まだ生きているのか。


 意図的に考えないようにしていた、暗い想像が段々と影を強くしている。

 思い出を辿る旅の果てに、何が待っているのか。

 何も、待っていないのか。

 ぬるい風が、最近鬱陶しく感じ始めていた。



「——ご主人様、危ないっ!」



 しかし、その瞬間、突如キャノピーが絶叫する。

 思い切り突き飛ばされた俺の横で、青い光が瞬く。

 ついさっきまで立っていた地面に、複雑な魔法陣が光り浮かび上がる。


 やられた。


 一瞬で状況を把握した俺は、小さく舌打ちする。

 こうなる可能性は、頭のどこかで考えついていたはずなのに、対策をしなかった。

 俺の代わりに、ウネウネと黒黒しい触手に絡め取られたキャノピーを横目に、俺は岩陰から姿を現す青年を睨みつける。



「おかえり、魔王」


 

 灰と泥で汚れた、灰色の髪。

 無機質で、感情の乏しい青い瞳。

 術式の刻まれた聖鎧に、薄らと白い魔力を宿した両刃の美しい剣。

 魔王である自分よりも、見慣れた顔。

 

「……ただいま、勇者」


 勇者。

 魔族を殺せば殺すだけ、強くなる異能の怪物。

 左耳に揺れる、ナイフを模した耳飾り。

 “自刎の耳飾り”。

 やはり、こいつも持っていたか。

 人類最後の生き残りを前に、俺は溜め息をつく。


「提案なんだけどさ。もう、やめない?」


「何を?」


 俺が疲れた声をかけると、勇者は平坦な声で返す。

 この戦いに、意味はない。

 もう、誰も救えない。

 勇者が救うべき世界は、とっくのとうに滅んで消えた。


「世界は、人類はもう滅亡してる。今から魔王おれを倒しても、もう遅い。だからさ、もう殺し合うのは、やめないか?」


 俺には、理由がわからなかった。

 感知型魔法トラップマジックを仕掛けて、灰と酸性雨が降り注ぐ世界で、どうしてこいつがいまだに俺に執着するのか。

 何のために、戦い続けようとしているのか。


「魔王、一つあなたは勘違いをしている」


「勘違い?」


「ああ、そうだ。僕は別に、世界を救うために、あなたを殺そうとしているわけじゃない」


「え? そうなの? じゃあなんで? 個人的な恨みとかないよね?」


「私怨もない。復讐でもない」


「だったら、尚更戦う意味ないじゃん」


「意味なんて、求めてない。僕はただ、確かめたいだけなんだ」


 確かめたい。

 そう語る勇者は、笑ってはいない。

 悲しむわけでもなく、嬉々とするわけでもなく、無感情に喋り続ける。


「これまで、沢山の魔族を殺してきた。もちろん、それで救われた人もいただろう。だけど、誰かのために殺してきたわけじゃない。ただの自己満足だよ。僕は、どこまでやれるのか。僕の限界は、どこにあるのか。魔族を殺すたびに増す力が、充実感をくれた。魔族に殺されかけるたびに、命の扱い方が上手くなる自分に満足感を得られた。ただ、それだけだよ」


 何の感慨もなく、勇者は語る。

 ただの、自己満足。

 俺はその言葉を受けて、どこか納得するものを感じた。


 こいつは、俺と同じで、現実に生きてない。


 俺が《ダーク・リ・サクリファイス》をプレイしていた時に、世界を救うために、なんてことはもちろん考えていなかった。

 ただ、ゲームスキルが上がっていくのが楽しかっただけ。

 魔王を倒す、ゲームをクリアするという目標のためだけに睡眠時間を削っていた。

 魔王を倒しても、誰かが褒めてくれるわけじゃない。

 ゲームをクリア出来るやつなんて、俺以外にもいくらでもいる。

 それは、ただの自己満足。


 勇者。


 その在り方は、ある意味で正しい。


 勇者は、魔王は、現実には存在しない。


 人とは異なる価値観、世界観の上に生きている。



「だから魔王あなたを殺すのに、遅くはない。人類も、世界も、過去も、未来もどうでもいい。僕が現在いま、あなたを殺せるかどうかを、確かめたいだけだから」




 

 

 

 

 


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