おやすみ友人、また明日


 

「約束の時じゃ、我がたった一人の友人よ」


 儂の言葉を聞き届けたギルオデオンが、いつものヘラヘラとした感情の読めない顔を変える。

 ギルオデオン・ダークグレイス。

 価値などないと思っていたこの世界で、唯一儂が認めた存在。

 それは決して、魔王という肩書きに相応しい強さを持っているからではない。

 もっと大切なものを、彼が持っているからだ。


「……たしかにそんな約束したね。でも、ちょっと早いんじゃない? いつからそんな老衰間近のお爺ちゃんになったの? まだまだ現役でしょ?」


「ドラハハッ! 生涯現役。当然それは儂のためにある言葉じゃ……しかし、どうにも、身体の具合が良くなくてな。すまんの、ギルよ。儂はじぶんほど、強くなかったようじゃ」


「……毒、か。俺は無効化してるからわかんないけど、エンシーですら耐えられないほどなのか」


 もうこの世界は、死んでしまっている。

 正直言って、儂は驚いていた。

 ギルオデオンが、この終わりきった世界でもなお、平然としていることに。

 儂の住んでいた森に住む生き物は、ほとんど全てが一瞬で息絶えた。

 正真正銘、この世の終わり。

 だから、この魔王がまだ生きていて、最後に出会えたことは大きな幸運だ。

 この機会を、逃すわけにはいかない。


 儂は、幸せなまま、死にたい。


「じきに儂は、死ぬ。だからその前に、儂を殺してくれ、ギルよ。じぶんなら、できるはずじゃ」


「……看取るのはいいけど、殺すのは約束と違うでしょ」


「このまま痛みに耐え続けるのはかなわん。おいぼれの最後の願いを、叶えておくれ」


「そっか。痛いのか。痛むんだね」


 一秒一秒、時が重なるたびに、鈍痛が増す。

 呼吸が段々と浅くなっていくのを感じ取れる。

 筋肉が硬直を始め、視界が濁り出す。


 死。


 確実に近づくそれを、避ける術はない。

 早いか、遅いかの、差しかない。

 世界より長生きできたら、十分だとは思わんか。


「この痛みから、解放しておくれ、ギルよ」


「俺の心の痛みは無視するわけ?」


「心痛むのか? 魔王のくせに?」


「瀕死とは思えない減らず口だね。もしかしてからかってる?」


「もう、揶揄うこともできなくなるから、今、からかってるだけじゃよ」


「……なんだ。ただの思い出作りか」


「思い出が大事なんだと教えてくれたのは、ギルじゃろがい」


「あー、言われてみれば、そうだったかもね」


 疲れたように、ギルが笑う。

 本当はこんな表情はさせたくなかった。

 でも、許して欲しい。

 ドラゴンというのは、我儘な種族なのだから。



『儂には、何も必要ない。ドラゴンは生まれながらに完璧な存在なのじゃ。これ以上、望むものは、何一つ存在しない』


『へー、そうなの? 何もいらないんだ』


『違うか? 魔王よ、自分は何を望む?』


『そうだな、俺は、“思い出”かな』


『思い出、じゃと?』


『うん。そう。死ぬ時になってさ、そういえば生意気なトカゲがいたなって思い出せたら、なんか楽しそうじゃない?』


『誰がトカゲじゃ! ドラゴンじゃけぇ!』


『あははっ。ほら、その怒った顔を思い出せたら、それは幸せだと思うんだ。エンシーはそういうの、いらない?』


『……エンシーとは何じゃ』


『名前。決まってんじゃん』


『名前、か。儂に名前をつけるとは、生意気な奴じゃ。しかし、響きは悪くない』


『死ぬ時にさ、勝手に名前をつけてきた変な魔王がいたなー、って思い出があったら、少し楽しいとは思わない?』


『……たしかに。一理ある』


『でしょ? だからさ、エンシー、俺と友達になろうよ』


『友達、じゃと?』


『うん友達になったらさ、もっと思い出、たくさん作れると思わない?』



 孤独は、痛くはない。

 儂は、ドラゴン

 強い者は、群れない。

 だから、一人でも構わないと、それが当然だと思っていた。


 だが、思ってしまった。


 気づいてしまった。


 儂が生涯を終えて、目を瞑るときに、その瞼の裏に何も映らないのは、確かに少し寂しいと。


「頼む、友よ」


「……俺、エンシーのこと、結構好きだったよ」


「知っておる。儂に会った奴は、皆そう言う」


「俺以外に言ってるやつ見たことないけど」


「そういうことは本人に言うもんじゃないぞ」


 ギルオデオンの掌に、魔力が集まり始めるのがわかる。

 魔族の象徴である赤い瞳が、夜の中で潤い光る。

 つらい役目を背負わせてしまうのだけは、申し訳ない。

 

「すまんな」


「本当だよ」


「泣くな」


「泣いてない。火山灰が、目にちょっと入っただけ」


 黒い稲妻が、ギルオデオンの周囲に満ちる。

 ありがとう、友よ。

 この世界で、最も優しい者よ。

 儂は、感謝している。

 この世界にではなく、君に。

 

 儂は、十分、幸せだった。


 幸せに、なる術を、教えてもらった。

 

「最初は少し、ピリッとするかもしれないけど、我慢して。【神曲:煉獄篇ダンテズ・プルガトリオ】」


 夜に黒い雷が、儂を貫く。

 その瞬間、全身が麻痺し、痛みが消える。

 

 ああ、ありがとう、本当に、優しい奴だ。


 思い出す景色には、いつもこの気高き魔王がいる。



『お願い! お願い! 一回でいいから!』


『断る! ドラゴンは乗り物じゃありません!』


『えー、いいじゃん一回くらい。俺も空飛んでみたいんだよ』


『嫌じゃ。竜としての誇りが許さん。せいぜい地べたを這いつくばって生きるがいい、魔族の王よ』


『……アリシアのお尻の感触』


『よし! 仕方ないのお! 特別に一回だけ乗せてやろう! 本当に特別じゃぞ!?』



 不満はないが、後悔が残る。


 こんな早くに世界が終わってしまうなら、もっと君を背中に乗せて空を飛べばよかった。


 

「……【神曲:地獄篇ダンテズ・インフェルノ】」



 黒い炎が、儂の身体を内から焦がす。


 暗い夜を、熱を帯びた漆黒が仄かに照らす。


 ああ、暖かい。


 痛みが、優しい熱に溶けて消える。


 儂の友人が、君でよかった。


 君に会えて、よかった。


「ギル、儂に思い出をくれて、ありがとう」


 黒い火炎に包まれた儂の言葉を聞いた魔王は、両目から涙を流しながら、優しく微笑む。


 いつか、語り合ったことがある。


 この世界には、輪廻転生というものがあると、ギルオデオンは言っていた。


 だから、お別れを言う必要はない。


 ずっと前から儂らは友人で、これから先もずっとそう。


 さよならという言葉は、あまりに温もりがない。


 だから、きっと、君はもっと暖かい言葉を使うだろう。



「……おやすみ、友人エンシー。また明日」



 おやすみ、また明日。


 遠い、遠い、明日でまた会おう。


 儂は目を瞑る。


 静かな、暗闇が広がる。


 久々に痛みのない、穏やかな夜空。


 星屑のように輝く、眩しい思い出たち。



 この景色を見ながら眠れるのなら、儂は寂しくない。

 


 


  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る