ばいばい退屈、よろしく主人



 どうして私がこの世界に生まれたのか、ずっとわからなかった。


 退屈は、毒なの。

 私の心を侵す、痛みのない毒。


 私は、この日をずっと待っていた。


 “全知の魔王”の存在は、ずいぶんと前から知っていた。

 曰く、孤高であり最強。

 曰く、未来すら見通す慧眼。

 曰く、魔族の頂点にして限界点。

 

 ギルオデオン・ダークグレイス。

 

 魔を極めた“魔女”である私が、生きる伝説と称される彼に興味を持つのは至極当然のことだった。


「こんにちは、魔女。熱々の一杯なら、貰おうかな」


「うふふっ。皮肉な魔王ね。火傷しないように、冷ましてあげる」


 当然というべきか、私の魔法の属性はすでに知られているみたい。

 私は、この世界自体には興味がない。

 だから、人類と魔族の争いにも干渉はしてこなかった。

 魔族だろうと、人類だろうと関係なく、私の住処に踏み入った愚か者を例外なく全て、凍死させるだけ。

 殺す前に知っている限りの情報は絞り取るけれど、私の情報は与えない。

 それにも関わらず、私の能力について最低限は把握しているらしいのはさすがと言ったところかしら。


「待ってて、今、お茶を淹れるわ」


「ありがとう。それにしても、まさかこんなところで君に会えるとは思わなかったよ」


「せっかく世界が終わったのだから、お散歩してみようと思って」


「なるほどね。旅行先にはオフシーズンを狙っていくタイプだ」


「ちなみに、世界を終わらせたのって、あなただったりする?」


「まさか。違うよ。終わるのは知ってたけど、最初からだよ。俺のせいじゃない」


 無駄に凝った装飾のなされたポッドに魔法で水を注ぎ、魔法で火を起こす。

 熟練度を度外視すれば、私は全ての属性の魔法を使うことができる。

 おそらく、“例外”すらなければ、私でも人類くらい滅亡させることはできた。


「でも、その腕、噂の“勇者”にやられたんじゃないの?」


「なに、腕の一本くらい、安いもんさ。新しい時代に、賭けてきた」


「新しい時代? どういう意味?」


「……当たり前だけど、通じないよな。ごめんごめん。なんでもない」


 意味深な発言。

 詳しく話すつもりはないらしく、目は逸らされる。

 初めて出会う魔王ギルオデオンは、右腕を失っていた。

 この世界で私に害をなす可能性がある唯一の“例外”。

 それは、勇者と呼ばれる存在だ。

 人類側に現れた天災のような規格外の怪物。

 曰く、不死身の戦士。

 曰く、魔族を殺すたびに強くなる異能者。

 曰く、神に愛された存在。

 そしてそれはある程度信憑性のある話らしく、古くから名を知らしめている魔族は次々と勇者に滅ぼされていった。

 そんな勇者が、魔王を殺すことを最終目標にしていることは明らかだった。


「でも、あなたが生き残っているということは、勇者に勝ったということでいいのかしら?」


「さあ、どうだろうね。負けたつもりはないけど」


 感情を悟らせない曖昧な笑みで、魔王ギルオデオンは私の問いかけをはぐらかす。

 人類滅亡は、どうでもいい。

 だけど、魔王と勇者には、興味が会った。

 でも、両方と顔を合わせるのは、面倒。


「お茶が入ったわ。どうぞ。召し上がれ」


「お、ありがとう。熱々だね」


 だから、私は待ち、選ぶことにした。

 いつか魔王と勇者は顔を合わせる。

 だから、その後でいい。

 生き残った方を、私が殺せばいい。


「【魔笛:ザラストロ】」


 魔王ギルオデオンがティーカップに触れた瞬間、私は氷属性の魔法を発動させる。

 蒼い氷が無から生じて、そのまま凄まじい勢いで隆起し、床と壁、天井を突き破る。


「火傷しないように、冷ましてあげるって、言ったでしょう?」


 私の氷に飲み込まれた魔王ギルオデオンは、強固な氷の中に閉じ込められた。

 

 だけど、もちろん、この程度じゃ、終わらないでしょう?


 ずっと、退屈していた。

 これ以上、私を待たせないで。

 もう、退屈には飽き飽きなの。



「【神曲:地獄篇ダンテズ・インフェルノ】」



 黒い炎が、私の氷を、溶かす。

 でも、その程度の火じゃ、私は燃やせない。

 ぬるい。

 足りないの。

 もっと、刺激が欲しい。

 もっと、もっと、私を焦がして。



「うふふっ。もっと、私を、めちゃめちゃにしてくれないと、私があなたをめちゃめちゃにしちゃうわよ?」




———




 ご親切にお茶を淹れてくれたかと思ったら、次の瞬間いきなり襲われた。

 だけど、ある程度は予想通りだ。

 魔族というのは、基本的に獣と一緒だ。

 基本的に対話は不可能。

 目があったら、勝負開始。

 ボス戦というのは、エンカウントしたらムービーが入って、強制的に戦闘開始と相場が決まってる。


「さてと、どうしたものかな」


 俺がカウンターで放った黒炎を身に受けながら、魔女は何が楽しいのか嬉しそうに笑っている。

 さすが火属性無効。

 当然だけど、まるで効いていない。

 本当だったら、メインが氷属性の魔法で、サポートとして隷属魔法で奴隷にした低級の魔族を操る戦闘スタイルのはずだが、パッと見た感じ奴隷の方は心配しなくてよさそうだ。

 だけどそもそも、俺が天蓋の氷の魔女と戦う理由は、特にない。

 面倒だし、逃げようかな。

 直線的な氷結魔法で崩れた天井の穴に向かって跳躍し、俺は上の階に移動する。


「どぉして私から逃げるのぉぉぉぉ!?!?!? やっと会えたのにぃぃぃぃぃイイイイイ!?!?!?」


「なんか怖いな。こんなキャラだったっけ?」


 しかし、上階の大広間に辿り着いた瞬間、魔力の揺らぎを感じる。

 この感じだと、壁を作る方の魔法だ。

 

「【魔笛:タミーノ】」


 回避妨害。

 このタミーノで創造された氷壁は、火属性無効で、物理しか効かない。

 別に殴って壊してもいいけど、冷たいのは嫌だな。


「だめよ。だめだめ。逃さなぁい」


「まったく、人気者はつらいな。まさか魔王にもファンがいるなんてね」


 氷の階段を生成しながら、魔女が優雅に下から上がってくる。

 本来は謁見などで使用されるのであろう、エレウシース城の大広間。

 そこは今は部屋の隅が取り囲まれるように、氷の壁で閉ざされていた。


「火属性無効、厄介だな。相性が悪い」


「うふふっ。どうしたの? 全知の魔王さん? 全部、なんでも、知ってるんでしょう? 私のことも、全部、知り尽くしてるんでしょう? だったらぁ、もっとぉ、楽しませてよぉおおおお!?!?!?」


 再び、氷の嵐が巻き起こり、俺に向かって突進してくる。

 魔王ギルオデオンの、ほとんど即死級とも言える最も攻撃能力の高い魔法は火属性しかない。

 これが封じられるとなると、厄介だ。

 俺は諦めに、溜め息をつく。


 なぜなら、疲れるから。


 何かを殴り殺すのは、焼き殺すのに比べて、疲れるんだ。



「【神曲:煉獄篇ダンテズ・プルガトリオ】」



 黒い雷が、左手の指先で、迸る。

 俺がこの構えをとっても、魔女は動かない。

 間抜けな顔をして、口を半開きにしてるだけ。

 素人だな。

 予備動作の時点で避けなきゃ、だめでしょ。


「え?」


 ——刹那、黒雷が走った。

 光の速さの一撃。

 見てからじゃ、回避は叶わない。


「天蓋の氷の魔女。火属性と毒状態の無効。でも、それだけ。俺みたいに全状態異常無効化は持ってない。つまり、麻痺状態スタンは効く」


 アクションRPGの基本だ。

 ヒットアンドアウェイ。

 敵の動きを止めて、殴る。

 ひたすらに、それを繰り返す。

 ゲームでやっている時は、これが楽しかったのにな。

 いざ現実でやると、ただの作業で、退屈だ。


「君が魔女じゃなかったら、もっと楽に殺してあげられたのに」


「ぶごぉっ!?」


 一気に距離を詰めて、左腕を振り抜く。

 もちろん、狙うのは顔面。

 一番ダメージ量が大きいのはヘッドショット一択。

 常識だ。


「ま、待って——」


「待たない」


「があっ……!?」


 鼻から血を流す魔女が雑に腕を振り払うが、それを俺は掻い潜ってもう一撃喰らわせる。

 まだ、いけそうかな?

 俺は、ついでに腹のあたりに蹴りも入れておく。


「……ちょっと調子に、乗りすぎじゃないかしら?」


「ああ、解けたか」


 ここで、麻痺状態が解けたらしく、魔女の動きに機敏さが戻る。

 焦りはない。

 繰り返せばいいだけ。

 退屈だけど、仕方がない。



「【魔笛:夜の女王】」



 これまで感じてきた中で、最も大きな魔力の波長。

 その魔法が発動される前に、後退を始めていた俺は、十分に距離をとる。


「この魔法はできれば使いたくなかったの。だって、たぶん、すぐ殺しちゃって、楽しめないから」


 空中の至るところに、蒼い氷の薔薇が忽然と出現する。

 “魔笛:夜の女王”。

 もちろん、この魔法も俺は知っている。

 

「これ、避けれないんだよな」


「さすが、よく、知ってるじゃない」

 

 範囲攻撃にして、ランダム攻撃。

 宙空の至るところから、氷の棘が見境なく伸びるという魔法だ

 威力もかなり大きく、天蓋の氷の魔女との戦いでは、これにとにかく苦戦した。

 色々試したけど結論、回避方法はない。

 プレイしている時は、とにかくこれが発動されている間は回復薬を使いまくるか、諦めて一旦死んで、自動蘇生アイテムを使って復活するかの二択だった。

 

「でも、俺は勇者じゃない。魔王だ」


 今の俺には勇者にしか使えない蘇生アイテムもなければ、回復薬もない。

 だけどその代わりに、全てを燃やし尽くす、炎がある。

 火属性無効は、魔女本人とタミーノという回避阻害魔法だけ。

 他は、全部、燃やせる。


「【神曲:地獄篇ダンテズ・インフェルノ】、【神曲:煉獄篇ダンテズ・プルガトリオ】」


「まさかっ!? 魔法の二重行使!?」


 無差別に襲いかかる氷の棘を、全て燃やし尽くす。

 地獄の業火の中で、再び漆黒の稲妻が煌めく。

 あとは、作業にしかすぎない。

 退屈な、単純作業だ。



「さらにもう一発……ってこれも、伝わらないか」

 

 

 

 

 ————

 


 

 ああ、痛い。


 魔王ギルオデオンが、私を殴る。


 ああ、痺れる。


 行儀の悪い童子のように手を振り回しても、あなたには届かない。


「ほっ」


「ああんっ!」


「よいしょっ」


「あああんっ!」


「せいやっと」


「ああああああああっ! んっ! んんっ! んんんんっ!」


「……これ、効いてるよね? 物理無効は、持ってないよな?」 

 

 何度も殴られたせいで、顔が腫れ上がりもう視界が半分潰れてしまっている。

 一時的に全身を痺れさせる黒い電撃を数え切れないほど受けたせいで、感覚が鈍っているところと敏感になっているところが不自然に偏り出している。


「ぼぉえっ……はぁっ…はぁっ…!」


「うーん? めっちゃ血吐いてるし、もう瀕死だと思うんだけど……なんでめちゃめちゃ笑ってんだろうこの人」


 床に大きく吐血する私を見て、魔王は不思議そうに首を傾げている。

 魔術を極めた私ですらできない、魔法の二重行使。

 自らのものだけでなく、私の魔法すら完全に読み切り、手足のように扱う神の領域としか思えない魔術理解。

 初めて会うはずの私の攻撃パターンや思考回路を、未来予知としか言いようがない精度で先読みされる、正気とは思えない判断速度。

 まさか、これほどとは。


 これが、“全知の魔王”ギルオデオン・ダークグレイス。


 私の持てる全てを、いとも容易く打ち破り、それでなお平然としている。

 何の感情も宿っていない、無機質な瞳。

 そんな目で、見下されると、どうしても、心が疼いてしまう。


 惜しい。


 今、死ぬには惜しい。


 もっと、もっと、欲しい。


 これほどの刺激、たったの一度じゃ、物足りない。


「……魔王ギルオデオン様、一つ、お願いがあるの」


「なんか急に敬称つけ出したな。命乞いなら、悪いけど聞かないよ」


「あんっ。その冷たさ、最高に熱いわ。問題ないわ。命は差し上げる。だけど、足りないの」


「どういう意味?」


 朦朧とする意識の中、私は最後の気力を振り絞って一つの魔法を発動させようとする。

 そして、この時、初めて、全知の魔王が驚いた表情を見せる。


「【隷属魔法ペッティング】」


「は? 嘘でしょ?」

 

 隷属魔法。

 それは一方的な主従関係を結ぶ魔法。

 隷属を結んだ者は、対象者に対して一切の攻撃行為の禁止、命令の無条件受容が適応される。

 そして、隷属の支配下になった者は、一年後に何の例外なく死ぬ。


 もちろん、私が従者ペットで、あなたが主人マスター


 うふっ、驚いた顔は、可愛らしいのね。


「お願いよ、私をあなたの奴隷ペットにして。やっと退屈とお別れできそうなの。もっと、もっと、私をいたぶって。殴って。痛めつけて欲しい。この痺れるような刺激を、もっと私にちょうだい。一生のお願いよ。命でも、何でもあげるから、私の心から退屈という毒が抜け切るまで、瀉血させて欲しいの」


 懇願する私を見て、魔王ギルオデオンは、心底嫌そうな顔をする。


 ああ、その蔑んだ瞳、たまらない。


 心が、燃える。


 ばいばい退屈。


 

 きっと私は、あなたに殺されるために、この世界に生まれたのね。


 


 

 


 

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