ごきげんよう魔王、こんにちは魔女



『勇者と魔王の差って、わかりますか? どちらも誰かにとっての希望であり、破壊者。でも、根本的に違うものがあります。それは——』



 王都エレウシースは《ダーク・リ・サクリファイス》の世界で最大の街であり、主人公である勇者生誕の場所でもある。

 碁盤目状に整然とされた、白い石造の街並み。

 平常時であれば、露店が立ち並び、街角では吟遊詩人がバンジョーみたいな丸い撥弦楽器を弾き鳴らし、多くの人で活気が溢れている街だった。



「……本当に、人類は滅亡したんだなぁ」



 ぬるく渇いた風が通り抜ける。

 灰と砂が巻き上がり、埃が霧のように街を曇らせる。

 もうそこに、王都と呼ばれ栄えた栄光の街の姿はない。

 広々とした道では、至る所にもう腐敗してしまっている人の遺体が転がっていて、すでに白骨化してしまっている姿も散見していた。

 放置された果物屋に並べられたフルーツはどれもが干からびていて、虫すら沸かないほどに水気を失っている。



『あの服とか、アリシア似合うんじゃない?』


『……私にはちょっと、派手すぎるかと思います』


『そうかなぁ。アリシアもお姫様みたいな顔立ちしてるし、いけると思うけど』


『そんなに褒めても、手しか出ませんよ』



 客のいない貴族用の仕立て屋の横を一人通り過ぎながら、俺は物思いに耽る。

 俺は昔から、孤独というものに強かった。

 群れるのが嫌い、とまではいかないけれど、一人でも不安とか恥ずかしさとか、そういったものを感じることが少なかった。

 高校時代のクラスメイトが、一人で映画館にいけないという話をしていて、不思議に思ったことがある。

 好きな時間に行けて、好きな食べ物を食べれて、一人で映画の世界に入り込んで、好きなだけ寄り道して帰れる。

 何も不都合なことなんてない。

 むしろ、一人の方がいい。

 そんなことを、俺は一度死ぬまで、ずっとそう思っていた。



『綺麗な、絵ですね』


『絵?』


『はい。そこの路地の奥の突き当たり。壁に絵が描いてある』


『ほんとだ。よく気づいたね』


『全知の魔王でも、気づかないことがあるんですね』


『知っていることと、気づいていることは違うからね』


『そうですか。それは、少し、嬉しいです』


『嬉しい? なんで?』


『だってそれは、私がいなかったら、あの絵に、この小さな幸せに、気づけなかったということですよね?』


『……確かに、ね』


『一人でも本当は生きていけるギル様の人生に、少しでも影響を与えられていることが嬉しいんです』


『なんか大袈裟だな』


『ちょっと、重いですか?』


『そうは言ってない』


『……重い女は、嫌いですか?』


『……嫌いじゃないよ。魔王は力持ちだからね』


『ふふっ。なら、よかったです。ギル様が魔王で、よかった』


 

 一人でも生きていけることは、寂しいことじゃない。

 誰かの影響を受けることが、必ずとも必要とは今でも思っていない。

 ただ、選べるだけ。

 同じ景色を見ていても、人によって見えているものは違う。

 だから、俺たちは選ぶことができる。

 自分が見ている世界に、より目を凝らしてフォーカスの精度を上げて見るか。

 或いは、他の誰かの見ているものにも、目を向けてピントを合わせて画角を広げるか。


「俺一人じゃ、この街で名画は見つからないな」


 別に名画自体に、興味はない。

 だけど、彼女が、何を見て名画だと思うのかには少しだけ興味があった。


 時々、地面が揺れ、積み重なった死体が僅かに傾く。


 おそらく、今も世界は壊れ続けているのだろう。

 崩れ去った王都を歩いても、足跡は一人分しかつかない。

 やがて辿り着く、エレウシースの王城。

 近衛兵はどこにもいない。

 ゲームの世界では散々入っていたのに、魔王になってからは人類が滅亡してからやっと入り込むことができそうだ。



『あそこに、勇者がいるんですね』


『いや、今はいないよ。いるタイミングで王都にお忍び旅行しに来たら、気が散るでしょ』


『さすが物知り魔王ですね』


『物知り魔王って呼び方、なんか嬉しくないな』


『そんな物知り魔王に、問題です。勇者と魔王の差って、わかりますか?』


『勇者と魔王の差? 決まってるじゃん。善と悪。これほどわかりやすい対立構造もない』


『それは違います。どちらが勇者で、どちらが魔王かは、見方によって変わる。魔族からすれば魔王は勇者で、勇者が魔王なように』


『まあ、たしかにね』


『どちらも誰かにとっての希望であり、破壊者。でも根本的に違うものがあります。それは——』



 誰もいない城の中を、ゆっくりと歩いていく。

 街の外ほどではないが、灰が城の中にも入り込んでいる。


 しかし、俺は一つ、街の外とは異なる点を見つける。


 食堂がある広間に続く、廊下。

 両壁に俺にとって価値のない絵画が並べられた道の先に、がある。

 俺が廊下を進むと、足跡が二人分になる。

 

 自然と、歩く速度が上がる。


 歩幅も気付けば、大股に。

 鍵の閉まっていない扉を、そして俺は勢いよく開く。



「あら、ごきげんよう魔王。こんなところで、奇遇ね。人類も滅亡したことだし、ちょっとお茶でもどうかしら?」



 しかし、開け放った扉の先にいたのは、俺が期待した相手ではなかった。

 腰まで伸びた、艶やかな黒い長髪。

 扇状的なドレスは胸元が大きく開かれていて、喉元の青白い肌に黒子が一つ覗く。


「こんにちは、魔女。熱々の一杯なら、貰おうかな」


「うふふっ。皮肉な魔王ね。火傷しないように、冷ましてあげる」


 俺が挨拶を返せば、その女は妖しく笑う。

 魔族の象徴である、赤い瞳。

 物語には関与しない、もう一人の魔の頂点。


 “天蓋の氷の魔女キャノピー・フローズン・ウィッチ”。


 会ったことはないが、存在は知っている。

 設定上、純粋な魔力保有量なら魔王ギルオデオン以上の怪物。

 毒無効、延焼状態を含む火属性無効のスペック。

 もしこの世界に、俺がいなかったら、きっと彼女が魔王と呼ばれたことだろう。



『——順番です。先に魔王がいて、後に勇者が生まれる。魔王より勇者が先に生まれることはない。世界に魔王がいて初めて、それを打ち破る力を持つ対抗者を、世界は勇者と呼ぶんです』

 

 

 

 

 

 

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