ありがとう絶望、ごめんね花園
『あの花の名はナスタチウム。花言葉は——』
ヘスペリデスの花園というステージがある。
オープンワールド型のアクションRPGである《ダーク・リ・サクリファイス》は、その信じられないほど広大でシームレスなマップに加えて、最後の魔王城以外はどんな順番で攻略してもストーリー進行上問題ないという自由度も人気の大きな理由だった。
その中でもヘスペリデスの花園はファンの中でも評判の良いステージだった。
基本的にダーク寄りな世界観だが、ここは例外的に色鮮やかな草木が生い茂る美しい風景が特徴的な場所だったからだ。
『アリシアは、花とかあんまり興味なさそうだよね』
『そんなことないですよ。偏見です』
『そうなの? 花なんてただの植物です。全部一緒じゃないですか、とか真顔で言いそうじゃん』
『ギル様はいったい私をなんだと思ってるんですか。私、花、好きですよ。子供の頃はよく、村に咲いていた花を摘んだりしていました』
『本当に? そういうメルヘンチックなこと苦手だと思ってたよ』
『こう見えて私も、乙女なんですよ。以後、お見知り置きを』
『ずいぶんと畏まった乙女だなぁ』
アリシアと二人で来た時のことを思い出しながら、俺は一人で山の斜面をゆっくりと降りていく。
しゃり、しゃり、と地面を踏むたびに火山灰を被った短草が粉々に砕け散る感触がする。
赤、黄、青、翠、とあれほど多種多様にカラフルだった景観は今やもう見る影もなく、視界に映る全てが灰色に染まっていた。
『私の住んでいた村には、マリーゴールドという花が沢山咲いていました』
『あー、あの黄色い花か。確かになんか至るところに生えてたかも』
『でも、ギル様が全て燃やし尽くしてしまいました』
『……ごめんて。あの時も謝ったじゃん。俺は火属性と雷属性の魔法しか使えないからさ。あの村の人たちを脅すには、あれが一番派手で効くかなと思ったんだよ』
『謝らなくていいですよ。むしろ感謝しています。確かあの時もそう伝えたと思いますけどね。あの村には、私にとって大切なものは両親以外、何もありませんでしたから』
『まあ、俺、魔王だからね。多少の暴力は大目に見てもらわないと』
『多少にしては、花の一本も残さず燃やし尽くしてましたけど』
『そう? 若干、私情入っちゃったかな』
『私は、嬉しかったので、構わなかったのですけどね』
『さすが魔王の側近。当時から素質があったわけだ』
『ギル様が燃やし尽くしたマリーゴールドの花言葉、ご存じですか?』
『え? いや、知らない。なんかいい意味だったら、ちょっと申し訳ないな』
『大丈夫です。あまり縁起の良い意味ではないので』
『そうなの? なら良かった』
『マリーゴールドの花言葉は、“絶望”……ギル様が、私を取り囲んで離さなかった絶望全てを、焼き払ってくれたんですよ。だから私は、マリーゴールドに感謝してるくらいです。私に、ギル様を会わせてくれたから』
アリシアの綺麗な横顔を、思い出す。
半吸血鬼のアリシアは、魔族の特徴である赤い瞳のせいで、住んでいた村では迫害を受けていた。
彼女がよく口に出す両親、本来のストーリーでは死んでいるはずの両親も実際に血が繋がっているわけじゃない。
純粋な愛情だけで彼女を育てた、義理の人間の父と母だ。
今思えば、あんないい人たちを容赦なく死に追いやった村人たちも、ついでに燃やしても良かったと思わなくもないが、それはアリシアが望まなかった。
彼女の優しさは俺にだけでなく、この残酷な世界そのものにも向けられていた。
「……ああ、お前も、まだ、待っているんだね」
段々と緩やかになっていった斜面が、ついに平地に変わる。
辿り着いたのは、風一つ吹かない静かな花園。
残念ながら、記憶の中ではあれほど色鮮やかだった花々は、その全てが腐り死んでしまっていたが、灰色の世界で鈍色に輝く銅色が目につく。
それは身長二メートル程の背丈の大男に見えた。
仰々しい甲冑を頭から足先まで着込み、大きな盾と錆びたロングソード。
瞳はなく、フルフェイスからは漆黒が望むだけ。
“
ヘスペリデスの花園のステージボスだ。
人間型のアンデッドモンスターなので、動きは読みやすく、凶悪な範囲攻撃とかもないから、《ダーク・リ・サクリファイス》のステージボスの中では比較的戦いやすい敵だと言える。
その代わりに魔法耐性がかなり高く設定されているせいで、魔法メインの戦い方だとまともに勝負にならない。
パリィを含めた純粋なプレイヤースキルが重要で、アクションゲームに慣れていないとかなり苦戦してしまう。
「っていうのも、あくまでこれがゲームなら、って話だけどな」
しかし、これはゲームじゃない。
俺は勇者ではなく、魔王。
手元にコントローラーはないけど、代わりに俺には魔族の王としての戦い方が本能レベルで身に染み付いている。
「……ココハ、姫様ノ花園。何人タリトモ、踏ミ入ルコトハ、許サレナイ」
「違うよ。ここは、俺たちの花園だ。万が一のことがないように、悪いけど君は倒させもらう」
献身の朽ちた聖騎士が、ゲーム通りの聞き覚えのある台詞を口にする。
前にアリシアとここに来た時は、特に害もないから無視したが、今回はそうもいかない。
今、ここにアリシアが来た形跡はない。
ということはいつか、ここにアリシアが来るかもしれないということだ。
その時に、万が一この聖騎士が彼女を傷つけてしまう可能性はゼロじゃない。
なら、ここで、摘もう。
要らない可能性は、ここで摘んでおくことにする。
「【
俺の両脇から、漆黒の炎が竜巻のように燃え盛る。
円柱上に立ち上った黒炎は、そのまま八の字を描くような軌道で、全身を銅色で鈍く輝かせた敵に炸裂する。
献身の朽ちた聖騎士に、魔法耐性があろうと、関係ない。
圧倒的な火力で、燃やし尽くす。
耐性はあくまで、効力を低下させるだけ。
無効化とは、違う。
ゼロには、ならない。
『あの騎士の後ろにある花。この花園の中でもあの種類は一本だけみたいですね』
『そうなの? さすが。詳しいね。ちなみに、なんて花?』
『あの花の名はナスタチウム——』
献身の朽ちた聖騎士は、アンデッド化する前は、戦火の中で王家の姫に恋心を抱いた一人の青年だったという。
身分の異なる二人は、この山奥の美しい花園で人知れず逢瀬を繰り返していた。
しかし、彼と姫の国は、戦争に敗北した。
真っ先に処刑されたのは王族の者たち。
それでも青年は、姫が再び約束のこの場所に現れることを信じて、二人だけの花園を守り続けているという設定だった。
「待ち人は、もう来ないんだ。安らかに、眠れ」
「……アアアア……」
昏い焔が、騎士の周りの花々にも燃え移り、灰被りの光景が黒く塗り潰されていく。
魔術耐性を無視するほどの、規格外の火力。
「ごめんね」
あの勇者ですら直撃を避けるために、徹底的に回避に専念することしかできなかった魔王の一撃。
騎士が、花園が、燃えていく。
『——花言葉は、“恋の炎”。ギル様は、燃やすのは、得意でしょう?』
黒い火の粉が、蛍のように宙に舞う。
俺は道標になるように、大きく、大きく、火を灯す。
ここに、君はいない。
ここに、俺はいる。
すでに腐り切ってしまった花園を、黒く焼き払う。
しばらく待ったら、俺はまた次の思い出に向かう。
次の行き先は、地面に刻んでおく。
もし、後から君がそれを見かけたら、俺を追いかけられるように。
ヘスペリデスの花園はもうなくなってしまったけれど、足跡は残っている。
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